第56話 ……愛して。」
……『誰か』を抱き締めるのが好きだった。
その人を、すぐそこに感じられて、安堵で満たされるから。
……『誰か』に抱き締められるのが好きだった。
その人が、僕を求めてくれているようで嬉しかったから。幸せだったから。
この生活を守るためなら死んだって良い。と、本気でそう思っていた。
明るい暖色の光が照らす部屋の中、卓を挟んで珈琲を啜り、どうでもいい話題に会話を弾ませ、共に微笑み笑い合う。
それだけだった。僕の生きる意味、理由、価値。
これ以上のものは考えられない、それだけが僕の全てだった。
……けれど、所詮僕は『造り物』。抗えない運命は存在し、覆せない現実が、僕らの間を無情にも引き裂いていく。
だから僕は別れを悟り、彼女に告げた。
……さよなら。
彼女に一言、それだけを伝えると、僕はその場から去ろうと背を向ける。
しかし……
……ダメ。
彼女は縋るように、僕の背へと抱き着いた。
何度も抱き締め、抱き締められてきた温もりが、背に感じられる。
その時、『まだここに居たい。』そんな想いが、強く芽生えたのを未だ覚えている。
……私を見て。
彼女は言う。
……私を愛して。
至近距離で目を合わせ、彼女の綺麗なライトブルーの瞳と視線を交える。
不思議と、お互いの顔の距離が縮まり、口付けもあと1寸のところまで……といったところだったが、僕は首を横に振った。
最後に、思い出を残すのが怖かったから。
……拒まないでよ。
最後に見せた、彼女の悲しそうな微笑みだけが、僕の心残りだった。
「…………」
そこで俺は、目を覚ました。
目を開くと、そこは真っ暗な部屋の中。
明るく満ちた月光だけが、窓から微かに入り込む空間。
勉強机と、丁寧に折り畳まれている服だけがある場所。
即ち、俺の部屋だった。
……いつの間にか寝てたのか。さっきのも全部『夢』。
それを頭で理解したその瞬間、何故か謂れのない喪失感に襲われる。
とても大切な『何か』が崩れ落ちていく感覚。
それが何なのかは分からないのに、寂寥感に苛まれる。
「……せんぱい、起きたんですか?」
すると突然、寝転がっていたベッドの隣から伸びてきた白い手に、優しい手つきで、頭を撫でられた。
「……お前こそ起きてたのか。白雲。」
俺は、撫でられたことに少し恥ずかしさを感じつつ、その手を退けてそう返す。
「……せんぱいの寝顔、可愛かったですよ?」
ふふっ、と笑みを零しながら、銀髪碧眼の少女、【白雲心音】は、からかうようにそう言った。
どうやら俺は、随分とアホ面晒して眠っていたらしい。
心音が風呂から上がってきた後、俺も風呂で入浴を済ませ、美少女の残り湯はどうだったかなんて、よく分からないことを聞いてくる心音を無視して、先にベッドに入ってしまったのだ。
そのまま瞼が重くなり、気付けば随分と眠っていたというわけだ。
よっぽど疲れていたのか、それとも、早く眠ってしまいたかったのか。
そんなことを考えていると、心音は俺に身を寄せるかのように体をすり寄せてきた。
「お、おい……」
突然のことに驚き、俺は体を起こそうとしたが、心音にギュッと抱き着かれ、動けなくなってしまった。
柔らかな体の感触が、体全体で衣服越しに強烈に伝わってくる。
甘い香りも漂い、流石にこれには俺の理性が飛びそうになるが、そこは抑えて彼女を見る。
すると彼女は、その俺の視線に合わせるように、顔を上げ、俺と目線を交わした。
超至近距離で見つめ合い、あまりに整った顔立ちと、熱を孕む小く甘い吐息に、俺は思わず息を呑み、目を逸らす。
……しかし、彼女は俺の頭を優しく包み込むと、耳元でこう囁いた。
「ボクを見て。」
その瞬間、頭のどこかで、『誰か』の声がシンクロする。
「……ッ。」
それに伴い、ズキッと頭痛が発せられる。
突然の頭痛によって歪んだ表情。彼女はそれに気付かず、或いは気付かないフリで、再び俺へと囁く。
「ボクだけを考えて。」
頭痛すらも消し飛ばしてしまうほど、優しく、ただ柔らかに、抱き締められる。
その温もりに、声に、彼女に、堕ちてしまいそうになる。
不思議と、顔の距離が縮まって、お互いの吐息がかかるほどに見つめ合う。
そして、互いの唇が触れ合いそうになったその時……俺は堪らず顔を背けた。
これ以上は不味い。本能でそう悟ったのかもしれない。
けれど、心音は優しい手つきで俺の頬に手を添え、ゆっくりと、再び互いが向き合うように、背けた顔を元に戻した。
「……拒まないで。」
またもや、『誰か』の声がシンクロする。
儚げで、今にも消えてしまいそうな、そんな美しい声。
彼女の口から発せられた言葉は甘く、魅惑的で、溶けてしまいそうなほど柔らかいというのに。
そして、俺の頭は彼女の腕によって引き寄せられ、こちらも抵抗の意思など見せないまま、唇を重ねる。
大切な『何か』が、音を立てて壊れていく。そんな感覚。
脳に絡まる気持ち良さと、舌で絡まるそれ。
いやらしい音を鳴らしながら、続けられるその行為は、まるで永遠に底の見えない淵に、堕ちていくかのような錯覚を覚えさせられる。
麻痺していく脳に沈んでいくように、俺はただ快感を求めた。
「ボクを……
やがて、唇が離れたその直後、彼女は何かを呟いたのだが、彼女の深い蒼色にそれらは全て隠れてしまった。
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