第23話 行きずりの老紳士

「ユウ、またこんなところにいる!」


えんしょ、えんしょと小柄な身体を持ち上げて、息を切らしながら、砦にいた妖精少年が登ってきた。


「そんな怖い顔をしてないで、帰って、エルナのとこでご飯でも食べようよ!」


この妖精少年は、あれから毎日、俺の様子を見にやって来た。

気にしてくれているのだろうが、正直、少し鬱陶しく感じる。


突き放した方がいいかとも思うのだが、怒りの感情のたががおかしくなっている自覚のある俺は、変に感情を暴走させてしまうことを恐れた。

なので、無視を決め込んでいる。


日課のように俺に声を掛け、しばらく粘ってから帰っていく。

少しずつ粘る時間が短くなっていることに安堵し、砦を見る。


砦の日常は、特に変化がない。

時折、商隊か何かが、馬車の一団が来て、護衛をつけて去っていく。

祭りとか、バザールとか、何か付け入る隙がないかと観察するも、何も得るところがなかった。


もう、いいかな、とも思う。

後先考えずに突っ込んで、一人でも多く道連れにする。

それでおしまい。

それで解放されるのだ。


そんなことを考えていると、突然、後ろから声を掛けられた。


「何をやっているのかね?」

「はえっ!?」


思わず、文字通り飛び上がった。

一応、隠れていたつもりなのだが。

一応、周囲に気を配っていたつもりなのだが。

全く、気づかなかった。


声がした方を見ると、白髪を後ろに撫で付け束ねた、いかにも老紳士然とした男が立っていた。

隣の木の枝の上に。


男は、黒を基調とした布地に、金と銀の刺繍を施し、胸のあたりの大きな青い石を留め金のようにして合わせた服を、皺ひとつなく着こなしていた。

まるで糊付けされたスーツのように清潔感のある装いは、砦の破落戸どもとは一線を画している。


「……あんたは?」


「通りすがりの者だ。

気にしないでくれ。

それで、君はここで何をやっているのかね?」


こちらの質問は軽く受け流し、自分の質問を繰り返してきた。

軽く腹が立ちそうなものだが、この老紳士のように堂々とされていると、何故かそういう気にもならない。


「……あの砦の人間達に恨みを持つ者だ。

仕返しの機会を探っている」


親指で砦を指さした。

あの砦を凝視していたことは自明だし、なんとなくあの砦の雰囲気とこの老紳士の雰囲気は全く異なるように感じて、正直に答えることにした。


「それで、あんたは何をしているのだ?」


砦の方を見遣っていた老紳士だが、こちらを向いて口を開いた。


「人を探している。

名前はプルテニエ。

女性、髪の色は黒、肌は白い。

身長は君より少し低いくらいか。美人だ。

年頃は、そう、私の娘くらいの年齢と言えばいいだろうか。

おそらく髪は長髪、昔は私と同じ仕立ての服を着ていたが、今はわからない。

昔に別れたため、今の様相はわからない。

何か、見たり、聞いたりした覚えはないか?」


淡々と要件を話し、じっと俺の目をみる。

鋭く射抜くような視線。

内容は曖昧だが、真剣であることが伝わる。


しかし、俺はそもそも人間の知己自体が、ここにはいない。

砦でも、美人と呼べるような女性を見た覚えもない。


「悪いけど、見ても、聞いてもないな。

そもそも俺に、人間に知り合いはいないし、な」


そう言って、額の小角を指さす。


しばらく、その老紳士は俺の目を見ていたが、やがて一つ息をついた。


「そうか、分かった。

何も嘘をついていないし、隠し事もなさそうだ。

邪魔をしたな」


確かに言う通りだが、断定的に嘘や隠し事がないと言うとは、ユイのように心を読んだのだろうか。

そうだとすると、ユイと異なり記憶までは読めないということか。

記憶読めるなら、質問の意味がないしな。


改めて考えると、ルーパスも、エルナも、砦の人間達も、心を読める風ではなかった。

ユイは人外もいいとこなので別枠としても、人の心を探れるのであれば、この老紳士も特別な存在である可能性が高い、と思える。


