第18話 身体強化と誘惑

そんなことは露も知らず小一時間ほど経った後、ベクトは探索者ギルドの受付にいた。昨日と同じようにレキサへ声をかける。


「本日は何を?」

「探索者になりたい。必要な魔法を覚えたいがどこで覚えればいい?」


ニコリと受付のレキサは微笑み、立ち上がって後ろの部屋へと声を立てた。


「ダーウェ、お願い」


部屋から現れたのは親方にも負けない偉丈夫だった。分かりやすい違いは抜き身の刃のような視線と、髪が無いことだろう。視線を向けられただけで身体が強張る眼力に、思わずベクトの姿勢は正させられる。


「ダーウェは実力担当のギルドマスターみたいなものね。運営はしないけど探索者の指導とか、そういった業務をしてくれてるの」


レキサがベクトへと軽く説明する。ダーウェは溜息を一つ吐き、ベクトへと口を開いた。


「あんたがベクトか。話は聞いてる、訓練場に来い」


一言そう言うとダーウェは訓練場の方へとスタスタと歩き出した。遅れないようにとベクトも付いていくが、歩く速度がまるで違う。ベクトが走った時よりもダーウェが歩く方が早いと確信すら抱ける程だ。


それでも置いていかれる訳にはいかないと急ぎ、息を切らしながら訓練場に到着した。


「はぁ……っ、ここで……何を……」

「まずは身体強化の魔法だろ?」


何を当然のことをと、呆れた表情だった。ダーウェがコンコンと足の先で地面を叩き、ベクトはハッと気づかされる。


ここに来るまでの移動、そこで使われていたのだ。強化していないベクトが遅かったのも当たり前のことだ。使っているかどうかで大きな差がある、それを自覚させるためにダーウェが見せていたのだ。


「よく見とけ」


両手を軽く握り、腹に力を籠めるように腰を低くする。一度目を閉じ、深呼吸した後ベクトへと目を開く。


雰囲気が大きく変わった、言葉にするならそうとしか言いようがない。まるで立ち昇る蒸気が身体から湧き上がっているようにも見える。力の塊とすら言えよう。


「見た目は変わってないが、分かるか?」

「力強く見える」


僕の拙い言葉だとそんな言い方しかできない。身体強化と言うのだがら、肉体の強度が高くなっているのだろう。形になって見えた時、言葉にすらマトモにできないとは思いもしなかった。


フッとダーウェは微笑む。ベクトの視線にどこか満足気ですらあった。


「十分だ。何にも感じ取れない馬鹿なら、はっ倒して終わりだった」


探索者ギルドに探索者になりたいと来る者は多い。ギルドとしても人手は多い方がいいため採用するのだが、最低限のがある。


それは身体強化ができる素質だ。探索者は遺跡を求めてガウトリアの外へ行くことが多い。必然として足が速いか、身体が頑丈でなくてはならない。もちろん素の能力が高い方が嬉しいが、身体強化の魔法は掛け算だ。素の能力が低くとも、魔法がより強くかけられるなら問題にならない。


素質を見極めるのがギルド試験管ダーウェの仕事だった。指導官も兼ねているため、暇なら新人を鍛えることも行っていた。


「土魔法が得意なんだろ?なら簡単だ」


十分に素質があると見極めたダーウェの口は軽い。ベクトはまだ身体強化の魔法を使ってもいないが、助言を口にする。


「自分自身を土と思って強固にする、そう考えて土魔法を使ってみろ」


魔法は適性と、自身の想像力が行使する魔法の強度を決定する。想像もつかない魔法は使えないが、きっかけさえ掴めれば誰でも使えるようになる。探索者の弟子を多く持つダーウェの経験はそのきっかけを容易に掴ませる。


しかし初心者というのは誰でも最初は躊躇するものである。例にもれずベクトも不安を口にしていた。


「土を強固にって、ドカタはそんなことしないぞ。強固になるように魔法を使うんだ」

「じゃあそれでもいい。まずはやってみろ。手本はさっき見せたぞ」


やり方は任せる。ダーウェの言葉に覚悟を決める。

両手をグッと握りしめ、腰を低くする。呼吸を深くしていきながら、少しずつ自身のイメージを強くしていく。


自分自身が土そのものであると、それもレキサに作れと言われたような、強固な硬さを持った土なのだと。土を固めた、石であるのだと。


「……っ!こう……かっ!?」


ベクトの身体の中心にコツンとダーウェが拳を当てる。触られた感触しかしない、衝撃は無く、文字通り自分自身が石になったかのようだ。


「悪かねぇ。最初と考えたら大したもんだ。指先一つできれば十分なもんだが、身体の芯までできてるみたいだな」


ニヤリと笑いダーウェの力強さがしぼんでいく。身体強化を切ったのだ、目に見えて力強さが無くなっていくのが分かった。


ベクトも力を抜いた。それだけで身体強化も切れ、初めて使ったからかガクリと膝をついてしまう。息こそ切れていないが、全身に疲労が噴出していた。それも当然のことだ。


身体強化を使い、本来使えない動きを身体に引き起こしているのだ。

本来なら全身が引き千切れてもおかしくないような挙動を起こす魔法だ、疲労だけで済むのは破格の性能とすら言える。それでも初使用ならほんの十数秒使うだけで倒れ込む魔法だ。ベクトが土魔法に適性があり、強度強化という方向に偏らせたから膝をつく程度で済んでいた。


