第41話 生きる標

「行っちゃったね……」


俺を気遣うように、隣で妖精が語りかけてくれた。


捕らわれていた避難民達が、森から出発したのだ。

あの後、美しくなった少女を見せ、改めて連れていくよう交渉したのだが、結果に変わりはなかった。


「ユウは、頑張ったよ!

すごい一生懸命だったから。

ね、元気だして!」

「ありがとうな。

振り出しに戻っちまったけど、人里は他にもあるだろ?

あの子にもっといい居場所を探してみせるさ!」


妖精が、懸命に励ましてくれた。それだけ途方に暮れているよう見えるのだろう。

実際に、ほんとどうしようかな、と悩んでいるのだが。


そんな、俺と妖精のやり取りを見ていたエルナが、俺に語りかけてきた。


「ユウ、これから、あたしと来て欲しい場所があるのだけど、いいかな?」


***


蒼穹。蒼く弓なりに空が続くさま。

その言葉が示す情景とは、このようなものだろうか。


俺の眼前にある、遮蔽物なく青く澄んだ空。広大な空間が半球状に拡がり、そして包み込まれるようにも感じる。

高速で走り抜けていく景色。


これが、エルナが見る風景。


いま、俺はエルナに抱えられて、空を飛んでいる。

抱えられるというと、無様に吊り下げられる情景が目に浮かぶが、ちょっと違う。

エルナは俺の背後から脇に手を差し入れているだけ。何故かそれだけで、全身を優しく抱えて貰っているかのように支えられている。


この世界の不思議な力のせいだろうか?

お陰で、これだけオープンな環境で空を飛んでいるにも関わらず、あまり恐怖を感じない。

それに、高速で空を飛んでいるのに、風の当たりが柔らかい。

視界の脇を流れる景色と比べて、明らかに顔にかかる風が弱い。でも、遮断されている訳でもない。

心地好い程度の爽やかな空気が、身体を通り過ぎて行くのを感じるのだ。


視覚と触覚のギャップに、不思議と快さを感じる。


「どう?空を駆けるのは気持ちが良いでしょ?」


エルナの声が聞こえる。

飛んでいる最中なのに、明瞭に聞こえるのは不思議なものだが、ひとまず今は気にするまい。


「ああ!本当に気持ちがいい!

ありがとうな、励ましに連れ出してくれたのか?」

「それもあるのだけどね!

あたしが行きたい場所は、もうちょっと先なんだ」


北の方角に向いて森の上を滑空していたが、やがて木がまばらになり、街道が見えた。その街道は、俺が辿った道と異なり、往来している馬車めいた乗り物や、徒歩の集団などが確認できる。


前の道が、全然通行人がいなかったことを考えると、それなりに使われている街道なのだろう。

……というか、街道の人間達からエルナも俺も丸見えだけど、それは良いのだろうか。魔王軍の尖兵!とか、騒がれなければ良いけど。


そんな心配をよそに、街道を横切り、少し離れた場所の切り立った崖の上の方、ちょうど腰掛けるのに良さそうな岩場にふわりと降り立った。

そのまま、エルナと並んで座る。


絶景。


どこまでも続いて行きそうな広大な森を見下ろし、ルーパスの住む丘を越えて見渡せる雄大な景色は、そう表現するより他に、ない。

やや風が強く吹いているはずなのだが、何故かエルナの周囲では、その風が穏やかになる。

その飛びきりの景色が故に、下を見ると思わずすくんでしまう。

出来るだけ見ないようにしよう。


「気持ちいい場所でしょ?」


エルナが、取って置きの宝物を出したような、誇らしげな笑顔で俺を見てきた。


「ここはね、昔……まだあたしが、あの女の子くらい小さかった頃に、お父さんに連れられて何回か来たんだ」


そう言って、言葉を切った。

エルナのお父さん!

