第12話 悲しみの離婚





「ど、どういうことだ。これは?」


 離婚届を凝視しながら、父が聞く。この存在を伝えていなかったので、驚くのも無理はない。

 言わなかったのは、問い詰められるのが目に見えていたからだ。


「俺と蓮の離婚届です。記入済みなので、いつでも受理させてもらえるはずです」


「そ、そんなの俺は知らない。偽物だ!」


 今にも破りそうな勢いに、それは困ると用紙を遠ざける。

 知らないなんて、そんなのありえない。それに偽物でもない。


「忘れたのか? これを書こうと言ったのは蓮だろう」


「……俺が?」


「そうだ。結婚をするための顔合わせした日に、二人きりになった時に出して来たんじゃないか」


 そこで、ようやく思い出したらしい。

 蓮の顔色が一気に悪くなった。


「あ、あれは」


「書いていた時に言ったよな。何かあれば、勝手に出していいって。そして俺に預けてきた」


 あの日の絶望は、今でもはっきりと記憶に残っている。分かっていたことだとしても、婚姻届を書いてすぐに離婚届に記入するなんて思ってもみなかった。

 それに、あろうことか用紙を預けてくるとは。見たら辛い気持ちを思い出すから、ずっと引き出しの奥にしまっていた。


 まさか、こんな形で俺自身が使うことになると、あの時は全く予想していなかった。皮肉なものだ。


「本当は、お互いが納得して離婚したかったけど、そう上手くいかないよな。これから出してくる。今までありがとう。凛によろしくな」


 秘密兵器を出したのだから、もう相手の同意を得る必要は無い。

 話し合いで決められなかったのは残念だけど、俺達は最後まで上手くいかない運命だったと割り切るしかなかった。


 俺は父に目線を促し立ち上がった。もう帰るつもりだ。ここにいたくない。


 勢いをなくして座った蓮は、魂が抜けてしまったようだった。

 そのまま立ち去っても良かったけど、小さな声で何か言っているのに気がついた。


「……俺を、捨てるのか?」


 その言葉を聞いて、俺は怒りを通り越して呆れる。


「最初から、俺のものじゃなかっただろ」


 俺の物じゃなかったのに、捨てられるはずがない。

 最後に、これぐらいの意趣返しをしても許してもらえるはずだ。


 少しだけやり返した気分になりながら、俺は父とともに部屋から出た。




 ◇◇◇




「色々と、迷惑をかけました。すみません」


 蓮沼家から出ると、俺と父は役所へと向かっていた。離婚届を提出するためだ。

 重苦しい空気の中、ほとんどのことを父に任せてしまったのを謝罪する。


「前にも言っただろう。お前は何も悪くない。それにしてもなんだ、あいつは。あんなに愚かな男だとは思わなかった」


 忌々しげに吐き捨てた父は、車を運転しながら舌打ちまでした。

 ここまで荒れるなんて、よほど腹に据えかねたらしい。まあ、俺も蓮のあの態度には、少し考えるところがある。


「お前もお前だ。離婚届があるなら、家に帰ってきた時点で、さっさと出してしまえば良かったんだ。そうすれば、こんなにも大変な目に遭うことも無かっただろう」


 鋭い視線が飛んでくるが、蓮に怒っているだけで、俺に怒っているわけではない。

 それを証明するように、労わるように肩を優しく叩かれた。


「そうですね。出そうとも考えたんですが、相手に知らせないで勝手に提出するのは騙し討ちみたいで……。でも結局、これに頼ることになってしまいました。俺が上手く出来なかったせいで」


「自分を責めるな。こんな泥沼化するなんて、誰にも予想出来なかった。それに、もう考えなくていいんだ。提出してしまえば、お前はもう自由になれるんだ」


「自由に……なれますかね」


「なれるか、じゃなくてなるんだ。お腹の子のためにもな。お前にも、誰かを選ぶ権利はあるから、一緒になりたい人を見つけてもいいんだ。心の底から好きになった人とな」


 今は、全く新しい人と恋愛する気持ちなんてない。蓮の件で、一生分の恋愛を仕切った気がする。


「考えておきますが、まず無理でしょうね。結婚出来たことでさえ、奇跡みたいなものでしたから」


 自分の容姿が、人から好意を向けられるようなレベルのものでは無いと分かっている。むしろ何を考えているか不明で、取っ付きにくい印象を与えることが多い。

 さらに恋愛となると、俺を選ぶような奇特な人間がそうそういるとは思えなかった。


「無理にとは言わない。しかし、頼れる人間がそばにいるというのも、心強くなるだろう」


「そんなこといって。母さんが死んでからは、父さんだって再婚する気配はないじゃないですか」


 俺が蓮や凛と会って少しした頃、母が病気で亡くなった。元々体の弱い人だったから、ある程度の覚悟をしていたとはいえ、子供だったからこそ衝撃は大きかった。

 その頃から、父はさらに仕事にのめり込むようになった気がする。俺には見せなかったが、どこかできっと泣いていたはずだ。それぐらい、母のことを愛していたから。


「……母さん以上の人に会えないだけだ。それに、手のかかる息子がいるから恋愛をしている暇はない」


「はいはい、トラブル続きですみませんね」


「これから孫も出来たら、さらに忙しくなるからな。別に寂しくなんかないさ」


 その言葉は嘘だと思ったけど、俺は突っ込まなかった。

 母を失った父と、蓮を失った俺。きっと同じような気持ちを感じているから、あえて触れなかった。





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