第21話 老犬と蜂鳥

爺さん、と呼ばれた犬は、ゆっくりと首を持ち上げ、大きく欠伸をした。

赤みがかったクリーム色の長い直毛に覆われ、鋭い顔立ちをしている。


外観の特徴は、アフガンハウンドとよく似ている。

体は大きく、おそらく体高で一メートルを超えているのではないだろうか。

こちらを向いた顔は……瞳がない?


いや、良く見ると、白目の中に、円形が見える。

あれは、銀色の瞳だ。

白目に、透明感のある銀色の瞳で、良くわからなかった。


「チビスケのご友人だとか……

ああ、チビスケを助けてくれた御仁か。

小さな友人を助けてくれて有り難う。

私は、見ての通り、目の覚束ない、しがなき老犬だ。

何も出来ぬが、見知り置いてくれ」


そう言って、ゆっくりと、深く、頭を下げた。

それにしても、えらく丁寧な言葉が出てきたな。


「あぁ、こちらこそ、よろしくな」


名前は名乗らなかった。

故意に、という程ではないが、この世界に馴染めない今の俺は、心の底で名乗ることに拒否感があるのかも知れない。


「オゥ!

ジイサンの挨拶は終わったか!

長かったな!コイツは何をするのもトロいからな!」


突然、甲高いダミ声というか、不思議な声が、老犬の方から聞こえた。

しかし、他に姿は見えないが……


「なんだよチビドリ、いたのか。

ちゃんと顔を見せなよ」

「フザケンナ!

ちゃんと体ごと出てるわ!

だいたい、ダレがチビドリだ!

チビはオマエだろ、このチビスケが!」


良く見ると、老犬の背中で何かが跳ねている。

手のひらで包み込めそうな小さな体、光沢を放つ黄色い被毛を纏った美しい体、体格に比して長いくちばし。

蜂鳥に良く似ている。


老犬の背中に止まり、少年と言い合っている。

その老犬は、再び欠伸をしていた。


「おい、オマエ!

このチビスケを助けてくれたらしいな、アリガトよ!

良くやってくれたな!

ナニか困ったことがあったら、いつでもオレ様をタヨってくれていいぞ!

礼がわりだ!」


感謝されているというには、妙に上から目線の言い様だが、老犬の背中で跳ねながらキーキー言っている物体に対して、腹も立たない。


「ン?なんかオマエ、いまヘンなことをかんがえてなかったか?」


そう言いながら、首をくるんと傾げる様子は、言葉に比べ、えらく可愛い。

しかし可愛いなりをして勘がえらく鋭いみたいだな。


「ああ、よろしくな」


少し苦笑しつつ、蜂鳥風の魔人(で、いいんだよな)に答える。


のんびりとせっかち、それに人の良さそうなおっとりした少年。

なんとなく、バランスが取れた組み合わせな気もする。


「なあ爺さん、チビドリ、久しぶりにエルナの家に言ってご飯でも食べないか?

折角、ユウもいるんだし、みんなで食べようよ!」

「オウ、いいな!

いっぱいたべようぜ!いこう!」


そう言って、少年は満面の笑みを浮かべた。

いや、俺はとっとと砦の様子を見に行きたいのだが……と思ったのだが、少年の嬉しそうな様子を見て、砦で捕えられていた時の酷い食事を思い出し、少年のために諦めて付き合うことにした。


