44日目 痴漢男の見栄

 社会人になって痴漢をし始めて二十年近く。今ではもう日課のような物になっていた。毎日対象を探し、実行してきたので、我ながらもうプロの領域なのでは、と自賛していた。

 そんな驕りが良くなかったのだろう。40歳の誕生日の日、内心熟練技と考えていた痴漢の技術をことごとく無視されて、「この人痴漢です」と宣言されたことで私の生活は変わってしまった。

 捕まった瞬間に私は罪を認めて、全力で謝りたおした。中途半端に逆ギレしたりすると逆効果となる。私は内心思っていたプライドの様なものを全て放り投げて、相手に土下座した。

 その結果、幸いにも長期間拘束されることはなかったが、電車での移動制限というやっかいなおまけがついてきた。

 痴漢者に対する、電車での移動制限というのは最近出来た制度である。痴漢だけではないが、悪質な犯罪に対して電車への乗車を拒否することが出来るという物だ。マイナンバーが行き渡り、交通系の機能もそこに取り込まれた結果、実現できたことだ。

 内心、やっかいな事になったと思いつつ、相手に対しては下手に出た。

「私も、自分自身がコントロールできていないと思いますので、こういった制限を加えていただけると、私としても内心助かる次第です。はい」

 私のそういった態度が良かったのか、それ以上のゴタゴタは避けることができた。


 私は、痴漢男だと思われることだけは絶対に避けたかった。

 解放された私は、会社に急な熱で休むことを告げて、その日のうちに会社の近くの住まいを探し始めた。それを探しながら、家には「急なトラブルで今日は帰れなさそう」と連絡した。

 家を探した後、私は一日中歩いて家までたどり着くと、妻と娘に「もう限界だ」と告げて、「一時的にでも、別居して頭を冷やそう」と告げた。家での私は良き父親であったので、妻と娘にとっては青天の霹靂だったようで、妻は何が悪かったのかわからない、と泣いてきたのだが、私はそれを無視して家を飛び出た。

 自宅から会社へは電車で一時間かかり、歩きだと5時間近くかかる。家から通うわけにはいかなかったのだ。

 それ以降、家が借りられるまでの間は、会社近くの漫画喫茶から出社することになった。


 仕事の方では、残業をしまくった。早く帰ってしまえば、時間料金がかかってしまう可能性あるのと、残業代をより多く稼ぐ必要があったのだ。

 しかし、その結果として仕事の成績はよくなった。そのせいで、私に対して思っていなかった話がきた。

「おめでとう。栄転だ」

 私の成果を見て、異動の話がきてしまったのだった。「受けられるね?」と上司に言われたのだが、栄転先は東京のど真ん中で、場所を借りるのも困難だ。

 私は言った。

「せっかくですが、すいません」

「どうしてだ」

「……実は私、今度退職しようと考えていたんです。妻や娘に捨てられてしまったのは、仕事のせいでもあったと思いまして」

 会社には、妻と娘については、相手から捨てられたのだと伝えていた。

 さすがに退職と言ってしまうと、栄転の話もなくなった。しかし、一度宣言してしまった以上、そのまま居残るのも変だ。私はリクルーティングサイトに登録しつつ、とりあえず会社は辞めた。

 退職して漫画喫茶にたどり着く。

 結局仕事も家族もなくなった。しかし、痴漢男だと周りから認識されることはない。それだけで私は満足だった。

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