第119話 頑張ることだけでも偉い

 接客業のコツはきっと笑顔である。ニコニコした店員さんに迎えて貰えれば客は幸せな気持ちになれる。


「iラっしゃiマせー。hEy!Raっしゃい!おOキに。あリGaTぅございやっしたa。」


 メイド水着を着て、お客さんを迎え入れている楪の目は死んでいた。ハイライトが消えて黒一色の闇そのものだ。そして笑顔は凄まじく硬い。


「おいカナタ。あの子大丈夫か?頭バグってないか?」


 ケーカイパイセンは憐れむような目で楪を見ていた。俺もたぶん同じような目をしている気がする。


「ええ、人見知りなんで今日はバグっちゃったみたいですね」


 さっきから楪は店の前でいらっしゃいませーって言葉を壊れたラジオの如く繰り返すだけだった。呼び込みの効果はお察しである。


「というかあんなところに突っ立ってないで、オーダー取りに行ったり、配膳したりして欲しんだが」


「でもそれすると体が固まっちゃうみたいなんですよね。あはは!」


「じゃあせめてチラシ配りくらいさせてこい。お前も一緒に行っていいからさ」


 ケーカイパイセンはさっきからきびきびと働いていたし、俺だってそうだ。楪は呼び込みという名の現実逃避だけをしている。このままではバイトにならない。俺はケーカイパイセンの提案に頷いて、楪に近づく。


「あっカナタさん?irassyaimase-!yakisobasukidesuka-?kakigooriもありますよー!」


 死んだ目で同僚の俺にいらっしゃいませしてるのマジで頭バグりすぎでしょ。


「楪。俺と一緒にまずはチラシ配りに行こう」


「チラシ…?ますたーチラシ寿司一丁!サビ盛り盛りで!ガリありありで!」


「頭がバグりすぎてるぅ!ホラ行くよ!チラシ寿司じゃなくてチラシを配りにな!」


 俺は楪の手を引っ張っていった。



















 国際空港のラウンジは好きだ。選ばれた高等な人々だけがここを使うことが許される。大したことのないインスタントコーヒーでさえここでは極上の香りとなる。もちろんセルフィーをとることも怠りはしない。ネクタイの角度を整えてから、僕はソファーに堂々と座る自分の姿をスマホに写す。


「ひろ。この出張って本当に必要なのかな?」


 僕の向かいのソファーには友恵が座っている。スーツの僕と違い、彼女は普段着だ。その恰好に違和感を覚える。昔は僕が外国に行くときに見送りに来るときはいつも友恵は着飾っていたのに。その淡々とした様子が僕には少し癪に障った。


「必要だよ。ブラジルのミリシャの王が僕より先に祭犠に挑むのはもう避けられない。だから先に小細工はしておかなきゃいけない。アナトリアの『際の揺らぎ』さえ押さえておけば、ミリシャの王の成功確率は大きく下がるはずだ」


「小細工なんかする必要ないよ。ひろ。それは昔うちらが憧れた王様のやることじゃないと思う」


「夢のためには手段は選ばない。それが当たり前だろう?」


 王が何たるかを友恵が語ることに苛立ちを覚えた。もともと王権を得ることを夢見させたのは僕なのに、いまや友恵はその夢の良し悪しさえも語ろうとしているのか?


「祭犠を主宰できる王相手に小細工なんて通用しない。逆に小細工が通じる相手ならそもそも祭犠を主宰なんてできない。放っておけばいいんだよ。あくせくと行動しなくてもいいのに。嫌だよ、ひろ。いまのひろは不安を誤魔化すために爪を噛む子供みたい」


「僕は子供じゃない。もう大人だ」


「ひろ。うちらはまだ大学生だよ。大人にはなり切れてないよ。ねぇ。この夏は日本に残ってよ。それでうちらと一緒に楽しく過ごそうよ。焦らなくても、ひろは十分頑張ってる。だからきっと夢はちゃんと叶…」


「夢は何もせずに叶ったりしない!殉じて初めて形を成すものだ!」


 僕は持っていたコーヒーカップを友恵の足元に向かって投げる。カップが割れて、コーヒーは彼女の靴を黒く汚した。


「ひろ…。うちはね」


 友恵は弱い女のはずだ。こうすれば震えるはずなのに、ただただ僕を哀しそうな目で見詰めている。その瞳は嫌だ。僕を見る人の目は、憧憬以外あってはいけないんだ。不快だ。酷く不快だった。僕はソファーから立ち上がる。まだフライトまで時間はあった。だけどここにはもういられない。


