第212話 大混乱・エインヘリア劇場



View of ディーク スラージアン帝国資源調査部職員






 闇の底から意識が浮上してくるのを感じた私は、その意識を一気に覚醒させる。


 しかし、急に起き上がる事も目を開けることもせず、現在の状況を感じ取れるように意識を集中させる。


 今いるのは……ベッドの上、それも結構上質な物。


 空気の流れ、匂い……どちらも淀んだ物は感じない……恐らく地下牢の類ではない。


 聴覚、嗅覚、触覚。それらを使い現状を探ると同時に、意識を失う直前の事を思い出す。


 外交官見習いと名乗った男……リーナスに牽制の攻撃を入れて、あの場から脱しようとした私は……次の瞬間意識を刈り取られた。


 しかし、正面に居たリーナスが動いた様子は無かったが……あの場に誰か別の者が潜んでいた?


 いや、あの場から離れた衛兵も含め、リーナス以外の者はあの場にはいなかった……それとも、私に気付かせずにあの場に潜んでいた者がいた?


 ……少なくとも私はそれを感じ取る事は出来なかったが、目の前にいて私が警戒していたリーナスにやられたというよりはあり得るか。


 目を閉じたままそこまで考えた私は、ゆっくりと目を開けていく。


 これ以上目を閉じたまま今いる場所の情報を探るのは無理そうだが……一つだけ、気づいたことがある。


 この部屋には私以外にもう一人誰かがいる。


 身じろぎ一つしていないが……私が今寝ている場所よりも低い位置、恐らく床に伏せている感じか?


 目を開いて最初に見えたのは天井、そして窓から差し込む光……部屋の明かりは灯されていないにも拘らず十分な明るさ……ベッドの上質さと言い、おそらくここはそれなりのグレードの宿屋といったところか?


 意味が分からないな……私がスラージアン帝国の資源調査部の者であることはバレている……そして恐らく資源調査部の内情についても。


 捕えて牢に入れ、尋問をするというのなら分かるのだが……いくらでも逃げることが出来そうな宿に軟禁するというのは……いや、相手の意図をこれ以上考えても無意味だな。情報が少なすぎる。


 それよりも、ここから逃げることは可能か……?


 ……難しいかもしれない。


 私を気絶させた者が、本当に気配を気取らせずあの場に潜んでいたとしたら……間違いなく今も私の事を監視しているはず。


 現状私がすべきは、少しでも多くの情報を集めることだ。


 そこまで考えを巡らせた私は、ゆっくりと身を起こし呆けたように呟く。


「……ここは?」


 少々わざとらしいが、床に蹲っている人物に聞こえるように声をあげると、私が意識を取り戻したことに気付いたその人物は絞り出したような声を上げる。


「お目覚めになられましたか、ディーク殿。ここはエインヘリアとサレイル王国の国境近くの街にある宿の一室です。この街に来たことは覚えておられますか?」


「……えぇ」


 てっきり体を起こすと思っていたのだが、どうやらそのまま喋るらしい。


 ベッドの傍で蹲るようにしているのは……こちらに顔を見せず伏せていることもあり、若干聞き取りづらいが声の感じからして年齢の若い女。


 ……このエインヘリアという国に入ってから訳の分からない事ばかりだが……この女は何故蹲っている?


「此度、スラージアン帝国からお越しの客人に、私の部下が大変失礼な振舞いをしたとのことで謝罪に参った次第です。本当に、申し訳ございません」


「……」


 謝罪……?


 一体この女は何を言っている?


「……一体どういう?」


 混乱している風を装いつつ……いや、正直、装うも何も混乱の極みではあったが、それでも一般人としての態度で私は女に問いかける。


「誠に申し訳ございません。はっきりとは覚えておられないかもしれませんが、私の部下がディーク殿の動きに驚き、思わず手を出してしまったのです。全ては彼に応対を任せた私の責任です」


 そう言って一層体を縮こませる女……もしや、この体勢は謝意を表しているのかもしれない。


 私が意識を取り戻す時、部屋の中にこの女の気配はあったものの身じろぎ一つした様子は無かった……もしや、私が意識を失っている間ずっとこの体勢でいたのか?


 ある種、狂気の様な謝意の示し方に私は薄気味悪さを覚える。


「……頭を上げていただけますか?えっと……」


「申し遅れました。私はエインヘリアにて外交官をやっております、シャイナと申します。粗相をした部下リーナスに代わり、ディーク殿を接待させていただきに参りました」


 体を起こしたシャイナは、どのくらいの間不自然な体勢でいたのかは分からないが……その疲労を全く感じさせない笑顔を見せながら挨拶をして来る。


 外交官……というには随分と幼い……いや、童顔なだけだろうか?


 しかし、体も随分と小柄だが……いや、要職である外交官に子供を据える筈はない。恐らくそういう見た目なだけだろう。


 外交官にとって見栄えの良さは大事な要素ではある……確かに童顔ではあるものの、顔立ちは恐ろしい程に整っていると言えるが……この容姿では寧ろ舐められるのではないだろうか?


