第40話 水たまりにて
本日は快晴也。
空は青く澄み、雲はつまんで千切って散りばめた程度。
太陽は燦々と輝き、風は程よく凪いでいる。
今、俺たちこと、俺とエルナ、妖精、老犬、蜂鳥、それにあの子は、揃って湖畔に来ている。
俺がまだこの辺をふらふらしている時に見つけた、岩場の影の水たまり。
これが俺の今回の目的地だ。
「お~、久しぶりにこの辺りに来たけれど、気持ち良いわね!」
エルナも楽しそうに飛び回っていた。
メフルに痛めつけられた右の翼だが、シーニスに治癒してもらうと、後は数日もすると勝手に良くなったらしい。
かくいう俺も、怪我はだいぶ良くなった。
魔人、と呼ばれるほどだから、身体の構造もだいぶ普通の人間と違って、丈夫にできているようだ。
「すげー、僕らもこの辺は始めてくるよ!
水がいっぱい!綺麗だなぁ」
「カゼがしめってて、オモいな!
おお、どこまでミズいっぱいで、ひろいな!イイな、これも!」
妖精と蜂鳥も、はしゃいでその辺を駆けずり回っている。
老犬は相変わらず、日陰で丸くなって、ゆったりと尻尾をふっている。
本日、ここまで来たのは、なにもピクニックをしに来たわけではない。
以前から目を付けていた絶好の水たまりで、この子を綺麗にすることが、本日の目的だ。
この水たまり、どうも底の方で湖とつながっているようで、水質はいつ見ても澄んだ状態を保っている。
大きさも、ちょうど露天風呂くらいで、深さも程好い。
格好の水浴びポイントとして、前から注目していた。
水温を上げてお湯にできないかな?と思い、メフルの落としていった赤い短剣を水に差して、力を籠めてみる。
この短剣、力を籠めると赤く光り、刃は高熱を発するのだ。
俺が前に使っていた木剣は、力を籠めるとガス状の粒子が刃の部分から湧きおこり、次第にアーク放電のようなに光りを放ち、最終的に剣を包み込むように光を纏う感じである。
見た目は、木剣に力を籠めた時の方が派手だが、物を切断する際には力を纏う短剣の方がかなり良い切れ味を見せてくれる。
水たまりの中で赤く光る剣身。
左手で剣を握ったまま、右手の先を水に浸す。
さすがに水温を上げるほどの熱量を発するのは難しいようだ。
それでも息切れするほど頑張っていたら、少しは温度が上昇したのを感じた。
「何やっているの?」
そんな俺のそばに、エルナがしゅたっと降り立つ。
「いや、水温を少し上げたくてね……この短剣は、力を籠めると熱を発するみたいだから、試してみたんだ。
でも、流石にそんな都合よくはいかないみたいだ」
「ふぅん?ちょっとやらせてみて」
エルナはそう言うと、赤い短剣を受け取り、その剣身を水に浸す。
彼女の白い腕がやや紅潮し、短剣が赤い光を帯びてゆく。
パシ、と音を立てて軽い火花を散らし、透明度の高い水たまりの底が赤い光を反射し、揺れる水面が紅色に煌めく。
……こんなに力に差があるなんて……
ちょっと愕然としてしまった。
ん?
温度を測るために水の中に入れていた手が温かい。
水温が急上昇しているのでは?湯沸かし器のようだよ!
「エルナ、ストップ、ストーップ!!」
危うく老人好みの熱い湯になるかと思った。
焦った。
「お水を温めて、いったい何をするつもりなの?」
蜂鳥と一緒に走り回っていた妖精が、いつの間にか隣に来て水たまりを眺めていた。
「これは、俺の故郷にあったお風呂、と言う奴だ。
この水に浸かって、体を温めながら、体の汚れを落とすんだよ。
この子がだいぶ汚れているから、綺麗にしてあげたくてね」
そういって、頭を撫でる。
「体を清めるのなら、いいものがあるよ!」
そう言って森に飛んでいったエルナは、しばらくして、サッカーボールくらいのサイズの、クルミのような形状の実を両手に抱えて持ってきてくれた。
つなぎ目を平行になるように地面に置いて、パカリと割ると、中から透明な液体が出てくる。
上にした方の殻の中には、液体を含んだ海綿状の物体が詰まっていた。
「これを取り出して、体に擦り付けると、アワアワになって汚れが良く落ちるのよ!
泡が立たなくなってきたら、こっちに溜まった液につけると、また泡が立つようになるの」
取り出した後の殻は、洗面器としても使えそうだ。
植物由来百パーセントなので、殻をそのまま森に還してやれば良く、自然にも優しい入浴セット。
相変わらず、なんでもアリだな、この森は……
――いや、何かちょっとおかしいよな。
自然発生にしては、さすがに、都合が良すぎるのでは……?
「どうやって入るの?」
「着ている服を脱いで、泉の外で水を浴びて体の汚れを落としてから、足先からゆっくりと入るといいよ」
考え事を始めたところで、妖精が声を掛けてくる。
上の空で、それに答えた。
「あ、気持ちよさそうだね!
ならあたしも入ろうかな!」
――ん?
今のはエルナの声?
ぎょっとしてエルナの方を向くと、まさに服を脱いで生まれたままの姿になったエルナがそこにいた。
もともとグラビアアイドルにも負けないと思っていたが、上体から腰にかけてのラインに無駄な肉がなく、それでいて丸みを帯びた胸が弾んでいた。
腰から下にかけて、太腿までなだらかなラインを描き、それが膝を経てきゅっとしまった足首まで優美に収束している。
……俺の位置からだと逆光になるので、見てしまったのは主にシルエットだけ。
なのだが、なんかまともに見てしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいいっぱいだ。
恥じらいはどこいった~!!
「スト――――ップ!!
エルナ、大事なところを隠せーーーーー!!」
「ほへ?
大事なところってなあに??」
「そこからか!」
……改めて、基本的な男女の入浴について説明をしました。
そもそも、森の中で『魔族』という、言ってみれば雑多な種族の中で育ったエルナは、同形態の種族を知らずに育ってきたため、裸体が恥ずかしいという概念そのものがなかった。
妖精族は人間にほぼ近い形態を持つが、こちらも裸を恥ずかしいと感じることはない、とのこと。ただし、服を着ないといけないと言う意識自体はあるようだけど。
とりあえず、その成り立ちから懇々と説明して、人間の文化の中では男女間で安易に裸体を晒すのは大変よろしくない行為である、と頭では理解してもらうことには成功した。
説明をしている間、目を輝かせて散々質問されたので、精神的な疲労はかなりのものだが。
本当にびっくりしたよ。
「でも、この子は女の子だけど、ユウがあらっていいの?」
胸と腰に、バナナの葉のような、大きくて長い葉っぱを巻いて隠したエルナが、腰までお湯につかりながら聞いてきた。
その煽情的と言いたくなる装いについてもどうかとも思ったが、そのニュアンスを説明できる自信も気力も残ってなかったから、まあいいことにした。
……え。
ああ、そうか、この子、女の子だったのか。
「この子は小さいから、まだいいんだよ!
いや本当は良くないんだけど!」
この子は、何歳くらいなのだろうか?十歳くらいかな?
お父さんとお風呂に入れる年齢はどれくらいだったか?
……コンプライアンス的にあまり良くない気がしてきた。
結論として、この子も葉っぱの水着で大事なところを隠してもらい、俺が背中や頭を洗ってあげて、大切なところはエルナにお願いすることにした。
ふぅ、と一息つきながら、湯舟――水たまりだけど、もう湯舟と思おう――に浸かる。
エルナにあの子、妖精、いつの間にか老犬まで、一緒に浸かっていた。
あ~、安らぐ……
「気持ち良さそうですね。
ご一緒しても構いませんか?」
「あ、はい、手狭ですが、どうぞお入りください」
ほんと安らぐ……
いや、ちょっと待て。
この、知らない声の主は誰だ?
声がした方を見る。
そこには、巨大な銀毛の熊が、ゆるりと湯に浸かっていた。
かなりリラックスした表情をして。
「熊!?」
慌てて立ち上がり、隣にいた子を庇おうとした。
そんな反応をしたのは俺だけで、他の面々はのんびりしたものだった。
「ユウは初めてだったかな?
紹介するよ。彼が、人間からアルジェンティと呼ばれている魔人なの。
穏やかそうに見えて、シーニスと同じくらい強いのよ?」
慌てた俺を見て、エルナが補足説明をしてくれる。
そうか、これは穏やかと見なさなければならないのか。
この森の常識は、なかなかに敷居が高い……!
ひとり
「驚かせてしまって、申し訳ない。
アルジェンティと申します。
今日は、向こうの狼どもが来ないように、エルナさんに頼まれましてな」
狼どもって、ひょっとして、俺の昔の体を食い殺してくれた奴らの事か。
「離れたところで見張っていたのですが、どうにも気持ち良さそうにされているので、我慢しきれなくなりまして」
そう言いながら、しきりに照れている。
「アルジェンティは恥ずかしがりだからね!」
そう言って、エルナがころころと笑った。
うん。
なんかどうでも良くなってきたよ。
「あの狼達って、何者なんだ?」
「彼らは、向こうの森に住んでいる魔人でしてな。
どうもルーパスのことを気に入らないようでして、たまに襲ってくるのですよ」
森の勢力間抗争か。
なるほど、俺は縄張り争いに巻き込まれて死んだ、というわけだ。
ルーパスの目が届かないところになると、独自勢力ができてしまうのだな……と理解しておく。
その後、この穏やかな
気持ちの良い一日だった。
***
「何をしているの?」
あの子を切り株に座らせて、長い髪に櫛を入れていたところ、後ろから妖精に声をかけられた。
「いま、この子の髪を
それより見てみなよ、すごい綺麗になっただろ!?」
全体的に清潔にして、髪にお手製ヘアオイルを少し塗り、くしけずるだけで、驚くほどの美少女に変身した。
夜の闇のように黒く、そして艶やかな髪。
瞳の色も黒く、涼やかな目元。
人形のように整った顔立ち。
将来は、どれほどの美人に成長するだろうか。
今から楽しみになってしまう。
「そんなにこの子のことが気になるなら、やっぱりユウが引き取ってあげたら?」
妖精が、期待を込めた目でいつものことを問いかけて来る。
そして、言葉にはしていないが、“そしたらこの森に住めばいいよ”と続くのだろう。
「いや、この子は人間の子なんだ。
人間の社会の中で暮らすのが一番良いはずだ。
少なくとも、寄る辺ない魔人の俺に、この子を育てる資格なんてないよ」
この森はとても気持ちが良い。
エルナも、ルーパスも、妖精達だって、とてもいい奴らだ。
でも、ここに俺のルーツはない。
少なくとも、今はそれを感じない。
世界を巡り、自分の目で確かめ、経験してから、その上で気持ちが定まれば、自分を受け入れてくれる場所に入れば良い、と思う。
しかし、この世界で、俺の居場所は、見つかるのだろうか?
人間社会から排除され、魔人の世界に入り切れない俺のルーツを作れるのだろうか。
頭をひとつ振り、自分の弱気を振り払った。
改めて、美しく生まれ変わったあの子を見る。
これならば、あるいは、あの人間達も気が変わるのではないだろうか?
あんな奴らにこの子を託して良いのか、という懸念はある。大いにある。
それでも、その先にこの子の幸せがあるのなら、その可能性があるのなら。
そうさ、奴らに預けて、旅すがら俺が様子を監視してやれば良いじゃないか。
ははっ、これじゃあいつらが心配していた通りの展開だが、それでも良いじゃないか。
この美しい子ならば、大丈夫だ。
明日また、あいつらに話をしてみよう。
そんなことを考えながら、俺は少女の髪を櫛で
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