第一章「選ばれた場所」-024

「耳を澄ませてみて」


「え?」


「いいから! 後ろに注意して耳を澄ませて」

 後ろ? 俺の背後にあるのは、外の車道に通じる道を塞いだコンクリートの壁だ。


 ……ん? なんだ? 壁の向こうから、人の足音が聞こえる!?


 一人じゃないようだ。二人か、三人か。いずれにせよ少人数だ。


「……誰かいるのか?」


 俺が尋ねると1103は言った。


「5041が花を捨てていったでしょう? 多分、それを片付けに来ている人だと思う」


 そう言う1103に俺は聞き返した。


「誰だよ、それ?」


「分からないけど……。多分『管理者』から委託された誰かでしょうね」


 まぁそんな所だろうな。


「ちょっと顔を見てやるか」


 俺は壁の方へ向き直った。気を失ってる事に気づいた時もそうだったが、2メートルくらいの壁ならジャンプして向こうを覗けるはずだ。


 そのはずだった。


「え……?」


 何かがさっきまでと違う。校舎の方を見ている間に、何かが変わってしまったようだ。異変の原因にはすぐに気がついた。


「壁が高くなっている!?」


 そうだ。下からせり上がってきた壁が、さっき見た時は2メートルほどだったのに、今は3メートル以上の高さになっていたのだ。


「はい、残念でした」


 冷淡な調子で1103は言った。


「門の壁の高さはある程度調整できるのよ。十メートルとまではいかないまでも、5メートルくらいにはなるんじゃないかしら」


 そりゃそうだ。地面の下に収納していて、自由に出し入れ出来るんだ。人が簡単に登れないくらい、高くするのも簡単なはずだ。


「でも門以外の壁は? 全部高くなってるわけでもないだろう」


 俺は頭を巡らせた。高くなっているのは、門の前の壁だけ。他の壁は変わらず2メートルくらいの高さだ。


 俺は高くなっていない壁のところまで行ってジャンプしてみたが、壁の上まではなんとか覗けるものの、門の裏辺りは角度が付いている為か見て取れない。


「駄目か……」


 俺は1103のところへ戻った。その間に壁の向こうから感じていた人の気配はなくなっていた。もう作業を終えたらしい。


「しかし、中にいたはずの人はどこから出てきたんだ? それらしい出入り口はなかったはずなのに」


 そうは言うものの、壁が降りて門が出てきた状態はよく覚えていない。しかしマンホールや監視室みたいなものは無かったのは確かだ。


「まぁ出入り口くらい、いくらでも作れるでしょう。横を塞いでいた壁もあるし、そこから入ってきたのかも知れないし」


 1103の言う通りだ。俺が見た時、奥の壁は上がっていなかったので、車道の方から来たとも考えられる。


 作業が終わった為か、壁が少し下がり始め、また2メートルくらいの高さで停まった。俺は壁に近寄り、ジャンプして向こうを覗いてみた。


 奥の壁も上がっていた。しかし人影はなし。5041が捨てていった貧相な花束はどこにも落ちていなかった。


「誰もいない」


 別に1103に説明したつもりではないのだが、彼女は答えた。


「そうでしょうね」


 しかしこの高さの壁か。


「懸垂の要領で乗り越えられるかもな」


 俺がそうつぶやくと、1103は即座に答えた。


「しがみついても、また壁が上がるわよ。向こうに落ちる時、怪我をするかもしれないし」


「そうだな。でも他の壁は? 全部の壁が高さを変えられるわけでもないだろう」


 俺は門の周囲の壁を見回してみた。正直、見た目では高さが変わるかどうかは分からない。


「そうね。試してみれば? でも確かなのは、壁を乗り越えて脱走した人間は聞いた事がない。それだけ」


 1103はそう言った。なるほど、何らかの対策はしてあるのか。単純に壁の上に、ガラスの破片や尖った金属片でも埋め込んでおいても良いわけだし。


「今は止めておこう」


 俺がそう言うと1103は少し笑った。


「良い判断ね」


 そして校舎の方へ踵を返しながら続けた。


「転入直後にやっておかなければならない事は、大体これで済んだわね。あとは自由にしていいわ」


 俺はそういう1103の後を追いかけた。


「おいおい、これだけでどうしろって言うんだよ?」


「食事をする場所も、寝る場所も教えたでしょう? あとは適当な教室に入って勉強すればいいだけ。あぁ、そうだ。あとで身分証明書に付ける星を渡すから。適当な時期に連絡して。電話の使い方は教えたでしょう?」


「適当な時期って、いつだよ?」


「4時46分よ」


 うん、まぁそりゃそうだ。この『学園』には計時可能な時間が存在しない。時間そのものは流れるけど、今が何時なのかは分からないんだ。


「面倒だなあ。こりゃ。『学園』はなんでこんなシステムを取っているんだ」


 俺は思わずぼやいた。俺のぼやきに1103は速攻マジレスで返してきた。


「分からないわ。『管理者』には『管理者』なりの意味があるのかもね」


「星はいますぐ貰えないのかよ?」


「転入した直後は『転入生』だと分かるように、しばらく星なしで暮らして貰うのよ。だからすぐというのは駄目。まあ貴方から連絡が無くても、こちらから連絡するけどね。大体5、6回寝た辺りで連絡を寄越してちょうだい」

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