第37話 世間一般
あれから俺たちは、様々な場所に行った。
喫茶店、ゲームセンター、映画館、カラオケ、お買い物と言うより、どちらかと言えばデートのような感じだった。
心音は、こういった場所に遊びに行くということをあまりしてこなかったらしく、行く先々で目新しい物を見つけた子供のように新鮮な反応をしていて、それを見ていた俺も、正直楽しかった。
やがて夜になり、本来俺たちが集まった目的を果たす為、心音に連れられるまま、とあるレストランに入ったわけなのだが……
「せんぱいはどのコースにします?」
「……」
そこは、一言で言えば高級フランス料理店だった。
橙色に光るシャンデリアがいくつもぶら下げられた天井に、高級感漂う木製の丸テーブルとダイニングチェア。
そして、目の前に置かれたヨダレ掛けみたいなナプキン。
漫画や小説でしか聞いたことのないものが、そこにはあった。
「……なぁ、料理のコースを決める前に、1つ良いか?」
俺は、メニュー表に目を通していた心音に藪から棒に、そう声をかける。
「え?あっはい。どうぞ。」
メニュー表から目を離し、俺の顔を不思議そうに見てくる心音。そんな彼女に、俺は2日前の金曜日、駅前で交わしたやり取りを思い出しながら、尋ねた。
「……お前、高い店じゃないって言ってなかったか?」
彼女から食事に誘われた時、俺はあることを懸念していた。
それは、高級店に連れて行かれること。
俺と心音の裕福度の違いなんて、住む家を見れば明らかで、話に聞く高級店はどこも俺の財力じゃ手の届かないような値段のところばかりだ。
心音は、奢るから気にする事はないみたいなことを言っていたが、流石に俺も高級飯を奢らせて何も感じない無神経では無い。
「?……あくまで、私からすれば高くないって意味ですよ。」
「……えぇ。」
しかし、どうやら心音にとっては、こんな店も大したことないらしい。
……こんな見るからに凝ってそうな高級店料理店が高くないって、こいつはどういう神経してんだ。
俺は、信じられないものを見る目を心音に向けるが、心音は気にした様子を見せず、俺に笑いかける。
「まぁ、別に良いじゃないですか。今日は私の奢りですし、先輩は気にせず出された物を食べてれば良いんです。」
「……いや、お前、奢りっつてもファミレスじゃねぇんだぞ?そんな簡単に言うなよ。こんな店、だいたい、いくら位するんだ?」
「……えーとですね、2人でざっと10万くらいですかね?」
「……10万!?」
俺は、心音から返ってきた予想以上の金額に目眩を起こしそうになる。
「……あっ、いや、でも、今日はお酒系は飲まないし、もうちょっと安くなるんじゃないですかね?」
ワインだけでも数万しますから〜と、心音は、いきなり叫んだ俺の様子に驚きながらも、そう説明した。
……?値段はとりあえず置いといて、こいつ今『今日は』飲まないって言ったか?
まるで、いつもは平気で飲酒しているみたいな口振りである。
不思議に思った俺だったが、それを質問する間もなく、こちらへとやってきた店員らしき人物に声をかけられた。
「お食事前の
「はい。それでお願いします。」
にこやかに言葉を交わし合う2人。
……ミネラルウォーターとか言ってたから、多分飲み物の話だよなぁ。とか考えながら俺は目の前のナプキンを首に掛けて、そのまま待つ。
「……せんぱい、それは首に掛けるものじゃありませんよ?」
数十秒後、ソムリエとやらと話し終えた心音が俺の姿を見て吹き出したことで、死ぬほど恥ずかしい思いをしたのは言うまでもない。
「……せんぱいは、『一人称』について、どう思います?」
店に入って随分経ち、メインディッシュの肉を食べ終わり、デザートらしき物が運ばれてきた頃。
慣れない手つきでの食事も一段落し、あとはスプーンとか使って適当で良いだろうと考えていたその時、心音は唐突に俺にそう尋ねてきた。
「……『一人称』?」
いきなり過ぎるその質問に、俺は疑問の声を漏らす。
「はい。『私』とか『俺』とか自分を指し示すものです。」
心音はそう説明し、目を細めてじっと俺の目を見る。
まるで、俺のことを試すかのように、値踏みされるかのように向けられた視線。
この質問は、心音にとって何か大きな意味を持つものなのだろうか。
そんなことを考えながらも、俺は思ったことを口にしていた。
「……別に、俺からすればどうでもいいな。」
よく分からない素材で作られたお菓子を、口の中に放り込みながらそう答える。
「……何でも良い。じゃなくて、どうでもいい。ですか?」
…………??