***


かくして、エルナの家で食事会が始まった。

帰ってきたエルナは少年と蜂鳥のテンションに驚いたが、すぐにニコリと笑い、嫌な顔ひとつせず、食事の用意をしてくれた。


即席にしては様々な料理がテーブルに並ぶ。

お皿代わりの大きな葉の上に、切り揃えられた野菜と果実が並び、その上に何かの果汁のようなものがかけられた。

そして、植物性の食べ物だけでなく、焼いた肉も出された。

かなりダイナミックなカットで、味付けも粗塩に香草という野性味溢れるものだが、臭みは程よく取れていて、固過ぎることもない。

少なくとも、この世界に来たばかりの自分の処理とは比較にならない。


問題は、味は分かるのに、何を食っても紙粘土みたいに感じてしまう自分の味覚の方だが……


栄養摂取のため必死で塊肉を飲み下そうとしていた俺のところに、半分に割れた果物の殻のような器に飲み物を入れたエルナがやって来た。


「まだ、ちゃんと挨拶をしてなかったね。あたしは、エルナ。

よろしくね」


そう言うと、ニコリと笑った。


「うちのチビスケを助けてくれて、感謝しているよ。

あたしはこの森ではまだ若いんだけど、それなりに顔が利くから、何かあったら相談してちょうだい。

できるだけ、力を貸してあげるよ」


そう言って、こちらをじっと見てくる。

値踏みをしているのだろうか。

確かに、いくら少年を助けたとはいえ、素性も知れず、怪しいことこの上ないだろう。


まあ、こちらとしても、別段これからよろしくしていこうという訳でもないので、気にしなければ良い。

俺の目的は、あの砦に復讐を果たすこと。その後のことは分からない。

いずれにせよ、この森の住人には、邪魔されなければそれで良い。共闘してくれるのなら、話は別だが。

それより、この機会に、得られるだけ情報を得ておきたい。


「ありがとな。

肉、久しぶりに食べたよ。

それにしても、随分と肉の処理がうまいな。

臭みも随分と押さえてあるし、保存も良さそうだ」


まずは雑談から。

魔人とやらは、どんな文化レベルなのだろうか。


「ふふ、ありがと。

他のみんなはあんまり手間をかけたりしないけど、私はこうしないと食べられないから。

調理方法とかも、ルーパスに教えて貰ったんだ」


ルーパスって、第三魔王だよな?

魔王自ら肉の下処理してんの?

人付き合いが嫌いの引きこもりで、肉の下処理から料理までこなす魔王って、どんな存在なんだ……


いかん、思考が脇道に逸れた。


「ルーパスって、第三魔王って呼ばれているんだよな。

どんな奴なんだ?」

「んー、ちょっと気難しいところはあるけど、気さくで話しやすいよ?

人間から、魔王とか言われて恐れられているけど、本人は戦うのがあんま好きじゃないんだ。

めんどくさい、て言ってる。

でも、とっても強くて、昔は『風のルーパス』とか呼ばれていたって」


仮にも魔王と呼ばれている存在を、ぞんざいな口調で『奴』呼ばわりしてみる。

怒るかな、と思いきや、普通に答えてくれた。

気さくな魔王に率いられた、なかなかにフランクな魔王軍らしい。


「第三魔王、なんだよな?

