第14話 見守り猫

病棟に戻り、あとは体力を回復させて退院を待つだけだ。単純なへっぽこはそう思っていた。数日もすると、身体や頭を拘束していたものたちは外され、へっぽこは自由になった。洗面に自分の足で行くことも可能になった。やがて、手術前にしていたように給湯室にお白湯を取りに行けるようになる。給湯室は入院患者が食事も出来る集いの場所。テーブルと椅子が置かれていて、たまにそこで何人かが話してる。


「抜糸したんでしょ?どうだった?」


「すっごく痛かったよぉ。アレは本当に嫌だね」


「でも抜糸が終わったら退院出来るからね」


——何なに?


抜糸。多分へっぽこもやることになるのだろう。そっかぁ、痛いんだぁ。


そりゃそうだよねぇ。糸を抜くんだもんねぇ。裁縫の糸を想像してビクビクする。そう言われると、ここは脳神経外科の階。それも入院病棟。よくよく見渡せば、何人か頭に包帯を巻いていたり帽子を被っていたり、ヘッドギアつけてたり。


ありゃま、へっぽこもああなってるのか。頭の抜糸か。そりゃ痛いわなぁ。


——はぁ。


ため息をついてしまう。



でも逆に言うと抜糸が終われば退院出来るのね。


よっしゃ、耐えてやろうじゃないの。


その為には体力をつけて、先生や看護師さんたちに早く出ろと言われるようになっておかねば。


よし、病室に戻ったらスクワットやろう。フンと鼻息を荒くしてたら、


「あら、へのさん」


声をかけられた。


振り返れば婦長さんが立っていた。


「大丈夫?眠れないの?痛みがある?」


婦長さんは女優の戸田恵子さんみたいな美人さんで、明るくさっぱりとして、皆に慕われる感じの素敵な人だった。


「いえ、痛みはないです。いつも夜にここにお白湯を取りに来るので」


そう答えたら、ニコッと笑ってくれた。


「わかるわ。お水飲んでお手洗い行くとホッと安心してよく眠れるのよね」


明るく素敵な笑顔でそう言われると、そんな気がしてくる。やっぱ看護師さん、それも婦長さんはすごいなぁ。アンパンマンだしなぁ、などと思いながらベッドに戻り、お白湯を飲んだら、確かにすぐ眠れた。でもスクワットは忘れた。ま、明日からやろう。先生には無理は禁物と言われてるけど、ここは根性の見せ所だもんね。


単純なへっぽこは翌日からスクワットを懸命にやり、三食をペロリとたいらげ、出された薬も文句言わずに飲んで優等生患者を演じる。それもこれも早く退院する為。


 ダンさんと息子は変わらず毎日見舞いに来てくれた。


「そう言えば」


 ダンさんと息子と談話室に行った時にダンさんが、窓際の出窓の上の額装された猫ちゃんを見ながら口を開く。


「手術の間は皆でこの談話室でずっと待ってたんだ。それで、あの猫ちゃん見てたんだけど、途中であの白い門を開けてどこかに行っちゃったんだよね。慌てて呼び戻したんだけど、いなくなっちゃったって焦ったよ」


——ナヌ!?


「でも、しばらくしたら帰って来たからホッとしたよ。そしたら手術が無事終わったって連絡が入って」


——オイオイ


そんなオカルトな話、過去にダンさんとしたことはない。でもダンさんは至ってマジメ。息子を見るが、息子はエビデンス派の超理系気質。何言ってんの?夢でも見てたんでしょって顔をしてる。


うん、夢でも見てたんだろうね。でもへっぽこは三途の川らしきものを確かに渡ってた。追い返しもされたっぽいけど、呼び戻してくれたのはダンさんだったのか。


大きな借りを作ってしもた。


そう思った。


また、額縁の猫ちゃんにも。


談話室は大きなソファがデンと並んで置かれていて、テレビや漫画が置いてあるけど、その中央に鎮座ましましてるこの猫ちゃんは、手術中の患者の家族が手術時間の経過報告を待つ間、視線を彷徨わせている時につい見つめてしまう所にいた。祈りの対象となっていたのだ。最初に感じたこの猫ちゃんのただならぬ存在感はそういう所から来ていたのだろう。


「ありがとうね」


へっぽこは、額縁の猫ちゃんにこっそりお礼を言った。ここでずっと患者の家族を見守ってきた猫ちゃんはきっとこれからもここで皆を見守り続けるんだろう。

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