第四章 ウルザイン家の人々
第58話 【序】崩れ行く家
空を見上げる。
そこにあるのは、一面の黒。
視線を下げれば、目の前にあるのは中庭に
燃えているのだ。それらが。
難燃性の木材に炎が纏わりつき、あちこちで木肌が爆ぜ火の粉が舞い散る。赤い
あの塔も生きているんだよな。
ユイという存在を身近に持つ俺は、その塔が燃え盛る様を見て少しばかり心が痛むのを感じる。
樹精とは言え、痛いのだろうか。苦しいのだろうか。
燃える塔を見ていると、その陰から飛び出してくる存在がひとつ。この炎と黒煙のような赤い髪と黒い翼を持つその少女、エルナは気持ち良さそうに空を滑る。
良かった。
ようやく解放されたのか。
気持ちよさそうに空を舞うエルナをひとしきり眺めた後で、思考を現実に戻す。
眼前には無数の武装した兵士。
良く訓練されていることが見て取れるその兵士達は、無言で俺達を逃がさぬように連携しながら、徐々に距離を詰める。
兵士達の手には煌々と輝く剣。いわゆる神具であり、魔人をも切り裂く武器。
こいつらの狙いは、自分――そして、隣に立つアカリ。
魔を征する貴士の一族。その兵達が俺達を殺そうとして取り囲む。
さて、正念場だ。
乾いた唇を舐めて湿らした。
コヴァニエ砦で人間達と正面を切って戦った時のことを思い出す。
「もう、とやかくは言わない。
いくぞ、アカリ。
あの兵士達を突破して、駆け抜ける。本館に行くぞ。
突破は俺がやるし、その後は俺がお前を護る。
無事に駆け抜けることだけを考えろ」
そう言うと、アカリがこくりと顔を頷かせているのが見える。
よし。
それを見届けた俺は、手にした赤の短剣に光を纏わせながら、雄叫びを上げるために息を深く吸い込んだ。
***
傍らに着弾したその巨大な火箭が、一瞬の間をおいて光を放ち、次いで轟音を放ち空気を震わせた。
しかし火箭が光を放つ頃には既にルーパスはその場に居ない。
どんなに威力があったとしても、それが当たらなければ何の意味もない。
次の瞬間、その狼の
「避けられたか。単発でだめなら、連射してみよう。
第二隊、第三隊はそれぞれ魔王の左右に狙いを定め、第一隊は魔王そのものを狙ってみてくれ」
射て、という合図の音を聞きながら、
しかしそもそも火箭が放たれた次の瞬間にはそこに居らず、弩弓から放たれた極太の火箭がいくつもの火柱を上げるも虚しいばかりであった。
「あの素早さは、尋常ではないな」
その呟きを拾い、弩弓を操作する兵は声を震わせながら叫ぶように言う。
「あれでは、当てることはできません!
どうしましょう、このままでは門の護りが意味を為しません!」
「狼狽えるな、門は通さなければその効果を発揮していると言えるのだ。
眼前の敵を退けるのはまた別の存在の役割なのだから」
自分でも当たり前のことを言っているように思う。
目の前の魔王と呼ばれている存在をそこに釘付けにできるのなら、それで十分な戦果と言える。
――普段だったなら、という但し書き付ではあるが。
「止むを得ぬ、私が出る。
お前たちは援護を頼む」
「いくら導師でも、魔王の前に単身で立たれるのは危険ではないですか!?」
全くその通りだ。
そもそも魔王だの魔将だのという存在は、人間とは隔絶した力を持つ脅威という意味でもあるのだ。
アレらをまともに相手できるのは、アイテル様達くらいなものだろう。
「単身だったら、まず立ち続けていること自体が不可能と言えるだろう。
だがな、私は単身ではない。
この門塔と、城壁にいる兵士達と、全てが私の力となってくれるのだ。
そうだろう?」
そう言いながら、着々と装備を身に付ける。
短期決戦なのだ、普段は出し惜しみするような特級神具を惜しげもなく使う。
「そんな心配そうな顔をするものではない。
存外、ここで魔王を倒せてしまう可能性だって、決して低くないと私は考えているのだぞ?」
そう言って、導師と呼ばれた男はニッと笑って見せた。
***
暗い闇の中。
フォルテンは思う、どうしてこうなってしまったのかと。
彼の身内。
誰がフォルテンを狙っているのか。あるいは結託しているのか。
誰と誰が殺し合っているのか、全く分からないのだ。
分かりたくもない。身内同士で殺し合うなんて。誰が誰を狙っているかだなんて。
(フォルテン、怪我の治療も終わりましたわ。
まだ痛みはありますか?)
(ありがとう、
暗くて相手の顔も良く見えない。
息がかかりそうなほどに密着している状況だが、隠れ潜んでいる身としては文句も言えない。
(ご家族に襲われているその辛さ、察して余りありますわ。
ですが……)
そう、いつまでも隠れているわけには行かない。
反撃して、その中で誰がこの惨劇を引き起こしたのかを見極めなくてはならない。
……身内の中から。
いずれにせよ、一つだけ分かっていることがある。
それはもう、この家は終わりだと言うこと。
死んだのは、殺し合いに動いているのは、一人や二人ではない。
こんな死に憑かれた家を、この先、誰が認めると言うのか。
(わかっている、オティリス、そして皆。
私達は決着をつけなくてはならない。例えそれが、私にとっての誰であろうとも)
数百年の歴史を誇る、魔を征する強者の血筋と謳われた家。
それが、こんな呪われたような終わり方をするとは。
きっかけは、自分が家に戻った事。
ならば、自分が行った事、その何かがいけなかったのだろうか?
だがそうしていなければ自分の命は既になかったろう。
(大丈夫だよ、フォルテン。
フォルテンは何も悪くないから)
小さな手が背中にそっと触れる。
励ましてくれる
しかし、仮に彼の生家が終わりを迎えたのなら、人間達は、無力な民は、あの魔の森とどのように対応して行くのだろうか。
もうひとつの征魔の家。
彼らが一強として、民は護られるのだろうか。
ユウ達は信じられる。少なくとも、今のところ。
それでも彼は魔族。
人間として、魔と向かい合う者達はどうしても必要なのだ。
くそ。
だから私は、こんなところで終わる訳にはいかないのだ。
「フォルテン、だいぶ人が近くに来ているぞ。
これ以上、ここに留まるのはまずい。そろそろ行くべきだ」
シュテイナが声をかけてくる。
「ああ、そうだな、私も覚悟を決めなくてはな」
そう言って立ち上がる。
そして、一歩。その一歩を踏み出したら、私は人倫を乗り越える覚悟を決めたことになるのだろう。
ひとつ息を吸う。
そして吐く。
さあ、行こう。
そうして、フォルテンはその一歩を踏み出した。
***
対魔族の最前線たる拠点、人族の砦と呼ばれるその場所で繰り広げられる、血と欲にまみれた闘争。
否応なく巻き込まれたユウ達魔族と、フォルテン達
始まりは、ほんの些細な出来事。
ちょっとした悪戯心を含む、子供じみた恐怖心を回避するために弄した策、それだけだった。
しかしその家に彼らが入った時に、否応なく様々な思惑が動き出したのだ。
それは長い冬がようよう明けてきた春の気配が漂う季節に、フォルテンがユウ達を訪れた時から始まった――
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