「待って。ひろ。うちはただひろは頑張ってるって知ってるから…。全部ちゃんと知ってるから…」


 何を知っているというのだろう。友恵が僕の何を知っているというのだ。僕の成すべき夢は知っている。だけどそれで僕のことが理解できるわけじゃない。僕は女から憐れまれるようなチンケな男ではないんだ。友恵に背を向けて僕は搭乗口に向かう。世界が僕を待っている。だからもうここにいる理由なんてないのだ。




























『逃げたいだけのくせに…弱虫…』









































 夏のビーチは多くの人で賑わっていた。俺は手に抱えていた立て看板を組み立てて、砂浜の上に立てた。


「よし楪!チラシ配りだ!」


「チラシ配り…!古より伝わるマーケティング…!カナタさん、わたし提案があるんですけど!」


「なに?どんな提案?」


「わたしが組んだAIアルゴリズムはSNSにて効果的かつ刺激的な広告効果を生み出します!!」


 楪は胸の谷間からスマホを取り出して、俺に画面を見せつけてくる。頭のいい馬鹿がろくでもないことを思いついたときに見せる笑顔を浮かべている。


「このAIアプリはこのビーチにいる人たちの持つSNSアカウントに対して優れた行動誘導を含む各種広告情報を送り込みます!!お客さんは自ずとお店に殺到するでしょう!!」


「へー?すごいねー。つまり何がいいたいの?」


 まあ楪が言いたいことはもうなんとなく察しがついている。


「だからチラシ配りなんて古典的な手法ではなく、最新の科学的手法を用いて集客を達成できるんですってわたしは主張してるんです!!」


「楪ーお前の言いたいこと超わかるー」


「わかりますか!流石ですカナタさん!だからチラシを配るのはなしに…」


 チラシ配りがしたくないだけで、最先端科学を駆使しちゃうのマジで阿呆の所業である。そんなチートは認めません!


「それはダメです。俺は理解のない彼くんを目指してるんで、女の子に過酷な労働を迫るのが大好きなんだ♡」


「カナタさんの反社!鬼畜!震えるほど悪党ですね!ううっ!やるしかないんですね…」


 どよーんと肩を落としつつも楪はチラシを手に抱えた。そして俺たちの近くに女子大生らしきグループが近寄ってきた。


「お。あのグループなんかいいんじゃないかな?チラシ渡してきなよ。ちゃんと見守っててやるからさ!」


「カナタさん…!わかりました。見ててください!わたし行ってきます!」


 楪はぎこちなく女子大生のグループに近づいていって。その横を素通りしていった。そして女子大生のグループは俺たちの横を過ぎ去っていった。


「おい。なにやってんだ?」


「カナタさん。あの子たちはうちの客層とはちょっとズレてる気がするんですよね。チラシも限りある大切な資源ですよね?来てくれなさそうな人に配っても意味ないんじゃないかなって?」


「頭の良さそうな言い訳がすごくダサいよ!頑張れよ!薩摩おごじょ!別に怖いことなんてないから!チラシを渡すだけ!」


「でもカナタさん!もしチラシを拒絶されたらどうするんですか!それってあれですよね!告白してフラれるようなもんじゃないですか!」


「チラシ配りにそんな悲痛な覚悟はいらない!!ほらまた女子グループ来たから行ってこい!」


 俺は楪の背中をそっと押す。楪はまたも女子グループに近づいていくが、やっぱり素通りした。だけど今度はちょっと違った。近くにいた小学生くらいの男の子の前に立つ。


「ぼくぅ?どうですか?わたしのお店で楽しいことしませんか?うふふ」


 体をくねらせ、おっぱいをブルンブルンと揺らしながら男の子にチラシを渡した。男の子は顔を真っ赤にして楪を見詰めいた。ああ…こうやって男の子はエロに目覚めるんだね…。


「やりましたカナタさん!チラシを渡してきましたよ!!」


 楪はすごく誇らしげな笑顔を浮かべている。可愛いので、一応俺は彼女の頭を撫でてやる。


「なんで子供に渡したの?」


「じ、自分より小さな子供なら…チラシを断られても傷つかないかなって…」


「チキンハート!!」


「でもカナタさん!わたし!今ので目覚めましたよ!チラシ配りは怖いものじゃないんだって!」


「そっか…それならいいけどね。うん。いいんだけどね…」


 でもさっきのあの子はきっと性癖がぐちゃぐちゃに歪まされたんだろうなって。きっと将来はメガネおっぱい星人という罪深い所業に耽るのだろう。まあ男なんてみんなおっぱい星人だし別にいいか。そこからの楪はちょっとつよつよになった。女子グループ相手にチラシを必死に配って回った。断れられてもめげずにチラシを配りまくった。