「……?」
心音のその発言に、俺の頭には?のマークが浮かび、そんな俺の顔を見て、心音が首を傾げる。
一瞬、どちらとも黙って変な空気が流れそうになったが、俺の発言が心音に何か引っかかったのかと思い、俺は訂正の声を上げる。
「……いや、どうでもいい。は言い方が悪かったかもな。呼ぶ時に不便にならないようなら何でもいいって感じだ。」
どうしてこんなことが聞きたかったのか、甚だ不思議だが、とりあえずで俺はそう言う。
すると、何やら考える素振りを見せていた心音だったが、思い付いたかのように口を開いてこう言った。
「……じゃあ、これから私が、せんぱいの前では一人称を『ボク』にしても気にならないと?」
……なんで?と思ったのは本音だが、本人がそうしたいなら、それを俺がとやかく言うことでもないだろう。
「……まぁ、そうしたいなら、そうすれば良いと思うが。」
俺は興味無さそうに、というか実際あまり興味は無かったので、どうでも良さげにそう答える。
それもそのはずで、何度も何度もしつこいようだが、俺はこいつとこれ以上の関係になるつもりは毛頭ない。
少なからず、こうやって飯にいく繋がりができたわけなので学校ですれ違った時に、少し言葉を交わすくらいの関係に落ち着くだろうとは思っているが、俺に話す時だけ一人称を『僕』にすると言われても、特にこれ以上関係が深まるわけでも無いので、どうぞご自由にと言う以外ないだろう。
そんなことを考えていた俺だったが、そんな俺に、心音は思案げに目を伏せながら口を開いた。
「……せんぱいって女がボクとか言うのは変だって思わないんですか?」
「……」
なんだ?なんか俺、今すごくデリケートなことを聞かれているのか?
動かしていたスプーンの動きを止め、俺は心音の顔をチラリと伺う。
心音は、一見なんでもなさそうにしているが、ちょっと目をウロウロさせたり、ソワソワしているようで、目敏い人間ならば、それが彼女の『1歩踏み出した発言』だということに気付けるだろう。
……なんか訳ありっぽいな。
過去に一人称でトラブったみたいな……そんな感じか?
先程、心音が尋ねてきた『一人称についてどう思うか。』というものは、まるで俺のことを探っているかのようだったし。
もしかしたら彼女は、この質問をすることで何らかの基準でその人の人間性を測っているのかもしれない。
……逆に言うと、そんな面倒なことをしなければいけないほど、私は人間不信ですよと言っているようなもんだが。
「……別に変だとは思わない。逆に、そんなもんにいちいち反応してるようじゃ、この世の中やっていけないしな。」
俺はため息を吐きながら、それっぽいことを言っておく。
「……だいたい、一人称が何だって言うんだ?他の人と違うから自分は変なんだって思い込んで、勝手に自滅するなんて馬鹿らしいだろ。」
俺のその言葉を聞いた心音は、「……なるほど。」とは口にしたが、まだ浮かない顔をしていた。
……まぁ、特に親しいわけでも無いのに、俺みたいなやつにこんなこと言われてもだよなぁ。
恋愛のしたこともないやつが色恋を知った風に語るかのように、俺のような超無難な一人称のやつがこんな話をしたところで響かないのは当然だろう。
「けどな、俺だって今では『俺』だけど、中学卒業くらいまで、一人称はずっと『晋道』って自分の名前だったからな。」
そこで俺は、何故か分からないが口をついてそんなことを言葉にしていた。
「……え?」
そんなまさか、と言いたげな表情で心音は俺を見る。
……余計なこと口走った。と少し後悔しながらも、言ってしまったものは仕方ないので、俺は、少しばかり自分の昔話を話すことにした。
「……別に、自分が変なやつだなんて自覚は無かったし、自分に自信を持ってた。だから周りの奴らは何も言ってこなかったし、仮に言ってきたとしても変にそれを意識することもなかった。」
中学生時代を思い返しながら、俺はそう語る。
ただ、俺の喧嘩最強とかいう意味の分からん特殊体質のせいで、厄介な奴らに絡まれて殴り合いの喧嘩ばかりしていた中学生時代。
振り返れば振り返るほど、一人称なんてどうでもよく感じてしまう程に、俺って変人だったのかもしれないという事実が浮上してくる。
世間一般的に見ても、普通じゃなさそうな俺の中学生時代の経歴に冷や汗を流しつつも、出てくる言葉は止めない。
「そもそも一人称なんて、自分が良いと思ったようにするもんなんだから、他人にどう思われていようが気にならないもんなんだよ。それを気にし
てるようじゃお前は……」
「ふふっ。」
しかし、この先の言葉は、急に肩を震わせて笑みを零した心音によって遮られた。
「……ど、どうかしたか?」
心音の気にでも触れてしまったのかもしれないと思い、若干戸惑ってしまうが、次に発した心音の言葉により、自分の過去のことを話したことを俺はやっぱり後悔した。
「あははっ!せんぱいの一人称が自分の名前だったって本当ですか?せんぱいが?」
愉快そうに笑いながら、悪戯っぽい笑みを浮かべて俺にそう問いかけてくる心音。
「……悪いかよ。」
なんだか、気を遣いながら話していた俺がバカみたいに思えてくる程、先程の雰囲気とは変わった様子の心音。
そのせいか、羞恥心と似た感覚が込み上げてきたので俺は心音の顔を直視できずに目を逸らした。
「いえ、すいません。悪くはないです。悪くはないですけど……せんぱいが一人称として自分の名前を呼んでいる場面を想像したらシュール過ぎて……ふふっ可笑しい。」
あれだけシリアスそうに俺に一人称について聞いてきたのに、お前が笑っちゃダメだろ。とは思ったが、俺はそれを口にすることは無かった。
なぜなら、その彼女の笑顔は、どこか少しだけ救われたと言っているような、そんな気がしたから。
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