第255話 その頃、帝城にて
View of フィリア=フィンブル=スラージアン スラージアン帝国皇帝
執務室で秘書官達と共に書類仕事を進めていると、非常に珍しい事に処理しなければいけない書類が無くなってしまった。
「……今日の書類はこれだけか?」
「申し訳ありません陛下。私共の処理が遅れておりまして……少々お待ちいただけますか?」
私と同じように、机の上に未処理の書類が無くなったラヴェルナが、困ったような表情を見せながら言う。
普段であれば私と同等か、それ以上に書類に埋もれている筈のラヴェルナにしては、珍しい状態だけど……こうなった原因は考えるまでもないだろう。
今日はエインヘリアが攻めて来ると予告した日だ。
この場で働いている書記官のみならず、各部署の者達が集中力を欠いていると言えよう。
普段であれば、叱責の一つでもするであろうラヴェルナも、部下達の状態を受け入れているようにも見える……まぁ、仕方がないといえばそうなのだろうけど。
帝都にいる私達が緊張したり気を急いたりしたところで、遥か遠方の戦場には何の影響も及ぼさないが、こんな日に平然といつも通りのパフォーマンスを維持できるのは、ラヴェルナのような図太い者だけだろう。
因みに私は繊細な方だが、処理する書類が中々回ってこないので全て処理を終えてしまったに過ぎない。
しかし、私達が手持ち無沙汰になっている状態は、彼らに余計な焦りを生ませるだけだろう……そう考えた私は、ラヴェルナに目配せをする。
すぐに私の意図を理解したラヴェルナが、立ち上がりながら秘書官たちに声をかける。
「皆、少し聞きなさい。気持ちは分かるし、仕事の効率が落ちるのも分かる。こんな日に平静で作業を出来るような鋼の精神を持っているのは、恐らく陛下御一人くらいでしょうしね。なので、多少効率が落ちる事には目を瞑ります。ですが、ミスだけはしないように……平静でいられないのなら、そこにだけ注力して仕事を進めなさい。普段は素早く正確にやっていることを、ゆっくり正確にと言っているだけですが、まずはその事に集中する振りをしてみなさい。私と陛下は一時席を外すので、何かあればすぐに声をかけるように」
「「はい」」
理解は示しつつ締めるところは締める……しかもそれをきつく締めるのではなく、注意を促すやり方は、上司として部下を信頼していると示しつつ、やる気を上げるには良いやり方だろう。
実際、意識が散漫気味だった者達が目の色を変えて集中しだしている。
流石は人を使う事になれた公爵家の娘というところだろう。
……それはそれとして、私が鋼の精神を持っているとかなんとか言う必要あったかしら?
私よりよほど図太いラヴェルナに言われたくないんですけど?
そんな思いをおくびにも出さず、私はラヴェルナを伴って休憩室へと向かった。
扉を閉めたラヴェルナはすぐにお茶の用意を始めるが、その後ろ姿からは執務室にいた時には見えなかった疲労がのしかかっているようにも見える。
「流石に普段通りとは行かないわね」
「それはそうよ。あの飛行船を目にした上で、今日が何の日か知っているなら緊張しない筈がないわ」
「そうね……秘書官たちであの状態なのだから、他の場所はもっとひどいかも。変なミスとか起こらないと良いのだけれど……」
そう言って私は小さくため息をつく。
確かにエインヘリアとの戦争がどうなっているのか、気にならないといえば嘘になるが……だからと言って国家の運営者達が、揃いも揃って気もそぞろというのは些か看過しかねる状況だ。
今日始まった戦争の報告は、どんなに早くても五日以上は届かないのだから。
しかし、集中しろと叱責した所で集中できるようになるわけではない。
そんな無意味な叱責をするよりも、先程ラヴェルナがやったように本人達の意志を強化する方向で動いた方が良いだろう。
問題は……執務室の中で軽く話せばよかった補佐官達と違い、各所に出向いてそんなことをこんこんと説いても意味がないという事ね。
そう考えながら再びため息をつくと、同じタイミングでお茶の準備を終えたラヴェルナが私の前にカップを置いてくれた。
「ため息つき過ぎじゃない?」
「頭の痛い事ばかりと思ったのよ……」
私はラヴェルナの淹れてくれたお茶を飲みながらそう答える。
ラヴェルナ自身は私の向かい側に座り、お茶と一緒に持ってきたクッキーを齧りつつ苦笑しながら口開いた。
「そうねぇ……この一ヵ月、寝る間もない程動き回って何とか軍を送り出したけど、第三陣も必要と言われているし……まだ暫くは書類に忙殺されることになりそうね」
「……書類に忙殺されるくらいならいいのだけどね」
ここまで全力で握りつぶしていた本音が、ラヴェルナのお茶を飲んだせいかぽろりと零れてしまう。
……お茶に変な薬とか入れてないわよね?
