第224話 国境沿いの砦にて



View of ディアルド=リズバーン 至天第二席 轟天






 陛下に命じられ帝都を発ってから半月が経過しようとしている。


 当初、陛下から短剣を渡されボーエン候に説明を聞いた時は、考え過ぎではないかと思ったのじゃが……臣下として、陛下の至上命令に否やはない。


 急ぎ帝国西方に向かった儂は各派閥の長を訪ねて行ったのだが、その内の一人ルッソル伯爵に会った時に陛下の懸念が的中していたことを知った。


 ルッソル伯爵の派閥は独自にエインヘリアの情報を集め、こともあろうに国の頭越しにエインヘリアへと使者を送り交渉をしようとしておったのじゃ。


 伯爵を捕縛し帝都に送る事も考えたが、それよりも優先しなければならないのは使者がエインヘリアに到着を阻止すること。


 帝都へと早馬を走らせた儂は、すぐにエインヘリアに向かった子爵を追った。


 しかし、随分と前からエインヘリアの情報を集めていたらしい彼らの動きは早く、私の飛行魔法であってもここに至るまで追いつくことは出来なかった。


 そして儂は今、サレイル王国とエインヘリアの国境にある砦へとやって来ていた。


「入国したいのじゃが」


 砦の脇に設置されている入国管理所という建物に入った儂は、受付に声をかける。


「畏まりました。エインヘリアへの御来訪は初めてですか?」


「うむ、初めてじゃ」


「ありがとうございます。それでは、こちらの書類に必要事項をご記入いただきたいのですが、代筆は必要でしょうか?」


「いや、問題ないのじゃ」


「畏まりました。こちらにご記載いただいた内容を基に入国審査を行いますので、記入漏れや記載ミスにご注意ください。内容に不備がございますと入国をお断りする可能性がございますので、ご留意ください」


 随分と丁寧な説明じゃな。


 しかもこの紙……羊皮紙ではないのう。


 まぁ、入国する者全員にこれを書かせておるのなら、羊皮紙ではコストが凄まじい事になるからのう……しかし、これは何で作られておるのじゃろうか……?


 妙に白い紙に疑問を抱きつつ、儂は記載内容に目を通していく。


 名前、性別、年齢、出身国、職業、馬車の有無、犯罪歴の有無、訪問目的……ふむ、こんなものを書かせて何になるのじゃろうか?


 特に犯罪歴の有無なぞ、誰もが無しとするに決まっておる……意味が分からんが……若い者たちの発想は、年老いた儂等からすると突拍子の無い物が多いからのう……。


 もしかするとエインヘリアは、帝国のように戸籍を作ろうとしておるのやも知れぬな。


 いや、自国民以外の情報一覧というべきか……これも防諜の一環ということかのう。


 まぁ、特に情報を隠す必要はない……というよりも、正式な手続きで入国せねば、後々厄介なことになりかねんからのう。


 入国するだけであれば、空を飛んでぱぱっと子爵を追いかける方が何倍も楽じゃが、国家の要人が密入国したなぞバレようものなら、それだけで関係は最悪なものになりかねん。


 儂は火種を消しに来たのであって、燃え盛らせに来たわけではないからのう。


「これでよいかの?」


「ありがとうございます。それではそちらのドアからお進みください。この先は待合室になっております。順番に名前をお呼びいたしますので、呼ばれたら係の者の指示に従ってください。簡単な入国審査がそこで行われます」


「ふむ、了解した。世話になったの」


 儂は受付に礼を言ってから待合室とやらの扉を開く。


 部屋の中は随分と人が多かったが、次から次へと名前を呼ばれて出ていくところを見ると、そこまで待たされることは無さそうじゃな。


「スラージアン帝国よりお越しのディアルド=リズバーン様でいらっしゃいますか?」


 しかし、そんな考えも一瞬の事……待合室に入った瞬間儂は声をかけられた。


「いかにも、ディアルド=リズバーンじゃが?」


「入国審査の準備が整いましたので、こちらへどうぞ」


「ほっほっほ、迅速な対応痛み入るのぉ」


 儂は声をかけて来た兵の後について歩きながら、背筋に冷たい物が流れるのを感じる。


 儂がここに来ることを知っていた?


 馬鹿な……儂が帝都を発ったのは陛下から命を受けてすぐ……数日帝国西方で足止めされたとは言え、どんな早馬であろうと儂よりも早くここまで情報を届けられる筈がない。よしんば、件の転移という技術でそれが可能であったとしても、儂が帝都を発ったことを知っているのはごく少数じゃし、今ここに儂が来ておることは儂の独断。


 ……儂が陛下に送った早馬が狙われたか?


 可能性としてはそれが一番高いじゃろうが……だとすれば、その情報を得た事で、儂がここに来たらすぐに行動を起こせるように待ち構えていたということかのう?それにしたって動きが早すぎる気もするのじゃが……。


 陛下が常々言っておられる情報の重要性……理解しておったつもりじゃったが、相手がそれを有効に活用してくるとここまで恐ろしい物とはのう……。


 そんな風に、陛下が警戒しているエインヘリアの恐ろしさを再認識していると、先程のものとは違う……明確な脅威を感じ儂は身構えてしまった。


「……?リズバーン様?どうかされましたか?」


「……」


 この者から感じたものではない……だが、この悪寒にも似た感覚は……この先に何かがおるのぅ……間違いなく英雄級。それも『至天』上位者並み……いや、下手をすればそれ以上かもしれんぞ……?


「いや、すまぬ。ちょっと躓いてしもうた。年は取りたくないのう」


「それは……申し訳ありません。少し早く歩き過ぎてしまったようで……」


 誤魔化す様に儂が言うと真に受けた兵士が深々と頭を下げてしまい、若干のバツの悪さを覚えたが……それ以上に、まだ姿が見えないにも拘らず感じる強烈な気配の方が気になってしまい、曖昧な笑みを浮かべつつ小さく頷くだけに留める。


 エインヘリアに英雄がいるのは分かっておったが……これほどとはな……エリアスが敗れる訳じゃ。


 儂はソラキル王国に派遣されていた、戦闘狂の教え子を思い出す。


 あれは戦闘好きではあるが、考え無しという程でもない……筈じゃ。


 無茶な状況での突撃などはしておらぬはず……やられるとすれば、正面からの戦闘。恐らくこの気配の持ち主が相手じゃろう。


 これ程の相手が他にもいるとは考えたくないが……もし、居ったとしたら……かなり厳しいのう。


 ある程度距離を取れば負けんじゃろうが……近距離戦に持ち込まれたら、多分儂じゃ勝てんじゃろうな。


 儂は感じた気配から相手の戦力を測りつつ、案内してくれる兵について歩みを進める。


 そしてその兵が一つの扉の前で足を止める直前、放たれていた気配が嘘のように霧散した。


 儂に向けて放たれたものではなかったのかのう……?よく分からんが、この扉の向こうに先程の相手がいるのは間違いないじゃろう。


「ディアルド=リズバーン様をお連れしました」


「どうぞ~」


 案内してくれた者が扉をノックしながら声をかけると、仲から間延びした声が聞こえて来る。


 これが先程の気配の持ち主か……?


 既に一切相手の気配が感じられない以上、部屋の中に何人いるのかは掴めないが……なんとなくこの声の持ち主は違う気がするのう。ただの勘じゃが。


「それではリズバーン様、こちらにて入国審査を行わせていただきます……どうぞ」


「うむ、丁寧にありがとう。世話になったの」


 儂が声をかけると丁寧に頭を下げる案内の者。


 ふむ……受付にいた者と言い、凄まじく丁寧よのう。ただの国境沿いの砦とは思えぬわい……これが儂相手の特別なものでなく、普段からやっておるのじゃとするのであれば……この国の余裕が見えて来るのう。


 やはり、陛下の懸念は正しかったという事じゃな。


 しかし、陛下は陛下で素晴らしい読みじゃな……まぁ、当たっていない方が色々と助かる読みなんじゃが……一切気付かずに相手の好きなようにされていたら、もっと大変だったじゃろうし、陛下の見通しの良さに感謝するべきじゃな。


 そんなことを考えながら、儂は部屋の中に視線を向ける。


 その中にいたのは三人。


 一人はにこにこと穏やかな笑みを浮かべた茶色い髪の女性。


 一人は着崩したローブから色々と見えそうになっている妖艶な女性。


 最後の一人は精悍な面持ちながら穏やかな様子で佇んでいる黒髪の青年。


 唯一、最後の青年のみ剣を佩いているが……先程の気配は彼から発せられたものだろうか?


「エインヘリアへようこそ~ディアルド=リズバーン殿。私は~エインヘリアにて内務大臣を務めさせて頂いております~イルミットと申します~」


「これはご丁寧に。儂はディアルド=リズバーン。しがない魔法使いじゃが、一応スラージアン帝国の俸禄を食む者として、長年あくせく働いて居る者じゃ」


「リズバーン殿の御高名はかねがね~」


 そう言って微笑むイルミット殿。


 ……随分とのんびりした雰囲気を見せておるが、この娘中々油断できん相手の様じゃな。


 どことなく陛下が韜晦しておる時の様な雰囲気をしておる。


 才能あふれる若者……国だけでなくその人材も若いのかのう?内務大臣を預かるには相当若く見えるが……。


「ほっほっほ。碌な噂じゃなかろう?国内でも国外でもクソジジイ呼ばわりが基本じゃからのう」


「いえいえ~とても魅力的な御方だと~」


「ふむぅ、イルミット殿のような綺麗な方に魅力的と言われるとは……儂もまだまだ捨てたもんじゃないかのう?」


 儂が自慢の髭を撫でながら言うと、イルミット殿は品の良い笑みを浮かべた。


「さて、ここで入国審査と聞いておったのじゃが、何をすれば良いのかのう?」


「リズバーン殿は身元がしっかりしておりますから~お尋ねしたいのは一つだけになります~。本日はどのようなご用件で我が国へ~?」


「うむ、それなのじゃが……貴国に使者として帝国の者が来ておると思うのじゃが、その者達と合流する予定でのう」


 あくまで儂だけの予定じゃが、嘘はついておらぬ。


「なるほど~。う~ん、それは~ちょっと難しいかもしれませんね~」


「難しいというのはどういうことですかな?」


「えっと~合流する事自体はリズバーン殿の魔法なら可能だと思いますが~、リズバーン殿の目的を果たすのが難しいという意味です~」


「……」


 にこにことした笑みを崩すことなく、そう言ってのけるイルミット殿。


 まぁ、当然というかなんというか……儂の目的を読み切っておるようじゃな。


 つまり、目的を果たすことが出来ないという事は……ここで儂を足止めするつもりなのか、それとも……。


「私共に~リズバーン殿を足止めするつもりはありませんが~」


 完全に儂の思考を読んで言葉を続けるイルミット殿。


 うむ、やはり相当手ごわいのう……。


「既に彼等は我等が王との謁見を果たし~既に帰途についているという意味です~」


 そして、私が一番聞きたくなかったことを聞かせてくれる……陛下、申し訳ありません……間に合わなかったようです。


「ですので~もし合流されるというのでしたら~この砦で暫く待っていれば~行き違いになる事はないかと思いますよ~?」


「ふむぅ……」


 今更合流した所で、伯爵のあの様子ではかなり厄介な事をしでかしている可能性は高い……何をしでかしたのか早急に確認する為にも、こちらから出向くのが良いと思うが……問題は……。


「ここで待たせてもらうのは迷惑じゃろうし、許可を出して頂けるのであれば、貴国に立ち入らせて貰って使者たちと合流したいのじゃが……」


「なるほど~そのお気持ちはよく分かります~。ですが~申し訳ありません~実は私共~陛下から命じられている事がございまして~」


 にこやかな笑みのまま、そういうイルミット殿。やはり、すんなりと入国を認めては貰えんか。何やら嫌な予感を覚えるが……イルミット殿だけではなく、その両隣にいる者からも不穏な空気は感じられない。


「今日、私共がここに来たのは~リズバーン殿を陛下の下に案内するように言われたからなんです~」


「エインヘリア王陛下が儂をですかな……?何故……?」


 間違いなく、使者の件についてじゃろうが……追いかけることを優先したため、彼らが何をするつもりだったか詳細は分かっておらんのじゃよな。


 何かしらの交渉を開始したとかじゃと思うんじゃが……陛下の読みではいきなり軍を南下させる可能性もあるとのことじゃったし、追いつく事を最優先にしたのは間違いではなかったはずじゃが……ここでこんなことになるとは予想出来んかったからのう。


「内容については聞かされておりませんので~ただ会いたいという事しか~」


「ふむ……しかし、イルミット殿もお人が悪い。エインヘリア王陛下が望まれておる以上、儂の様な爺には、喜んでお会いさせていただくという以外選択肢はありませんぞ?」


「あら、ふふっ……では、陛下の元まで御同行いただけますか~?」


「喜んで……と言いたい所じゃが、国元に連絡だけしても良いかのう?流石にエインヘリア王陛下が望まれておるとは言え、国元に一切連絡をせずにというのはマズいからのう」


「勿論構いませんが~……う~ん」


 構わないと言いながらも、微妙に煮え切らない様子を見せるイルミット殿。国元に連絡をさせるのがまずいと言う訳では無さそうじゃが……本当にそうであれば、このような姿を見せるタイプとは思えんからのぅ。


「どうかしましたかな?」


「いえ~、連絡をするとしたら早馬とかですよね~?流石にかなり時間がかかりそうですけど~」


「ふむ、確かにここからだと一か月はゆうにかかるかのう?」


 儂が飛んで戻ったとしても十日くらいはかかる筈じゃし、もっとかかるかもしれんのう。


「そうなると~リズバーン殿が帝都に帰られても~まだ知らせが届かないのではないかと思いまして~」


「む?エインヘリア王陛下はこの近くに居られるのですかな?」


「いえいえ~、陛下は王都に居られますよ~」


「貴国の王都というと……」


「ルモリア地方にある~龍の塒と呼ばれる土地ですね~。そこに王都があります~」


「それはまた随分と距離がありますのぅ。それだけ距離があれば、ここより発した早馬が到着する方が遥かに早いと思うのじゃが……」


 直線でもここから帝都と同じか、それ以上に距離があるのではないかのう?


 儂一人で飛んで行っても良いというならともかく、イルミット殿達と一緒となれば下手をすれば往復で半年近くかかるのでは……?


 ん……?しかし、そうなると……使者となった者共はどこでエインヘリア王陛下に謁見賜ったのじゃ?


 儂が内心首をかしげると、イルミット殿が同調したように首を傾げる。


「「……?」」


 何やら致命的に話がかみ合ってない感じじゃな……。


「あぁ~、そういう事ですか~」


 得心がいったというように手をぽんと打ち付けるイルミット殿。


「リズバーン殿~資源調査部の方からの報告で聞いていると思いますが~我々には転移という移動手段がありまして~リズバーン殿さえよければ~今すぐにでも王都まで移動が可能です~」


「……確かに、転移に関する報告は受けておりますが……使用させていただけるので?」


 中々眉唾と思っておったのじゃが……本当にあるのかの?


「勿論です~。今日リズバーン殿がここに来ることは~陛下も把握されていらっしゃいますし~」


 そもそも、何故儂がここに今日到着することを知っているのかが知りたい所じゃが……ここで逃げるという選択肢は無いのう。


 転移と言うものが本当にあるのなら、実際この目で確かめないというのは今後の事も考えればあり得ぬのじゃ。


「では、お言葉に甘えさせていただくとしましょうか。ですが国元に手紙を認めるので、少々お時間を頂けますかな?」


「勿論構いませんよ~この部屋をお使いください~私共は隣の部屋に居りますので~」


 そう言ってイルミット殿は立ち上がり、共の二人を連れて部屋から出ていく。


 彼らが部屋を出る瞬間、共の者達それぞれと一瞬だけ目が合ったのだが……殺気は一切感じなかった物の何かゾクリとしたものを感じる。


 陛下……帝国において、誰よりもエインヘリアを警戒されておられましたが……この国は陛下の想像以上に危険な国やもしれませぬ……。


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