そりゃまあ、いるだろうけど、今はどうなっているのだろう……

気になるが、こちらから聞くにはあまりに繊細な話なので、黙って続きを待つ。


しばらく黙って足をぶらぶらさせてから、エルナは再び口を開いた。


「もう、記憶もぼんやりしちゃっているんだけどね……

昔は、あたしと同じような翼を持った魔人達が、一緒に暮らしていたの。もちろん、お父さんも、お母さんも。

人間達が、あたし達の姿を怖がるからって、こんな感じの山の奥の方に村を作ってね」


正確な場所とかも良く覚えてないのだけどね、と小さく付け足しながら、周囲をぐるりと見渡す。

そのまま少し、言い淀むように、口をつぐむ。


「その日のことも、良く覚えてないんだ。それでも、時々、断片的に思い出しちゃうけど。

その日の朝、あたしは朝起きて、同じ年格好の友達と、遊びに行っていた……ような気がする。まだ上手く飛べない頃で、崖のあたりでかくれんぼしていて。

友達が探してくれるのを待っていたら、家の方から大きな音がして――」


そこで、再び言葉を失ってしまう。

しかし、ここまで聞けば、おおよそは察することができる。


「エルナ、辛いだろうから、それ以上は――」


エルナが何故この話をし始めたのか、その意図はまだわからないが、あまり辛い思い出を掘り起こすこともないだろう。

少しだけ黙ってから、少しだけ笑顔を取り戻して、エルナは続けた。


「ごめんね、もう、とっくに大丈夫になったつもりでいたのにね。

うん、細かいことはいいの。

ここで言いたかったのは、人間達に襲われた私達は、ほとんどが殺されて、隠れていた私と、村で一番強かったお父さんだけが生き残った。

それで、ぼろぼろに傷ついたお父さんは、私を抱えて、この森まで逃げたの」


エルナの目に、涙が浮かんでいる。

そんな過去があったとは。

言葉がでない。


「それでも、森に着いた後、気がついたらお父さんもいなくなっていた。

あたしは、泣きながら森のなかを彷徨さまよったわ。

何日も、ひたすらお父さんとお母さんをさがして。

そして、歩けなくなって倒れていたあたしを、ルーパスが拾ってくれたの」


過去の想いを馳せているのだろう。

エルナは、そう言いながら、森とルーパスの住む丘を眺める。


「その後、ルーパスは、あたしをここまで育ててくれた。

いろんなことを、教えてくれた。

寂しくないよう、森の仲間に加えてくれた。

それで、あたしはここに居られる」


ふぅ、と一息ついたエルナはこちらを向いて、俺の目を見ながら問いかける。


「ユウは、あの子を人間の世界に返そうとしている。

人の子は人の元へ。その理屈はわかるの。

でも、残された子には、あなたの想いは残らない。手を離したら、想いは途切れてしまう。

ユウがその手を離そうとするのは、本心?」


そう言ってエルナは、俺の目を覗き込む。


「あたしは、もし、見ず知らずの同族に引き取られることがあったとしても、ルーパスを選びたいと思う。

今なら、本当に大切にしてくれた、想いが分かるから。

あの人間達を見ていて、そこに想いなんて見つけられなかった。

ファシールさんは優しかった。でもね、仮に彼がまだ生きていたとしても、それでもあの子を一番想っているのは、ユウだと思うの。

ルーパスを見ていて、異種族の子供を育てるのは本当に大変だと知っているわ。

不安もあると思う。

でも、あたしは、いちばん想ってくれる相手に、側にいて欲しい。

それが、一番大切なことだと思うから」


一気に話してから、小首を傾げ恥ずかしそうに笑った。


「ごめんね、勝手なことばっかり言っちゃって」


照れて少し赤みがさした横顔に、少しどきりとしながら、目を逸らす。


「いや……ありがとう、いっぱい話してくれて」


話したくもないであろう、自分の過去まで話してくれて。

ここまで親身になってくれて。


「でも、俺はそこまでの自信はない。

あの子のことは、見ていて気になっただけ。ちょっとした好奇心なんだ。

そんな、浮ついた気持ちで、あの子の将来を決めて良いはずがない」


そう言って、俺は少しだけ顔を俯る。

それを見たエルナは、とててっ、と俺の前に移動してしゃがみこみ、見上げることで強引に視線を合わせてきた。


「ユウの想いはどこにあるの?

あの子を背負って、護りたいの?