「まずは強化ができている個所を認識しろ。まぁ……慣れが大事な魔法だ。そこから全身に広げて数十分保てるようになったら次だ」


十数秒でこの疲労だというのに慣れられるものなのだろうか?考えもつかない。

疑問は首をフルフルと横に振って吹き飛ばす。今はまだ一歩踏み出したばかりだ。考えるようなことではないと言い聞かせる。それよりも先のことを考えろ。


「次ってのは?」


口は開けても、頭がまるで動かない。ガクガクと震える足に、無理やり力を込めて立ち上がる。視線を合わせ、ダーウェにまだまだやれると目で応える。


「ほぅ……いいねぇ、しごきがいがある。次ってのはどんだけ身体が硬くなろうが動けなきゃ意味がねぇ」


目を笑わせながら、次のステップをダーウェは教える。しかし視線は獲物を見つけたような鋭いモノだ、ベクトは逃げられないと腰が引けそうになっていた。


「とはいえ今日教えれる内容はここまでだ」


しかしダーウェはベクトに背を向けた。新人を鍛えるのも、限界を見極めるのも、指導官の仕事だ。見極めきれずに潰してしまうのは素質が無いやつだけであり、素質があるならば探索者になってもらわなければならない。仕事が故に、ダーウェは背を向けたのだ。


「ダーウェさん、師事ありがとう」


ベクトも分かっていた。初めて使う身体強化魔法の疲労は桁違いだった。これまで土魔法しか使ったことが無いということもある。数十分は休みをとらないと魔法は使えない、これが自身の限界なのだと。


「ダーウェでいい。仕事だ、当然のことだよ。お前が壁作るのと同じこった」


ハッと笑いダーウェは出口の方へと歩き出す。やることは終わった仕事人の姿がそこにあった。


「あとは自分でやりな。ここは夕方に閉まるから気をつけな」

「はい」


訓練場を去っていくダーウェの姿に一礼し、そのまま倒れ込んだ。限界まで行使した身体が強制的に睡眠させたのだった。


日が落ちかける時間になった頃、ギルドの受付にベクトはいた。疲労で倒れ、身体強化魔法を使って、また疲労で倒れを三回ほど繰り返し、全身疲労の中ゆっくりと受付まで歩いてきたのだった。

疲労で歩くくらいしかできなくとも、その瞳には力強さが残っていた。身体強化の魔法は成長が非常に分かりやすいからだ。


「一分くらいまで延びたな。慣れが大事ってのは言ってた通りか……頑張らないとな」


たった三度の訓練で十数秒が一分近くまで延びる。これ程分かりやすい成長結果はなかった。肉体は疲労で疲れようとも、精神はまだまだ動きたがっていた。とはいえ訓練場以外では危険が過ぎる。


疲労回復も訓練かと、ギルドから出てアースのところに行くことにした。アースなら回復魔法でも使えるからだ。


そう思い、ギルドから出た瞬間だった。可愛らしい声がベクトに向けられた。


「あっ、いた!」


聞き覚えのある声だった。というか、聞き覚えしかない声だ。行きつけの酒場でよく聞く声であり、容姿にも声にも惚れているとすら言っていい──何故ここにいる!?


「リリリリリアンさん!?」


尻尾のように髪をまとめ、可愛らしく整った顔とコロコロとした猫のような声が特徴的な、猫の獣人リリアンがそこにいた。


クスリと笑い、ベクトへと笑顔を向けるリリアンに見惚れてしまう。動揺し過ぎなのは誰が見ても明白だったが、ベクト自身は気づけていなかった。


「デンダさんとセーデキムさんにお願いされて!お迎えに来ました!」


額に手を当て天を仰ぐ。ツゥーッとベクトの目からは涙が出ていた。驚きや悲しみではない、嬉し涙だった。


「親方……!」


これ以上ない程の感謝を捧げたい。けど驚きが過ぎる、せめて一言言ってほしかった。


ベクトはリリアンが突然訪れたことで完全に忘れていた。親方がもったいないやつを送るから期待しておけと言っていたことを。


首を傾げ、上目遣いでリリアンはベクトに声をかける。明確に誘惑する雌の顔をしていた。


「今日は酒場に来ないんですか?」

「行く」


アースのことを忘れてリリアンの誘いにベクトは乗った。無理のないことだった。

何せ酒場で人気な女性というのは、文字通り人を寄せるための仕事をする者なのだ。酒を運ぶなり料理を作るのは誰でもいいが、客を呼ぶのは人気がある女性でなくてはならない。


言うなれば誘惑に長けた者であり……それほどの者からの誘惑を断れる胆力はベクトに無かった。

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