なら、第一と第二がいるんだよな。

それらとは、どういう関係なんだ?」

「第二魔王、て呼ばれている奴は、森の西側の方にいるのだけど、ルーパスとは違ってかなり乱暴者なんだ。

あたし達のところにも、よくケンカを吹っ掛けてきて、みんな困っているよ。

でも、あたしも詳しいことは知らないのよね」


少し困った顔で、エルナが答える。


「第二魔王ヴィストシャニイとルーパスは、もともと仲間同士だった。

だが、暴力で全てを解決しようとするヴィストシャニイと、余計な争いを好まないルーパスは、必ずしも折り合いが良くなかったのだ。

それで、森の西側を拠点としていたヴィストシャニイから離れ、東側に自身の拠点を作ることを、ルーパスが選んだのだ」


テーブルの下の方で塊肉を齧りながら、老犬が語りだした。


「ルーパスは、そもそも森から出ていくつもりだったが、ヴィストシャニイに付いていけない者達が、ルーパスを慕って付いてきた。

そしてルーパスは、それらを見捨てることができなかった。

それが、我々の始まりだ」

「すると、第一魔王軍との関係は?」

「そもそも、我々、森に棲む者達は、魔王軍などと自分達を考えたりしていない。

ヴィストシャニイなどは、ふざけて故意に自称したりすることもあるが、基本的に我々は、ただの我々だ。

まず、それを理解して欲しい」


理路整然と語る様はあたかも賢者のようだが、肉をガジガジと齧りながら喋るせいで台無しである。

そんなことはお構い無しに、老犬は続ける。


「我々は、自分達の棲む森を侵す者がいれば排除する。

離れれば干渉しない。

これは古より続く我々の姿勢だ。

だが、人間は、この森も自分達の縄張りであると信じているかのようだ。

故に、ぶつかる。

ぶつかれば、我々は負けない。

そして人間達は恐れ、森に棲む者達の首領を魔の王と呼ぶ。

魔王の誕生だ」


気づくと、エルナや少年、少年の肩に止まっている蜂鳥まで、興味津々という態で聞き入っている。

あまり過去について意識したことがないのかも知れない。


「だが、この森の中も、皆が仲良しという訳にはいかない。

私も直接知るわけではないが、昔に、当時のボスと仲違いをして、ヴィストシャニイが仲間を引き連れ、森の周辺部に縄張りを移したそうだ。

ルーパスも、行動を共にした。

以来、森の中央に棲むボスと、ヴィストシャニイ率いる離反組は、事あるごとに争ってきた。

それを見た人間達は、魔王軍が二つに割れたと見た。

即ち、第一魔王軍と、第二魔王軍に分けて見るようになったのだ」


肉を食べ終わった老犬は、満足そうに溜め息をひとつつき、そのまま床の上で丸くなる。


「先に話した通り、ルーパスはヴィストシャニイとは別の道を選んだ。

くて、人間は三つの魔王軍が存在すると考えるに至った訳だ」


そこまで語ると、老犬は静かに寝息をたてながら、寝てしまった。


「まったく、ニンゲンときたら、なんでもオレ様達のことを、マジンだのマオーだのとカッテなこと言うからな!

テキトー言うんじゃねぇっての!」


少年の肩から飛び上がって、蜂鳥がさえずっている。


老犬の話からすると、蜂鳥の言うように、魔王軍なる物々しい呼び名は、人間達のおそれから来るものなのだろう。

それだけ、この森に棲む者達に恐怖を抱いているのだろう。


だが、もし恐怖を感じているだけならば、あの砦での酷い待遇には違和感がある。

警戒するだけでなく、あえておとしめ、排除しようとしていた。

下手をすれば恨みを買い、報復を受けると思わないのだろうか。


老犬の話にも、人間は、この森を自分達の縄張りと考えている節があった。

いや、そうしたい、のだろう。

つまり、それだけの魅力がこの森にあるということだろうか。


「なんで人間は、この森を侵そうとするのだろう?」


エルナに向かって聞いてみるが、エルナは、その形の良い柳眉を八の字にして黙っているだけだった。


「わかんないけど、あいつら、森の外に出てきた仲間を捕らえて、喜んでいるんだよね。

ボクは、外から入ってきた奴らに捕まったけど、普通はそんなことできないから」


少年も、困ったように話す。

魔人達には、人間が考える利害関係は理解されていないようだ。

むしろ、気にも止めてなさそうだ。

なのに、人間は危険を犯してまで魔人達に敵対行動を取っている。

これは何故か――


「考えても分からないんじゃない?

だからさ、聞きに行こうか?」

「聞くとは、誰に?」

「その辺の事情を知っているのは、やっぱりルーパスだから、ルーパスに直接きけばいいのよ。

それに、どのみち、あたしはあんたをルーパスに引き合わせようと思っていたから丁度いいよ」


……え?

魔王って、そんなに気さくに会えるものなの?


思わずぎょっとしたが、考えるまでもなく、情報入手と、あわよくば砦の攻略を考えるならば、親玉に話すのが一番効果的だろう。


「分かった。

じゃあ、そのルーパスのところまで案内してくれるか?」


そう言って、即座に立ち上がった。

魔王ルーパスに会い、あの砦を潰す算段を立てなくてはならない。


俺はそっと拳を握りしめた。

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