第31話 リアルとリハビリ
翌朝も6時に電気がつき、検温、検尿。そして採血。
「あら、すごく採血しやすい腕」
そう褒められる。いいのか悪いのか分からないけれど、へっぽこは採血を失敗されたことがない。血管がぽっこり浮き出ていて、採血しやすい新人ナース向きの腕なのだ。でも献血はしたことがない。献血車まで行ったことはあるのだが、上が100無かった。別に低血圧ではないと思うんだけど。
「検査の結果に特に問題がなければ放射線治療の予約をいれて、また午後3時に抗ガン剤を飲むことになります」
看護士さんにそう言われ、はぁと頷く。
問題ねぇ。あって欲しいような欲しくないような。そんな微妙な気分で朝食をいただく。病院の食事は美味しくないとよく言われるけど、そんなことはない。あったかくて味がついてれば十分だ。それはへっぽこの味覚がお手軽なのか、基本目の前に出されたものは何でも食べると決めてるからか。また、自分で作ったものでないものは珍しくて美味しく感じるのか。とりあえず今朝も完食。朝ごはんはパンかご飯か選択出来たが、へっぽこはご飯派。パン?そんなんはオヤツでしょ!日本人なら、朝はご飯に梅干と味噌汁よ!と梅干があれば、おかずがいらないくらいご飯党だった。ビンボー学生の時に、主食用ご飯の横におかず用ご飯を並べて食べてる漫画を見て、ああ、わかる!と共感したくらいご飯さえあれば良かった。
脱線するが、大阪ではたこ焼きやお好み焼きは主食なのかおかずなのか、と聞かれるが、息子に聞いたら「主食!」と即答された。おい、おい。君は6歳まで東京育ちで、お好み焼きやたこ焼きはお祭りの屋台でしか食べたことなかったのに。それに毎朝、炊いたご飯を三食ご飯食べてるやん。たまに出かけた日のお昼にお好み焼き屋さんに行く程度で、たこ焼きは、関東からの来客があった時に作るだけなのに。
さて、朝食が終わるとU村先生が現れた。
「調子はどうですか?」
「一応元気です。フラつきますけど」
「検査の結果は問題ありませんでしたので、今日も放射線治療と抗ガン剤服用があります。時間はまた看護士が知らせに来ますから」
そう言って去って行こうとした。慌てて声をかける。
「あの、このフラフラして左に力が入らないのっていつまでなんでしょうか?」
そうしたらU村先生は、うーんと少しだけ難しい顔をした。
「治療計画にリハビリの時間を増やしますから、少しずつ回復させていきましょうね」
リハビリ。
そう聞くと連想するのが、スラムダンクの井上先生の車椅子バスケのマンガ「リアル」。最初の何巻かを漫画喫茶で読んだくらいなのだけど、タイトル通りリアルで、根性なしのへっぽこは途中でリタイアした。まさか、その立場に自分が置かれるとは。それともそれをリアルに感じる、つまり未来を予見をして避けようとしたのか。ちなみに「動物のお医者さん」の佐々木倫子さんは好きだが、「おたんこナース」は読んでない。これも病院モノを避けようというへっぽこの下手な足掻きだったのかもしれない。だが、意識すると却ってそれを呼び寄せるという説はアリなのだろう。タバコの煙は嫌煙家に向かって流れると聞いたことがあるが、それと同じで、逃げようとすると却ってそれは追いかけてくる。だから、この雑記を読んで下さった方は病気などとは縁遠く、元気に暮らしていかれることと思う。また、そんな願いを込めて書いていたりする。
ま、それはさて置き。
その日は午前中の早目の時間が空いていたようで、割とすぐ放射線科に呼ばれた。場所も手順も大分慣れてきたし、さくっと終わる。病室に戻って指折り数える。
「えーと、このまま順調にいけば最短で✖︎日におわるのか」
まだまだずっと先だ。窓の外がいい天気なのが恨めしい。でも外は寒そうだからいいのだ、と自分を慰める。エアコン代を払わずに(入院費の中に入ってるけど)ぬくぬくと屋内に居られるのだ。文句を言ったらバチが当たる。
そして翌日からリハビリが開始される。
リハビリ室は小さな体育館みたいな、近所のトレーニングセンターみたいな感じの所で、運動しやすいようにジャージ上下に運動靴を履いて出掛ける。と言ってもリハビリ担当の男性(理学療法士さん?)が迎えに来てくれて、車椅子での移動だった。
リハビリ室にはたくさんの入院患者さんがいて、それぞれ何かをしていた。マットの上に転がっている人、バレリーナが使うような横棒の所で歩く練習をしてる人。子ども用のプレイマットが敷かれた所もあって、歩き始めの子が使うようなカラカラ手押し車があったりもした。また向こうの方の棚には大きなサイコロクッションもあったりする。うーん、 ここは子ども用のリハビリ室?でもここに居るのは、へっぽこより大分年かさの人ばかり。数人、まだ10代と思しき患者さんもいたけど、それ以外は近所のトレーニングジムの高齢者版みたいな感じ。それぞれに担当の白衣か水色の医療服の人がついていて、動きをサポートしている。
「では、まず柔軟体操からしましょうか」
と言われて、中央のちょっと分厚いクッションみたいなベンチソファみたいなマットの上に腰掛けて靴を脱ぎ、柔軟体操が始まる。
「はい、この上に足を伸ばして座って前屈して下さい。膝を曲げずに足の指を手の指で掴めますか?」
そう言って、やって見せてくれる。
へっぽこは割と身体は柔らかい方だと思う。中高と演劇部で柔軟は頑張ってたし、合気道も息子と共にやっていた。合気道はセンスがなくて?2級止まりしてる内に息子に抜かれたが、万年受け身で鍛えたこの柔軟性を見よ!と得意げに前屈をする。
が、フラフラ〜
思いもよらぬ方によろけていく。
ヤバい。バランスが取れない。マットから落ちる!
と思ったら腕を引っ張られ、引き戻されていた。
「焦らずゆっくりいきましょうね」
「はい、すみません」
うーむ、おかしい。柔らかいですね、と感嘆される予定だったのに。
次に一段下がって、低いマットに移り、ボールを渡される。始まったのはコロコロと転がされてきたボールを受け取って、相手に転がし返すだけ。
こ、これは0歳児の親子ふれあい体操ではないかい?
へっぽこも息子がまだ0歳の時に近所の児童館が催していた育児支援のイベントによく参加していた。ママ友作りにも役立った。しかし、何故今これ?
さすがにそれは難無く返せる。
「では次は、あんたがたどこさをやりましょうか」
「へ?」
「あんたがたどこさ、ひごさ、ひごどこさ」
歌いながら鞠つきをする療法士さんを見てたら、はい、とボールを渡された。
「無理はしないで、ボールを下につくだけでもいいですからね」
その言葉がへっぽこに火をつける。
なにを〜。こちとら球技は得意なのさ。あんたがたどこさなら、高速つきが出来るのさ。見とれよ〜。
鼻息荒く歌いながら「さ」の所で右足をついっと上げる。
いや、スッと上げたつもりが上がらなかったようだ。ついたボールを蹴り飛ばし、ボールはへっぽこの前でストレッチをしていたおじいさんの所へ。その人のトレーナーさんが冷静にキャッチしてくれたので良かったが、これはヤバイと自覚した。思う通りにコントロール出来ないのに、出来るつもりで動くと、周りに迷惑がかかるということだ。場合によっては加害者になってしまう。
へっぽこが最初に萎縮を感じたのはこの時だった。被害者も嫌だけど、加害者はもっと嫌だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます