第35話 ドカタと女
選択を迫られた日から二日が過ぎた。明日にはダイグが襲ってくる、だというのにベクトはアースのいない丘の上で両足を抱えて座っていた。ガウトリアには背を向けて。
足音がガウトリアから近づいてくる。誰なのかも、足音だけで分かってしまう。
「何黄昏れてるの」
「……リリアンか」
背を向けたままベクトは答えた。目も合わせたくない態度を示したにもかかわらず、リリアンはベクトの正面に片膝をつき、視線を合わせてきた。覗き込む様子に、心配して来てくれたのだと頭では理解できていた。
「ひどい顔、寝てないでしょ」
「気にするな」
アースと話してから二日、ずっとこうしていた。眠ることもできず、ただどうすればいいのか悩み続けていた。何十何百と同じ結論は出ていた。だからこそ動くことすらしたくなかった。
失くすくらいなら共に滅ぶ。それすらアースは許さない。心が固まるのも無理のないことだった。かつての壁を作るだけの思考を止めた姿に酷似していた。
「今のベクト、私が嫌いな顔してる」
リリアンは表情を一瞥しただけでベクトの精神状態をほぼ把握していた。ドカタの待合前で笑っていた時のベクトを知り、劣等であったドカタのベクトを知っていた。ずっと見ていたリリアンには分かってしまうのだ。
「アースと会う前、ポーション飲んでたドカタの時よりひどい顔だよ。自分自身を嫌いになって、殺したくなるような表情してる」
「何が分かる」
顔を上げ睨みつけるベクトに、リリアンは憂いを帯びた表情を浮かべていた。二日前のアースにも似た表情に、視線が釘付けになる。
似ているだけだ、リリアンが死ぬようなことはない。なのに、どうして重ねて見える?
「アースと会った後の……私が好きになった顔をしてないってことくらいだよ」
言葉が出なかった。リリアンの悲し気な視線に、表情に、胸が打たれる。
「私が大好きになった人はね、愚直だけど前に進み続ける人だよ」
前に進む。アースと会う前に、遺跡についた時が思い浮かぶ。何が起きるかも分からず、ただ前に歩き続けた。その先にアースがいた。
「どれだけ劣等と言われても、蔑まれても這い出した先で光ってる。探索者ギルドの人から期待の目で見られても、気づかないくらい前にしか進めない人」
ベクトの眼から涙が流れる。昨日までで流し切った涙は、まだ枯れていなかった。
這い出せたのはアースがいたからだ。いなければずっと這い出せず劣等のままだった。
「そこにアースなんて巨大な力があったかもしれない。でもね、アースがいたからこそ私はその人を好きになったの」
アースがいたからリリアンはベクトを好きになった。その事実は今のベクトには辛く突き刺さる。
「その……アースが……」
「死ぬかもしれない?」
俯きかけていた顔がバッとリリアンへと向けられた。何故それを知ってる!?、ベクトの顔にはそう書かれていた。
溜息を一つ吐くと、リリアンはガウトリアの南へと目を向けた。アースが今いる場所だ。
「……そんな気がしてた。ベクトが思い悩んで過去に戻る程つらいことなんて、私にはそれくらいしか見当たらなかった」
馬鹿な
「なら、どうして」
気持ちが分かるはずだ。そう言葉に出さなくてもリリアンには伝わっていた。
ふぅと一息つき、目を閉じて彼女は立ち上がる。顔をガウトリアへと向けたまま、ゆっくりと目を開く。
ベクトにはどこか語りかけるような動きにも見えていた。
「失っても前に進み続ける。ガウトリアっていう都市はそうしてできてきた。どんな災害が訪れても、逃げて失って、でも次には前に進んで、また起きたらどっちに逃げればいいか決めて、逃げて失って、また先に進んだ」
ガウトリアの歴史、災害獣に襲われ続けた歴史だ。襲われても復旧し、何度も何度も生き延び続けた不屈の都市、それがガウトリアだ。地下にアースがいたため、明確に襲われなかったからこその歴史だ。
そしてその中核を為している者をリリアンは……いや、ガウトリアの民は皆知っている。不屈の意志を体現し、ただ愚直に前に進み続ける者たちを。
「それを一番知ってるのはベクトでしょ?」
「っ!」
思わず目を背けるベクト。不屈意志の最前線の職業だったのだ、自覚していて当然だった。
「ドカタ、町の復旧する職業。並々ならない数の死を見て、失ったのを目の前にして、それでも復旧し続けた。誰でもなれる職業?笑わせないで。誰よりも心が、精神が強靭でなければなれない職業でしょう!」
ドカタは誰でもなれる職業であり、間違いのない事実だ。だがドカタを続ける者は余程の事情があるか、余程の意志があるものに限られる。
そしてドカタを続けていくと、必ず強靭な意志を持つ者へと辿り着く。失ってもなお復旧し進み続ける、不屈の意志を持つ者へと。数年以上続けた者など……辿り着いて当然の境地だった。