 そんなどうでも良い疑念を抱きつつ、私は会話を続ける。


「……私を、接待?」


「はい。ディーク殿は、スラージアン帝国の資源調査部に所属されていると伺っております。此度は我がエインヘリアについて色々とお知りになりたいとか……ですので私がエインヘリアをご案内させていただきます」


「……」


 どういうことだ?


 私の素性を知った上でこのような馬鹿にしたような……いや、そう言えば気を失う直前リーナスももてなすとか言っていたか?


 アレは揶揄するような意味だと取ったのだが……言葉通りの意味だったのか?


 少なくとも、今私の目の前にいるシャイナからは私に向けた一切の害意を感じ取ることが出来ない……我々のことを知った上でこのような態度が出来るだろうか?


 ……もしや資源調査部の表向きの活動しか知らないのか?


 いや、そんな訳はない。


 私が今日この街に来るという情報、所属する部署に私の名前、偽装した情報……この全てを知っている者が、資源調査部の実態を知らないなどあり得ない。


 しかし……外交官見習いと名乗ったリーナスからは、油断できない手練れと言った雰囲気を感じ取る事が出来たが、現在床に座ったまま私を見上げるシャイナからは、そういった物は一切感じ取ることが出来ない。


 暗部に所属している私相手に、どう見ても戦闘能力を持たない外交官が一人で平然としていられるだろうか?


 平静を装いつつ、必死に情報を整理しようとするが、整理しようにも訳の分からない情報ばかりが増えていく。


 いや……手も足も出ずに捕えられた私は既に死んだような物だ。この期に及んで自身を納得させる必要はないだろう。


 スラージアン帝国の不利益となりそうならばすぐにでも命を断てばよい……ここは、相手の誘いに乗ってみるか。


 それに隙を見つけられれば……裏切り者がいる可能性を国へ伝えることが出来る。


 死ぬのはいつでも出来るが、死んだ後にこの情報を伝えるのは難しい。


「申し訳ありません、シャイナ殿。未だ状況を理解出来ていないのですが……私の素性も御存知の様ですし、誤魔化す様な事も必要ないでしょう。確かに私は、貴国がどのような国なのかを知るためにやってきました。もし良ければエインヘリアについて色々と教えて頂ければと思いますが……」


「私はその為にここにやってきましたので、喜んでエインヘリアをご案内させていただきます。ですが、そろそろ日暮れ時となりますので、案内は明日からでも宜しいでしょうか?」


「勿論構いません。よろしくお願いします」


 私が笑顔でシャイナ殿に頭を下げると、少しだけ安心したようなそぶりを見せる。少女の様なその見た目も相まって、大抵の者は絆されてしまうかもしれないな。


 しかし、外交官を名乗っている以上、腹芸はお手のものだろうし油断出来る相手ではない。そもそも諜報員である我等にとって、日常こそが戦場……油断などもっての他だ。


 色々と想定外で状況に翻弄されてはいるが、最初に会ったリーナスを相手するよりも彼女の方がマシだと思いたい気はするが……。


「それと、一つお聞きしたいのですが、ずっと蹲られていたようですがアレは一体?」


 そんな警戒を覆い隠す様に、どうでも良いが微妙に気になったことを尋ねてみる。


「これはエインヘリアにおいて最上級の謝意を示す謝罪の仕方で、土下座と言うものです。私も行ったのは初めてで……あ、あら?」


 そう言いながら立ち上がろうとしたシャイナが徐に体勢を崩す。


「だ、大丈夫ですか?」


「え、えぇ……その……長時間土下座をしていたからか足が痺れて……」


 私が視線を下すと足が震えているのが見える。


 足を折り曲げて座る体勢……おそらく長時間足の血管が圧迫され、血の巡りが悪くなり痺れたのだろう……立つ事さえ困難なほどに。


「う……く……ディーク殿。今日は……この辺りで失礼させていただきます」


「え、えぇ。お大事になさってください」


 体を支える様にテーブルを掴みながら、必死に笑顔を作りながらシャイナが言う。


「お恥ずかしい限りです……そ、それと……お食事に関してなのですが……このテーブルの上にあるベルを鳴らせば……係の者がすぐに参上いたします。お食事以外の要件でも、なんなりとお申し付けください……」


「ご丁寧にありがとうございます」


「そ、それでは……しつれい……いたします……」


 生まれたての小鹿の様に足を震わせながら、おぼつかない足取りでシャイナ殿が部屋から出ていく。


 それにしても……立ち上がって改めて確認できたが、やはり相当小柄だったな。


 外交官という立場から考えて、まだ幼い少女という訳ではないだろうが……外見だけならば確実に少女と言える年齢に見えたし、足の痺れに堪えて涙目になっている様は演技には見えなかった。


 相手の油断を誘う為の外見や演技という事であれば、見事な物だと思うが……この状況で油断など出来ない。


 このままエインヘリアが見せたいエインヘリアの姿を調べさせてもらうとしよう。


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