「お茶は純粋な心で楽しむ物よ」
……心を読めるようになる薬を常用している可能性もあるわね。
「……皇帝陛下としては、此度の戦どう予想されているのですか?」
露骨に話題を……いや、元の話題に戻しただけね。
「……私は、あまり戦が得意でないのは知っているでしょう?」
「それでも、貴女の口から聞きたいのよ」
ラヴェルナ程の人物であっても、やはり不安なのだろう。
真剣な表情で私に尋ねて来るラヴェルナに対し、私は確認するように今回の帝国軍の作戦を口にする。
「……今回の戦争でカギとなるのはエインヘリア王の存在ね。私達はあの自己顕示欲が高く調子に乗っているであろうエインヘリア王が、自ら兵を率いて来ると予想しているわ」
「そうね。若干エインヘリア王像に私見が入っている点は気になるけど……」
何やら不満あり気なラヴェルナの反応を黙殺して、私は話を続ける。
「……エインヘリア王が戦場に来ていた場合……話はシンプル。エインヘリア王の周りを固めているであろう敵英雄を『至天』が引きはがし、リカルドがエインヘリア王を討つ」
「『至天』が十六人もいるのだからその策であれば問題ないと思うけど……何か気になるの?」
私が渋い顔をしながら言うのを見て、ラヴェルナが首を傾げる。
「こちらの情報をかなり正確に握っているであろうエインヘリアに対し、そういう力押しが通用するとは思えないのよね」
「リズバーン様やリカルド殿は、情報を知っているからと言ってどうにか出来る様なものなの?」
「少なくとも、私がエインヘリア王の立場であったら……帝国の切り札たちに対して無防備でいる事はあり得ないわ……でも、その対処方法が思いつかない。ディアルド爺の方は……あの飛行船を使ってどうにかするって感じかもしれないけど、リカルドの……見えない速度で動く相手への対処法なんて思いつけないわ」
「でも、エインヘリアなら二人への対処法を思いついていると?」
「相手はあの性格の悪い王。あの二人だけじゃない……碌でもない方法で『至天』を封じ込めて来るに違いないわ」
絶対に何か企んでいる……それは間違いない。
それを見破る事が出来ないのは腹立たしい限りだけど……『至天』のトップを封じ込める策。そんなものを簡単に思いつけるはずがない……。
「……ちょこちょこ私情が入って来るけど、確かに情報を握っているエインヘリアが、リズバーン様達への対応を考えていない筈はない。でもそれが何なのかまでは分からない……分からない以上作戦に組み込むことは出来ないし、中途半端な事を言って逆に判断が鈍る可能性があるって事ね?」
「一応ディアルド爺にその事について話したけど……相手の狙いが読めている訳じゃないから、あまり役には立たないわね」
「何かあると身構えているかどうかは大きいんじゃないかしら?」
「油断をしないと言う意味では確かにそうかもしれないけど……『至天』って結局対抗策を考えるっていうより、自分の得意を押し付けるってやり方しか出来ない気がするのよね……」
私は『至天』の面々を思い出しながら言う。
『至天』は自分達の強さに絶対の自信を持っているせいか、敵に合わせて戦い方を変えるようなやり方をしない。
それは『至天』同士の席次を決める戦いであっても同じだ。
どんな不利な相手であっても、何かしらの対策を取ることなく、自身の力のみで戦おうとする『至天』は……清々しくはあるけど、何をしてでも勝つという気概が無いとも取れるだろう。
自分達の力が通じる相手には強いけど、自分達の力が通じない相手に弱いというのは……同格以上の相手がいるかもしれないエインヘリアと戦うには些か不安がある。
「英雄は英雄にしか対応出来ないし……得意を伸ばし押し切るというのは正しいんじゃないかしら?英雄の戦いって一発勝負、決着は相手か自分の死になるわけだし」
「……確かにそうかもね。対策を練って戦えるのは、相手の手の内を知っている時だけだし……ラヴェルナの言う通り、得意を伸ばし相手にぶつけるやり方が一番正しいのかも。でも……『至天』とエインヘリアの英雄。個人同士の単純な力比べに帝国の未来が掛かっていると思うと、複雑な気分ね」
私が大きくため息をつきながら言うと、突如部屋の外が騒がしくなった。
「なんか嫌な感じがするのだけど……」
「……私、家に帰ってもいいかしら?」
ラヴェルナがそんなことを言いだしたけど、そんなことは許さないとばかりに部屋の外からこれ以上ないくらいに慌てたような声が聞こえて来た。
「へ、陛下!え、えいん……エインヘリアの飛行船が来ました!」
……嘘よね?
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