それとも、他の人に任せて、見守りたい?」


痛い所を突かれた。

取っ掛かりは些細な事でも、ここまで関わり、感情移入したせいか、本当はすごく気になる。

他人がぞんざいに扱っているのを見たら、きっと腹が立つ。

それが俺の感情。


しかし、これは一時の感情。

時間がたてば沈静化していくだろう。

ならば、人間の手に委ねることこそが正しい判断。

理性がそう語りかけている。


しばらく、心の中で葛藤かっとうしている俺を眺めていたエルナは、ぴょこんと跳ねるように立ち上がり、俺の手を取る。


「今日は、こんなところまで連れてきちゃって、ごめんね!

あたしの伝えたいことは言えたから、良かったら帰ろうか?」


***


「それで、俺のところまで来たのか?」


エルナに連れられて森に戻り、お礼を言って別れたあと、もやもやした気持ちを抱えたまま丘を登る。

普段は不在がちなルーパスだが、今日は、庵にいてくれた。


「あんまり他者に関わらなさそうなルーパスが、どうしてエルナを引き取ろうと思ったのか、それが気になってね……」


ルーパスに、エルナから聞かされたあらましを伝えた後に、問いかけてみる。


「別に、深い意味なんてない。

あの子を見たとき、放っておけないと思った。だから拾った。

それだけだ」


何でもないことのように言う。

異種族の子供、それも感情豊かな魔人を育てるなど、尋常な苦労ではなかろうに。


「迷っているのか?」

「人間は弱いから、人間同士の仲間を作らないとダメだと思うんだよ。

そのためには、早くから人間達の社会に入れるようにしないと」


俺の理性はそう告げる。

俺は既に人外とラベル付けされた。

だから、側にいるべきでない。


「弱い?

エルナの一族は、その弱い人間達に滅ぼされたのだろう?」


ぐ、と詰まる。

返す言葉がないが、一人一人は脆弱で、繋がることが必要で……


「その弱い人間達が、今度は寄ってたかって、あの子供をしいたげるかも知れんのだぞ。エルナの一族をも滅ぼす、その強い結束力で。

あの無力な子供を、そんな世界に送り出すのは、俺には理解できん」


言われて思い出す、自身の幼少期。

そういえば、俺も庇護ひごしてくれるべき人がいなくなり、疎外感にさいなまれながら生きてきた。

あの子が、そうなるかも知れない可能性について想像する。


「だが、俺には子供を育てた経験もないから、ちゃんと育てられるか……」

「それを俺に言うのか?」


ごもっとも。

返す言葉もない。


「ユウ、お前は頭が良く回るようだが、今のお前は空回りしているようにしか見えん。

大切なのは、お前がどうるのが、自分が幸せだと思えるのか、だ。

お前があの子供を心から幸せにしたいと思い育てるなら、俺はそれがあの子供にとっても一番良い環境だと思うぞ」


ルーパスに、完膚なきまでにやりこめられ、とぼとぼと帰途についた。


***


少女を切り株に腰掛けさせて、後ろから髪を櫛けずる。

背中まで届く、艶やかな黒い髪が、さらりと手のひらからこぼれる。


妖精が何処からともなく持ってきてくれた清潔な子供用の服を着て、こうして座っていると、そのぴんと伸ばした背筋から来る姿勢の良さもあり良家の子女のように見える。


ただ、言われたことはそれなりに聞くので言葉は分かるようだが、自ら何かをしようとはしない。

その目は虚ろであり、およそ意思の光を見ることができない。

言われるまでもなく、この少女を誰とも分からない者の手に委ねるのは、不安しかない。

だが、だからどうしろというのだ?


俺は、人外認定され、寄る辺もない身。

住まいの大家は植物で、戻れば引きこもり確定。

出先は森のサバイバル生活で、ご近所さんは魔族。

更に、この俺は子育て未経験者で、ついでに我ながら育児に適性がない自覚がある。


あり得ないよなー……


思わず空を仰ぎ見る。

空を見ると思い出すのはエルナ。

彼女は言っていた。


(あたしは、いちばん想ってくれる相手に側にいて欲しい。それが、一番大切なことだと思うから)


いちばん想ってくれる相手。

言われてみると、自分も昔から、それを求めていた。


父母と分かり合えず、互いに遠ざけ合い、なのに理解を渇望していたあの頃。


空から視線を下ろす。

向こうに見えるルーパスの丘。

奴はなんと言ったか。


(大切なのは、お前がどうるのが、自分が幸せだと思えるのか、だ)


ちくせう、狼の分際で知ったふうな口を利きおって。

返す言葉もねぇよ。


少女の前まで回り込んで膝まずいて、目を見る。

何も見ていないような目。


俺は、何故、この子にここまで入れ込んでいるのか?

