第6話 運命の日、来る

 夏休みも終盤を迎えた頃、ついに運命の日がやって来た。洋子さんがお父さんと正式に再婚し、佐野君とも家族になる日が。


 あの初顔合わせの日から今までの間、佐野君とも何度か会うようになって、今ではすっかり打ち解けている…………なんてことは全然なくて、相変わらず、会うと少し緊張する。だけど初めて話したあの日よりは、ずいぶんマシになっているはずだ。


 四人揃ったところで、まずはお父さんが挨拶をする。


「洋子さん、悠里君。改めて、今日からよろしく。ここが、これから僕達の家になるんだ」


 今私達がいるのは、お父さんと洋子さんがこの日のために購入した新居だ。今までの家だと四人で住むには狭いけど、ここなら十分。

 引っ越しの荷物はまだ届いていないけど、かかっている表札は、既に北条になっている。


 今回の再婚では、洋子さんがお父さんの籍に入って『北条洋子』になり、佐野君も、『北条悠里』になっていた。


「私、佐野君の呼び方って変えた方がいいのかな?」


 今までは佐野君って呼んでたけど、もう佐野君じゃないんだし、そもそも家族なのに苗字呼びっていうのはおかしいかも。


 でも、それじゃ何て呼べばいい?

 下の名前で、悠里君とか? そしたらわたしも、久美って呼ばれちゃうの?


「俺は、学校ではこれからも『佐野』のままで通すつもりだし、慣れるまでは今まで通りでいいんじゃないかな」

「そ、そうだね」


 学校にはもちろん再婚の連絡はしてあるけど、先生達は佐野くんのことを今まで通り『佐野悠里』として呼ぶらしい。いきなり名字が変わる事で、他の生徒から奇異な目で見られるのを避けるための配慮だそうだ。

 正直その配慮は、わたしにとっても大いに助かる。呼び方を変えなくていいだけじゃなく、再婚そのものを周りに隠すことができるから。


「再婚したって事は、学校のみんなには内緒でいいんだよね」

「うん。考えすぎかもしれないけど、もしかしたら変に騒ぐ人もいるかもしれないからね」


 考えすぎかもなんて言うけど、男女がひとつ屋根の下で暮らすって聞いただけで、変な想像をする人はいると思う。


 私だって、相手の洗濯物の中に下着が紛れ込んだり、お風呂場でバッタリなんてことになったり、そんなマンガであるようなラッキースケベな展開を思い浮かべて何度いたたまれない気持ちになったことか。

 そんな妄想は、オタクじゃなくても誰でもするよね。するよね?