「カナタさん…!チラシが!チラシが一枚もなくなりました!!」


「おお!やったじゃん!楪おまえはすごいよ!頑張った!すごく頑張った!」


 俺は楪を労う。頭をいっぱい撫でてやる。楪は嬉しそうな顔で俺にぎゅっと抱き着いた。


「えへへ。頑張りました!」


 チラシ配りは何とかこうしてこなせたのである。






小ネタ 社名


スオウ「社名なンだが、常盤組のフロント企業らしく、それ相応に威厳のある名前にするのがやっぱりイイか?」


カナタ「フロント企業じゃないからね。まあ社名については口を挟む気はないよ。好きにしてくれ」


スオウ「そウか?ならば…一つつけたい名前がアる」


カナタ「何て名前だい?」


スオウ「オブリガーダ。そウ。株式会社オブリガーダ。そウしたイ」


カナタ「オブリガーダ。ポルトガル語で『ありがとう』の女言葉か。いいね。かわいいよ」


スオウ「オブリガーダ!ふふふ。そウ。オブリガーダだ。この会社はオ前への感謝でできてイるから…」





 チラシ配りを終えて海の家に戻ってきた。店内は多くの人で賑わっていた。


「よし。このままの勢いで、楪にはレベルアップしてもらおうかな。オーダー取ってきて」


「オーダーですか…!カナタさん。いっそここはDX化を経営判断してみるのは…」


「機械がオーダー取る海の家なんて邪道だね!言い訳はいいから行ってこい!」


 俺は楪の背中を押す。そして楪は大人のお姉さんグループの座るテーブルに向っていき。


「ご、ご、ごちゅう…もん…いかがですか?」


 言った!すごい!一発目からオーダー入れた!すごく成長してる!!


「うーん。じゃあとりあえず生三つと焼きそばとソーセージとイカ焼きください」


 俺のいる厨房からではお客の顔は見えないけど、オーダーが入ったようだ。そして楪はこくこくと頷きながら注文をお客さんから聞いて、厨房の俺の方にてちてちと寄ってきて。


「注文貰いました!注文です!カナタさん!」


「そっか。じゃあ注文の内容を聞かせてくれ」


 聞き耳立ててたから中身は知ってるけど、一応聞いてみる。


「は、はい!えーっと、確か…うーん。あれ?あれれ!?」


 楪は困ったようにオーダーシートを見る。そこには何も書いていなかった。バイトあるあるだけど注文を聞くのに必死でメモするの忘れちゃうときとかあるよね。


「落ち着いて。楪の頭ならちゃんと覚えてるんじゃないかな?」


「え、えーっと。その!はっ!思い出しました!注文は!生焼きそば!生ソーセージ!生イカ焼きです!!」


「生がバラバラになって他のにくっついちゃってるぅう!?」


 楪は緊張のあまりポンコツになってしまったらしい。まあ最初の一回目だしこんなものかもしれない。おれはすぐに注文された料理を用意して、生ビールを三つ入れてお盆の上にのせた。


「寮が多いから一緒に持っていこう」


「ありがとうございます!」


 俺と楪はお姉さんたちグループに近づく。みんな派手な水着を着ていた。その中でもひときわ目立つ水着のお姉さんがいた。ワンピースタイプの水着だが背中は大きく大胆にカットされて背中の肌が艶めかしく見える。そして正面もまたお臍の下から胸まで開かれている。大きい乳房をしているがあえて谷間を作らないで魅せつけるというデザインがすごくセクシー。ウェーブががかった茶色い髪の毛も色気を振りまいている。


「失礼します。注文をお持ちいたしました。…あれ?」


「わー。ありがとう…ありゃ?」


 派手な水着のお姉さんと目があった。その美人さんとは面識があった。


「キリンさん?」


「はりうっどくん?」


「「どうしてこんなとこに?」」


 お互い息ぴったりで台詞が被った。夏の陽気はこういう面白い偶然を運んでくるのだと、俺は初めて知ったのだった。









***作者のひとり言*** 



生焼きそばとか絶対に食いたくない('_')

でも初めてのバイトだとこういうミスはやりがちですよね。

順調に社会の荒波に揉まれている楪ちゃんが筆者的には可愛い回でした。




ちなみに葉桐くぅうんは海外に逃亡したので、夏編には一切出てきません!!

やったぜ!




これからも嫁うわをよろしくお願いします。



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