「もし、万が一、君がそれらしき女性に会うことがあったなら、ティクトリスが待っている、とだけ伝えて欲しい。

私の名前だ」


そう言って、じっと俺の目を見続けている。

鋭いが、真摯さを感じる目線。

俺は、コクリと頷いた。


「ありがとう」


そう言って、ようやく目線を外し、俺の背中の木剣を見た。


「面白い物を背負っているな。

それはどこで手に入れたのだ?」

「世話になっている家のガラクタ部屋にあったのを拝借してきた。

あ、家主にはちゃんと断ったぞ?」

「見せてもらっても?」


俺は無言で木剣の柄を差し出す。

老紳士は受け取り、あちこちを確認した。


「良い品だな。

これが何であるか、知っているか?」

「え?

装飾品の木の剣か何かじゃあないのか?」


そう言うと、老紳士は、初めて口許を緩めた。


「これは、神術の練習道具だ。

その辺の木剣と一緒にするとは勿体ない」

「神術?」


初めて聞く単語だ。

ユイはそんなことを言っていなかったが……


「……なるほど、そこからか。

神術とは、生き物の持つ力を引き出し、操る術を言う。

体得できれば、大きな力になる」


なんと、知らなかった。

ユイは神術のことなど口にしたことがなかったが、そういえば俺はまだ、あの神樹の家で情報制限がかけられているのだっけ。

あの木剣を持ち出すとき、微妙な表情をしていたのはそのせいか。


だが、情報制限がかけられているのなら、聞いても教えてはくれないだろう。

教えてくれるなら、いくらでもその機会はあったはずだ。


「その、神術とやらは、どこで学ぶことができるのだろうか?」

「教会で教えている、と聞いたことはある。だが、信者の一部にしか教えていない、とも聞いたな。

いずれにせよ、魔人では無理だろう。

他は、知らないな」


教会……何教なのか知らないが、今の俺が行ってもろくなことがないだろうな。


「貴方は知っているのか?

もし知っているならば、教えてくれないだろうか?」


そう言って、頭を下げる。

俺は、砦の奴らに復讐するために、力が必要なんだ。

この作法で伝わるのかは分からないが、心を込め、深く頭を下げた。


「私も役目のある身、そうそう人に関わることも出来ない。

いまここでやってみせるくらいしか出来ないが、良いか?」


もとより、行きずりの人間にお願いするだけなのだ。

それ以上は望むべくもない


「お願いします」


それを聞くと、何のいらえもなく、老紳士は木剣の剣先を軽く持ち上げて構えた。


「―――神術とは、体中を巡る魂の力、すなわち『神』を、現世うつつよにて使う術。

血流に宿る魂により、通じ、分かち、与え、あるいは生みだす心の技。

この術具は、神力を与えることにより、芯が反応し、力を現出させる」


そう言うと、木剣の刃にあたる部分から青白い光が漏れ出す。

やがて、剣身を火花のような、放電のような光が包みこみ、青白い光る剣となる。

目的を忘れ、思わず見惚れてしまう、美しい光景。

これが、あの木剣なのか。


数瞬後、ふっと光が消えた。


「神術は、魂で力を操る術。

頭で考えて制御するものではない。

大切なのは、それが出来ると信じる心だ。

これは力を与えることで作用する術具。

自らの内の力を術具に移し、現象を生み出すという感覚を掴むことが要だ」


老紳士は、木剣を返しながら、要点を伝えてくれた。

そして、軽く微笑みながら言った。


「外の人間と話すのは、随分と久しぶりだ。悪くない気分だよ。

後は君次第、頑張ってくれ」


言い終わった後、老紳士の姿が一瞬で見えなくなった。

本当に今まで居たのだろうか?

幻か白昼夢だったのでは?

そう思えるほどの、唐突さ。


俺は、手元の木剣を見る。

剣身が纏う、青白い光。

少なくとも、あの鮮烈な光景は忘れない。


至るべき目的ができた。

意味もなく砦を見る生活は終わり、ようやく意味がある事ができる。

ただそれが嬉しかった。

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