リリアンは力なく項垂れる。涙を目に浮かべ、諭すようにベクトへと独白する。ベクトとは逆に、能力がある者が見たドカタとはどんなものなのかを。
「私だって能力はある……でもドカタにはなれない。いっつも災害獣の被害の最前線で、誰かが何かを失ってる様子を見てもなお前に進む勇気は、私にはない」
能力がある者であれば、強靭な意志を始めから持つ者しかドカタにはなれない。探索者が未知に命を賭す意志を示すように、半端な者は許されないのだ。
再び片膝立ちになり、ベクトの両肩を掴む。リリアンの視線は俯いているベクトの顔へ向け続けられていた。
少しずつベクトの俯いていた顔が上がる。視線を上げた先には、優しい表情があった。
「でも、ベクトは
肩を掴む両手の力が強くなる。ベクトを受け止める意思が伝わってくるようだった。
膝を抱えていた右手がリリアンの頬へ伸びていく。触れるか触れないかのギリギリで止まり、同時にベクトは聞こえるか聞こえないかの声量で心の声を漏らした。
「ああ……セーデキムも、いつか失うのだとどこかで思ってた。だから誰にも心も魂も預けず、自分自身の弱さを責め続けた」
ベクトはどこまでもドカタだった。同僚もいつか失うものだ、それならどこにも大切な者を作らないことで精神の均衡を保っていたのだ。
探索者になっても同じことだった。リリアンや親方にさえ本当に大事な部分を見せていなかった。怒りに狂うような、爆発させた感情を見せなかった。
「でも……僕は……見惚れてしまったんだ。魂どころか……心を預けてもいい程に」
伸ばされた手は地面に落ち、両の目から一筋の涙が流れる。前が見えなくなる程溢れてくる涙がポタポタと地面に落ちていく。
アースが大切なんだ、手離したくないんだ。失った跡を何年も見続けてきた、アースをその瓦礫の一つになんて変えたくない。親方やリリアン程の時間、一緒にいた訳じゃない。それでも絶対に放してはいけない者だって思ってしまったんだ。
「使命に逆らって戦うアースが、眩しかった。失いたくない、失くしたくないんだ」
自然と言葉が零れる。堰を切った感情が、涙に形を変えて溢れて止まらない。泣き出して声が上がることはないのに、ただただ涙だけが止まらない。
ぼやける先のリリアンが誰なのかすら見えない。リリアンなのか、それとも本当はアースなのかも分からない。
「命は平等なんかじゃない。ベクトにはベクトの
リリアンの声、叱咤するような、それでいて優しい声がベクトの心に染み入る。どこまでも残り続けていたしこりが、溶かされていくようだった。
「……ああ。セーデキムを失った時よりも、アースを失うかもしれないと思った時の方が、胸が抉れた。アースの方が大事なんだって、僕にも分かってたんだよ」
罪を告白するように口を開くベクト。命の重さを比較し、判断できてしまっていたのだ。
ベクトは命が軽々しく消えていく光景を幾度となく見てきた。数えられない程客観的に見せられて、自らの身に同じことが起きないなどとは考えていなかった。だからこそ命の優先順位を付けることができてしまっていたのだ。
「セーデキムには悪いけどな」
命の優先順位がアースや親方に比べて低かったセーデキムに詫びる。大切とは言い難いが失いたくなかった人だ。けれど同僚が死ぬことなんて何度も目にしてきた、早いか遅いかの違いでしかなかった。
「なら、分かっているでしょ?それとも責められて欲しいの?」
命の重さを比較する、この世界では在って当然のことだ。災害が跋扈し、いつ訪れるかも分からぬ死に怯える世界なのだ。であれば、生き続け歩み続ける者が最も命が尊い者達だ。
「責められて答えが変わるなら望んだだろうな……。……とっくに答えは出てるってのに」
涙を流しながらリリアンに苦笑を返す。アースに問われ憤慨したものの、答えは出ていた。
ただそれが受け入れたくないものだっただけだ。受け入れなければ先に進むことすら許されないものでもあり、目を背けただけだった。
「リリアン、今だけでいい。……抱きしめてくれないか」
涙を右手で振り払い、リリアンの顔をジッと見つめる。その瞳には光が宿っていた。
両肩から手を放し、リリアンはクスリと笑う。どこか聖母めいた微笑みに少しだけ心惹かれるものがあった。
「内緒にしてあげる」
「ありがとう」
膝を抱えるベクトをスッと抱きしめるリリアン。流れる涙と、抑えきれなくなっていた嗚咽が静かな夜にシトシトと響いていた。
ひとしきりの涙が流れ、日が明ける。眠り込んでしまったリリアンの横に、ガウトリアへと身体を向け立ち上がった一人の男の姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます