第50話 なんでもいいけどちがうこと
俺と葉桐は暫く睨み合っていた。傍にいた五十嵐は突然俺が現れたことに驚いてオロオロしている。
「常盤くん?!どうしてここに?あのね。私は別に。宙翔は幼馴染だから…その…」
何か言い訳染みたような物言いだった。葉桐は冷たい言葉を放って、五十嵐の言葉の続きを言わせなかった。
「理織世はちょっと黙っててくれ」
葉桐は俺の手を振りほどいた。堂々と俺の目の前に立つ。
「どうして君がここにいる?ここは僕の所有する不動産だぞ?このパーティーに招待した覚えもないんだけどね」
「なに?ここお前の部屋なのか?!…ああ…ミランが言ってたタワマンってここだったのか…」
いつぞや聞いた六本木の葉桐の部屋ってここだったわけだ。なんだよこの偶然。出来過ぎてて何かが恐ろしい。
「まさか君はここに偶然来たのか?」
どこか戸惑いのようなニュアンスを葉桐から感じた。俺がここに偶然来たと疑ってない?俺が葉桐なら言い訳だと斬り捨てるのだが。
「だったら何が悪い?」
葉桐はまだカウンターに座っている五十嵐をひどく冷たく、なのにどこか悲し気な目で見下ろし。
「理織世…君は本当に呪われてるんだな…いつもこうだ…まったく…」
憤りのような重たい息を吐いて、葉桐は首を振る。五十嵐はどこか気まずそうに俯いた。
「何を一人で勝手に納得してる?俺を無視するな葉桐」
「ボクはむしろ無視させてほしいと、君に頼みたいくらいだ。できればこのまま静かに出ていってくれるといいんだけどね」
「せっかくのパーティーから追い出すのか?招かるざる客の一人や二人くらい受け入れるのが、主催者の器じゃないのか?」
俺は諧謔的に挑発をしてみた。今の葉桐の様子はどこか変だ。さっきまでは楽しそうにしてたのに、今はひどく疲れ気味な様子だ。
「はぁ…。そうだね。そう。そうかも知れないね。だけど僕は君の顔を見たくない。君は
葉桐は俺たちに背を向けて、ゆったりとした足取りでその場を去ろうとした。意味がわからなかった。いつもなら何かしら挑発的な物言いをしてくるはずなのに。張り合いがない。無さ過ぎて君が悪い。
「おい。どこいくんだ?いつもみたいに何か言ったらどうなんだ!」
「よくない人間相手に言葉をかけても無駄だよ。君は僕の言葉では行動が変わらないんだからね。…でもそうだね。置き土産くらいは残しておこうか」
葉桐は冷たい目で俺を見ている。だけどいつもと違って覇気がない。
「ゴールデンウィーク。僕と理織世は旅行に行く。では常盤奏久。パーティーを楽しんでいってくれ。それでは失礼」
そう言って葉桐はステップフロアから降りて、去っていった。追いかける理由はないし、同時にやる気も起きない。ゴールデンウィークに旅行に行く。その言葉で酷く嫌なイメージが湧いた。忘れてはいない。葉桐と五十嵐はゴールデンウィークが終われば、付き合い始める。つまりその旅行で二人は結ばれる。
「あの!あのね!常盤くん!その違うの!旅行のことはね!」
五十嵐が椅子から立って、俺の傍によってきて腕を掴む。
「いや。違うって。何が違うの?旅行でしょ?お前とあいつが旅行に行くんでしょ」
「だから違うんだって!ねえ!聞いて!私の話を聞いてよ!旅行の事は!」
「2人で旅行に行くような仲なのにこの間は俺と朝帰り?そりゃご両親も怒るよ。うん。はぁそうだな。うん」
タイムリープして何が変わったんだろう?立場が入れ替わっただけなんじゃないのか?俺の方が間男っぽいことしてる。結局は繰り返すのか。何もかもを。
「違うの!全然違うよ!私の話を聞いてよ!違うの!違うんだって!」
「何も違わない!」
俺は五十嵐を振りほどいて、ステップフロアから降りる。
「待って!待ってよ!私の話を聞いてよ!お願い!ねぇ!待ってぇ!」
前の世界もそうだった。結局は俺の手から理織世という女は離れていく。前と違うとしたら、五十嵐がどこか言い訳がましいことだけ。ちがうの!ちがうの!女の子はいつも違う。それ自体が間違いなのに違う違うと首を振って誤魔化し続ける。この前の夜。頬に口づけされた時。俺は嬉しかったのに。その甘い感触はもう俺以外の誰かのものになる。
「待って。ねぇ!私今日はヒールなの!そんなに早く歩けないよ!お願いだから!待ってよ!お願いだからぁ!」
俺は早足でパーティー会場を歩く。その後ろを五十嵐が追いかけてきていた。なんでそんなに俺を繫ぎ止めようとするんだろう。いいとこどりしたいのか?あんな子供だましのキスだけで、心躍る俺は滑稽だったか?でもね。それは昔の俺だよ。だから。
「あっ!ハリウッドくーん!やっと戻ってきたぁ!もう!ひどくない!放っておくなんて!」
キリンさんが俺に向かって手を振っていた。彼女の周りには無数の男たちがいた。イケてる男たちにキリンさんたちはチヤホヤされていた。楽しげに見える。そこへ俺が近づいてくるもんだから、男たちがどことなく嫌そうな顔をしている。彼らは彼女の愛を欲しがっている。いいね。張り合いがあるよ。
「もう!女の子放っておくなんて悪い男だよね!ちゃんと女の子から目を離さないでかまっ…きゃ!…あっ…」
俺はキリンさんを抱き寄せて、その頬にキスをする。すると俺の背中から響いていた五十嵐のヒールの音がその瞬間止まった。
「…ふぇ?…ハリウッドくん…?今の…?」
キリンさんは戸惑いの声を出している。頬を赤く染めて、恥ずかしがっている。俺は笑みを浮かべて、周りの男共を睨む。
「お前らは消えろ。この女は俺のモノだ。うせろ」
男たちへの威嚇はそれだけで十分だった。自分の雰囲気が怖いものだと解ってる。男たちは俺を恐れたのだろう。何も言わずにその場から散っていった。
「行くよ」
「行くって?え?何処へ行くの?」
「ここよりもっと楽しいとこ。わかった?」
どこか惚けたような顔でキリンさんは頷いた。俺に少し体重を預けて、腕に絡んでくる。
「常盤くん…私は…。違うのに…。違うよ…違うんだって…」
振り向くと五十嵐は両手で口元を抑えて震えていた。その時、後ろ昏い悦びを感じた。ああ、そうだったんだ。前の世界で俺が見たかったのは、きっとその顔だったんだ。俺はすぐに五十嵐から目を逸らす。そしてパーティー会場を後にして、ビルから出た。陸橋の下を通って、東京タワーの方へ向かって歩いていく。いかがわしい店ばかりが面する通り。すれ違う男たちはキリンさんを見て、何処か俺に羨望の眼差しを送っていた。俺はもう前の世界のモテない可哀そうな男ではない。五十嵐以外の女だって選べる強い男になったんだ。モテモテでキラキラなイケてる男。そして路地裏に入り、しばらく歩いて、俺はラブホ近くにあった自販機の前で止まる。俺は自販機からミネラルウォーターを買った。
「どうしたの?お酒飲み過ぎた?」
キリンさんが何処か心配そうに俺を覗き込む。だけどその顔にはどこか上気した赤みが差していて、何かを期待するような瞳の輝きがあった。
「いいえ。もう酔ってないです。…むしろのぼせてた。…馬鹿みたい」
俺はキリンさんの手を優しく解いて、ミネラルウォーターを頭から被った。冷たい水の感触が俺の気持ちを落ち着けてくれた。
「え?!なにやってるの?!シャワーなの?!ラブホ入る前なのに気が早くない?!」
俺の奇行にキリンさんがすごく戸惑っているのがわかる。首を犬のように振って、水気を飛ばし、髪の毛をかきあげる。
「あのー。すみません。その…そういうつもりじゃなかったんです」
「そういうつもりじゃないって…え?ええぇ?!何言ってるの?!私全然オッケーだよ!てかもうホテルの前じゃん!?ハリウッドくんってここで日和るようなキャラじゃないでしょ!?」
「いやーその…すみません。今日あなたをこんな邪な気持ちで抱いたら、俺はマジ物のクズになっちゃうんで…」
五十嵐相手の当てつけにキリンさんを利用した。それで俺の心の澱は空くんだけど、そんな行為のついででキリンさんを抱いたらすごく申し訳ないと思う。確かにキリンさんは”軽い”女かも知れないけど、それでもプライドはあるだろう。
「邪な気持ちって…まじめ?……あなたみたいな人初めてだなぁ…ヤれれば男はそれでいいんじゃないの?」
「俺は気持ちがないと駄目みたいです。今日一日で、あなたのことを尊敬したんで、今の気持ちで抱くとかは無理です」
例えばウェイウェイやって何かの拍子に気持ちが盛り上がってエッチしました。とかならいいのだけど。今日のあれは違う。
「さっきの灰っぽい茶髪の綺麗な子のこと?」
「やっぱり気づいてました?」
「気づくよ。あの子、君が私にちゅーしてるの見てショック受けてるみたいにみたいに見えたもの。だけど私、あんなチュー初めてだったよ。すごくドキドキしたんだけどなぁ…」
キリンさんは唇を少し尖らせている。不満気に俺を真っすぐ見詰める。
「ねぇ別にいいじゃない。私言ったじゃん。恋はどうしようもなく心を傷つけるよって。だから軽い方がいい。あの子みたいな顔はしたくないよ。ねぇ。行こうよ。2人でいっぱい気持ちよくなろ?」
妖艶に俺にしなだれかかって、キリンさんはそう囁く。魔女みたいに、でも何処かその声の奥は寂しそうに思えてならなかった。
「ごめんなさい。…今日はもう帰りましょう。迷惑かけちゃいましたね。タクシー代は出すんで…」
「いやだ!!帰りたくない!!」
キリンさんは俺に向かって怒鳴った。メッチャ目を吊り上げてプリプリと怒っている。
「私今めっちゃ恥かかされたよね!!久しぶりに滅茶苦茶気持ち盛り上がってるのに!ハシゴ外された!!拒否られた!すごく傷ついた!恥かかされた!」
「すみません。何かしらお詫びは考えますから…今日は取り合えず帰りま…」
「いやだって言ったでしょ!!お詫びする気なら、ハリウッドくんも恥かいてよ!!私の気持ちを宥めてよ!滅茶苦茶恥ずかしい思いして、私の気持ちをわかってよ!!いますぐに!!」
「ええ…そんな無茶な…」
「いやだいやだいやだ!恥かいて!今すぐすごく恥ずかしいことしなさいよ!」
なんか子供みたいに喚き始めた。すごくめんどくさい。軽い女設定はどこ行った?
「具体的にどうすればいいんですか?」
「あーやだやだそういうとこだよ!情けない男っていつも「何食べたい?」「何したい?」「なんでも言って」っていちいちうるさいの!私に聞くな!私もわかんないのに!自分で考えてよ!!私を宥めたいんでしょ!ほら!早く!考えて!
むーってむくれながら俺の事を睨むキリンさん。なんだか不思議と可愛く見えた。
「恥ずかしいことねぇ…わかりました。めっちゃ恥ずかしいことしますよ。ええ」
なんかキリンさんの言っていることに、前の世界の付き合いたての頃の五十嵐を思い出した。「何か食べたいものある?」って聞くと不機嫌そうに「なんでもいい」って言っていた。女の子の「なんでもいい」は男には難しい。なのでまじでなんでもいいことしてやろうと思いました。
「ほんと?!ほらほら!早く恥ずかしいこと…ってええ?!」
俺はキリンさんを抱き上げた。所謂お姫様抱っこというやつである。
「どうです?恥ずかしいでしょ?」
「ええ?ちょっと?!いやこれ!恥ずかしいの私じゃない?!」
「俺めっちゃはずかしいですけど。絶対痛いでしょお姫様抱っこする奴って」
俺はそのまま彼女をお姫様抱っこしながら、東京タワーの方へ歩いていく。
「きゃ!わー!なにこれ!ふえぇえ!あは、はは。なにこれ?!あはは!あははは!!」
キリンさんは俺の首にしがみついて、笑いだす。
「ヤダヤダ恥ずかしい!あはは!すごくはずい!こんなの初めて!あはは!」
キリンさんは顔を真っ赤にしてるのに、楽し気な声を上げていた。すれ違う人は俺たちを唖然とした顔で見ていた。キリンさんは足をバタつかせながら、鼻歌を歌いだす。俺も合わせて適当に鼻歌を歌う。
「ハリウッドくんは悪い人だねぇ。こんなに恥ずかしいこときっと一生忘れられないよ。どうしてくれるの?」
「そんときゃもっと恥ずかしいことしてあげますよ。記憶を上書きするのが女の子でしょ」
「ううん。そんなことないよ。忘れられないこともあるよ。それが未来の足を引っ張っちゃうの」
「じゃあこのお姫様抱っこは未来であなたの足を引っ張りますか?」
「そんなことない。きっと…きっとステキなまま残り続けて…。勇気をくれると思うよ。私はそう思うの」
キリンさんは俺にぎゅっと抱きつき、顔を近づけてきて、俺の頬、唇ギリギリでキスをした。これくらいで俺の心は満たされる。だからとても今が気持ちいい。休憩を入れながらだらだらと歩いて。そして東京タワーにつき、俺はキリンさんを下ろした。その頃にはもう空は明るくなりはじめていた。
「男の人と青くなっていく空を見るとは思わなかったなぁ。大抵その時間はホテルで寝てるもの」
「たまにはいいでしょ。こういうのも」
「そうね。たまにはいいわね。うふふ」
東京タワーと共にみる明るくなっていく空はとても綺麗だった。こんな散歩デートもいいかも知れない。
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