第114話 とある男の恋物語
「お、おつかれさまです!!」
カタカタ……というキーボードを叩く音と、プリントの擦れる音に被せるように、1人の男が声をあげた。
この男、努めて自然にしているが、この部屋に入るまで5分くらい深呼吸をしてきている。準備は十分すぎるほどにしてきていた。
「おー、おつかれー」
そんな声とは裏腹に、椅子に腰掛けて脚をぶらぶらさせていた女が軽く手を挙げる。
……と、そんなやりとりの繰り広げられるこの部屋は何を隠そう、優秀で自発的な生徒の仕事場、生徒会室である。
「あれ? 会長たちはいないんですか?」
自分達の他に人がいない事を気にした男……的場航輝は、だらけレベル100の女、木浪穂乃花へと問いかける。
「あー? あいつらは3年だからな。受験やらで忙しいんだろ。てか、これからは2年が中心になって〜、みたいなこと言ってなかったか? 他のやつは文化祭の仕事しにいってるぞ」
「そういえば……って、木浪先輩も3年生じゃないですか」
もう文化祭の時期かー、なんて事を思いかけた的場だったが、木浪の言葉の違和感に気づいた。
事実上、3年は引退……ならばなぜ、同じく3年の木浪はここにいるのか?
「いやだって、私内部進学だし。せいぜい面接練習くらいしかすることないぞ?」
「はぁ……なるほど」
大学の系列校であるこの高校は、内部進学を希望する場合、面接試験のみで通ることができる。
その分高校受験は難しめだが……なぜかこの女は受かっているようだ。
「……じゃ、じゃあ! 面接練習してみましょうよ! 僕、面接官やるんで!!」
「あー? 面接練習? めんどくさいなぁ……別に今やんなくてもいくらでも――」
「そこをなんとか!! お願いしますよ!!」
「お、おう……やけに必死だな……まぁ、そんなに言うならやってもらうか」
ずびしぃぃ!! と腰を曲げて頼み込む的場の気迫に負けた木浪は、その願いを了承した。
◆
「……ごほんっ、では木浪さん、この大学を選んだ理由などはありますか?」
「うーん、特にな……じゃなくて、えっと……面白そうだったから……?」
たどたどしくそんな事を口にする木浪を見た的場は、まさに衝撃を受けていた。
膝に置いた手を強く握り、拳をつくる。その手はわなわなと震えており、今にも弾け飛びそうだ。
「……木浪先輩」
やっとの思いで開いた口で、その名を呼ぶ。
「な、なんだ?」
「どうしてこんなんであんな余裕だったんですか!?」
「ご、ごめんなさい……」
2つも下の後輩に叱られ、とっさに謝る木浪。
だが的場の顔には、木浪にそうさせるだけの気迫があった。
「こうゆうのは嘘でもいいから、その大学を誉めたり、自分の目標に合ってるから〜、みたいな事言うもんでしょ!? 今まで何やってきたんですか!!」
「い、いや……まぁ、面接ってのはその場の勢いでなんとかなるかなーって……」
「なってないじゃないですか!!」
「うっ……」
さっきまでのように椅子でぶらぶらする余裕はなく、ただただ、的場の気迫に恐れ慄いている。
「もういいです!! ちゃんと練習しますよ!!」
「た、たのむ……」
こうして、本格的な面接練習が始まったのだった。
もはや的場には、生徒会の仕事をしにきた、と言う本来の目的な消えて無くなっていた。
◆
「――じゃあ、次の質問です」
あれから10分程経っただろうか。
その気になった的場コーチの指導は凄まじく、木浪の間違いだらけの返答を事細かに訂正していった。
そして、何度めの質問だろうか。的場が緊張した面持ちで口を開く。
「木浪さんは……今、好きな人もしくは付き合っている人はいますか?」
この男、ここにきて欲望に忠実になりやがった。
的場の恋を次のステージに進めるために、知っておかなければならない情報。ずっと、訊きたかった情報。
「付き合ってる人? そんなの、面接で訊かれるのか?」
もっともな質問が木浪の口をつく。
……が、
「面接では、一見関係なさそうな質問をする事で、その人の対応力を見るって聞きます!! ぜひ、やっておくべきだと思います!!」
これまたもっともらしい答えが的場から返ってくる。
「あー、なるほど。たしかにそんなこと言われたような……」
そしてついに、木浪を納得させることに成功したのだった。
「付き合ってるやつはいないぞ。好きな人もいないな。まぁ、私みたいないい女を好きなやつは山ほどいるだろうけどなぁ! はっはっは!」
訊かれたことだけでなく、そんな根拠のない自慢までもが始まってしまった。
たしかに、見た目だけ見たら"いい女"であることには違いないのだが、中身がどうも。
そんなことは気にもしない様子で、恋人がいないことに安堵した的場は身を乗り出す。
「なるほど……!! じゃあ、好きな人のタイプを教えてください!!」
もはや面接という体を忘れたのか、わくわくしたようにそんな質問もする。
「好きなタイプー? あー、考えたこともないな……ま、少なくともお前みたいなヘナチョコはだめだな!! はっはっは!!」
「ぐっ……!! な、なるほど……」
木浪は半分冗談、くらいのつもりで発した言葉だったが、的場にはそんな思いは届かない。届いたのは、言葉そのままの意味だけ。
心に致命傷を負った的場の恋物語は、まだ始まったばかりだ。
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