「北条さん、どうかした?」

「…………はっ!」


 いけない。もちろんこんな妄想、佐野君には口が裂けても言えないよ。下手をすると再婚中止になっちゃう。


「何でもないから。再婚やの事はみんなには秘密。ちゃんと分かってるよ」


 しかも、そのひとつ屋根の下で暮らす相手が、学校有数のイケメンである佐野君なのだ。こんな事知られたら、嫉妬にかられた女子から吊し上げられちゃう。


「でも、友達にも隠すのが苦しいって思ったら別だから。北条さんが本当に信頼できるって思う人になら、話してもいいから」


 信頼できる人。そう言われて、頭の中に千夏の顔が思い浮かぶ。頼めば黙っててくれると思うし、そもそもずっと隠し通すのは無理があるかもしれない。


「いつか話そうって思ったら、その時は佐野君にも教えるね」

「うん、頼むよ」


 きっとこれからしばらくは、こんな風に色んなことを手探りで決めていくんだろうな。












 それから、引っ越し業者の人達がやって来て、私の家と佐野君の家、それぞれから荷物が運ばれてくる。


 二件分の荷物となると、さすがに量も多い。たくさんの段ボール箱が、とりあえずっていった感じでリビングに置かれたけど、おかげで一気に窮屈感が出てきた。


「とりあえず、それぞれ自分の荷物を部屋に運んでいこうか」


 引っ越し業者の人達のお仕事はここまで。

 ここからの諸々は、私達がやらなきゃならない。

 お父さんが号令をかけ、作業開始だ。


「私達の部屋、二階だったよね」

「ああ。俺が左で、北条さんが右ね」


 二階には二つ並んだ部屋があるけど、そこが、私達それぞれの部屋になる。


 これからは、壁一枚を隔てた先に佐野君がいるんだから、あんまりうるさくしないように気をつけないと。

 例えば、例えお気に入りの小説を読んでキュンキュンし、興奮のあまり声をあげたとしても、ある程度ボリュームは抑えなきゃね。


 そんなことを考えながら、次々と自分の荷物を部屋に運んでいく。


 だけど、何しろ量が量だし、荷物が入っているのは、どれも同じような段ボール箱だ。

 箱には予めそれぞれの名前が書いてあるけれど、時々間違って他の人のを手に取ることだってある。


「ごめん、これって佐野君のだよね。間違って持ってきちゃった」


 一度自分の部屋まで持っていったところで、佐野君のものだって気づいて声をかける。

 違うと気づいたのは、その箱が他と比べて、やけに厳重に封がしてあったからだ。ガムテープで全ての隙間を埋めるように、これでもかってくらい貼り付けられていた。


 するとその箱を見たとたん、佐野君の顔色が変わった。


「あっ──う、うん、俺のだよ。ごめん、重かったよね」


 少し言葉を詰まらせながら、サッと箱を受けとる。

 その焦ったような様子が、なんだか妙に気になった。


「その箱、何が入ってるの?」

「えっ!────いや、大したものじゃないから!」

「そ、そう?」


 何の気なしになしに聞いてみると、佐野君はますます慌てる。あからさまに動揺しすぎて、少しビックリしたくらいだ。


(もしかして、見られたら困るものでも入っているとか?)


 学校の王子様的存在の佐野君だって一人の人間だ。知られて困ることの一つや二つあるだろう。だとしたら、あまりにデリカシーがなかったかも。


「ごめんね、変なこと聞いて」

「い、いや。ほんと、大したものじゃないんだよ」


 挙動不審のまま、そそくさと箱を自分の部屋へとしまいに行く。これはもう、見られたくない何かだってのは確定と言っていいだろう。


 正直、それが何なのか全く気にならない訳じゃないけど、もちろんこれ以上立ち入る気はない。


 私の荷物の中にも大量のオタクグッズがあるけど、その中には一部どうしても見せたくないものもあるからね。


 そういえば、その見せたくない一部のもの、まだ部屋に運んでなかったっけ。万が一、他の誰かが間違って開けたりしたら大変だ。


 一階に降りると、早速目当ての箱を探し出す。これが、私の見せたくない秘密のブツだ。

 というわけで、さっさと自分の部屋へと運ぶことにした。


 だけどその途中、階段を上っている時だった。

 急いでいたからか、箱を持っているせいでバランスが悪かったからか、不意に階段を踏む足が滑った。


「わっ!」


 慌てて踏ん張ろうとするけど、もう遅い。持っていた箱は手から零れ落ち、視界が大きく揺れた。


 このままじゃ、階段から落ちちゃう!


 ところが、そうはならなかった。

 次に私が感じたのは、硬い床の衝撃でなく、グイと腕を引っ張られる感触。そして、包み込むような温かくさだった。


「北条さん、大丈夫!?」

「う、うん──って、えぇぇぇっ!?」


 気がつけば、佐野君の顔がすぐ近くにある。そこでようやく、落ちる私を佐野君が捕まえ、引き寄せてくれたんだと気づいた。


 それはいい。おかげで、痛い思いをしなくてすんだ。

 だけど、だけどね……


(これってもしかして、佐野君に抱きしめられてる?)


 人に聞いたら、多分十人が十人、そうだよって言うと思う。

 階段から落ちそうになったこと以上にドキドキして、心臓が激しく音を鳴らしていた。


「あ、ありがとう……」

「う……うん。ケガ、無くてよかった」


 心なしか、佐野君の顔もちょっとだけ赤くなってるように見えるけど、それを気にしだすとよけいに恥ずかしくなりそうだから、触れないでおこう。


 それよりも、今はやるべきことがある。

 私は無事だったけど、さっきまで持っていた段ボール箱は、階段を転げ落ちていた。しかも封が甘かったのか、中身がぶちまけられている。


 階段を下りて拾おうとすると、手伝おうと思ったのか、佐野君も一緒についてきて、床に向かって屈み込む。


「いいよ、私が拾うから」


 助けてもらったのに、これ以上手伝ってもらうのも悪い。

 そう思ったけど、それでも佐野君は、散らばったそれらに手を伸ばす。


 だけど、その時になって思い出した。この箱には、見せたくないものが入っていたことを。


「ま、待って!」


 声をあげて佐野君を止めようとするけど、もう遅い。

 佐野君は拾い上げたそれを目にしたとたん、驚いたように目を見張る。


 それは、一冊の本。私の最推しの作家様、リリィさん作のラノベだった。つい先日発売された、シリーズの記念すべき2巻目。

 もちろん、私にとっては宝物のような本、なんだけど……


 その本の表紙には、大きくこんなタイトルが書かれていた。


『お義兄ちゃんと、一つ屋根の下』


 ついでに、それに掛けられていた帯には煽り文としてこう書いてあった。


『兄妹になった彼と私の、ドキドキ同居生活♡』

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