自分に問いかけるが、半ば答えは分かっている。


この、同胞から見放され、自分を見失い、途方に暮れている……ように見える子を、この異世界に意味も分からず放り出され、捨てられたような自分と重ねているのだ。

自己同一視、というのだろうか。


そして、もう一つ。

良く分からないのだが、初めて目と目があった瞬間、何か強く感じるものがあった。

以来、この子のことがずっと気になっていたのだ。

これが同世代の異性ならば、一目惚れとか言うのだろうが……そもそも最初は性別も知らなかったし、守備範囲外だし。


そこまで考えて思う。

ああ、自分がどうしたいかなんて、もう自分で分かっているんじゃないか。


「なあ、君、俺の子になるかい?」


少女の目を見ながら、問いかけた。


当然、返答はない。

焦点を結ばぬ目が、こちらを見返している。


だから、変化があったのは自分の方。

その言葉を口にしたことで、浮わついていた気持ちが逆にストンと落ち着く。

そう、エルナが言っていたな。


(ユウの想いはどこにあるの?)


遅くなったけど、いま決まったよ。


(あの子を背負って、護りたいの?それとも、他の人に任せて、見守りたい?)


そうさ、俺がこの子を護る。

この子を幸せにする。して見せる。

自分を見失った人間の子を、この世界に捨てられた魔人の俺が育てる。


完全に無理ゲー。

でも、俺がこの子を幸せにして見せる。それが、この世に落とされた俺の生きる目的。

俺が決めた。今、決めた。


「なあ、君、うちの子になるかい?」


同じ問いかけをする。

しかし、俺の心は決まっている。


この子の目を見ていると、何故か俺の目から涙が流れ落ちた。

くそ、この世界に来てから、妙に涙脆くなったように感じる。


その時。

少女の目からも、一筋の涙が流れ落ちた。


相変わらずの無表情だけど、涙が頬を伝い落ちる。

そして、両手を持ち上げた。

こちらに差し伸べるように。

能面のように、人形のように、ただ、涙を流し、手を差し伸べた。


俺は、そのまま抱き締める。

この子も、ぎこちなく、抱き返す。


涙は止まらない。でも、それもいい。

今、わかった。

この子が、俺の生きるしるべなのだ。

だから、初めてこの子と通じ合えた今、泣いてもいい。


「名前を……つけないとな」


流れる涙をそのままに、俺は語りかける。


「君は、俺がこの世界で生きていく目標であり、証でもあり、そして安らぎでもあって欲しい。

意味の分からない世の中に行く手を指し示す灯火ともしびであり、闇の中で迷う俺の行く手を指し示す灯台であり、帰りつく先の安らぎの炉火ろびであってほしい」


どれだけ、この子に頼るつもりなんだ。

我ながら、厚かましいなぁ。


そう思うと、少し可笑しくなって、少しだけ頬が緩む。

両肩に手を置き、そっと身体を話して、少女の目を見る。

相変わらず能面のような、しかし潤んで少しだけ充血した目。


灯織アカリという名前でどうだろうか。

この異世界を渡っていくのに、俺が自分を見失わないように。そして、君を見失わないように。

この名を、君が気に入ってくれると嬉しいのだけど」


人に、名前をつけるのは、何か照れくさい。

少し恥ずかしくなり、微笑んで誤魔化す。


もちろん、少女アカリは表情を変えないし、声も出さない。

でも、このしっかりと見返してくる目が、俺の想いを受け止めてくれたような、そんな気がした。


「俺は、俺のために、君を愛する。

必ず君を幸せに導く。俺自身を賭けて」


陽光降り注ぐ、初夏の昼下がり。

強い日差しが、風に揺れる木の葉の隙間からこぼれ落ちて、まるで光が雫になって舞い落ちるように二人に降り注ぐ。

ユウとアカリを祝福するように降り注ぐその光は、煌めきながら二人を照らしていた。


(第二章・完)

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