第60話 温泉界



 岩で囲まれた窪みに溜まるお湯。


 立ち上る湯気。


 しかし、湿気はその場に留まることなく霧散していく。


 湯を囲む壁や天井が存在していない為、それも致し方なき事。


 ここは、所謂露天風呂。


 この湯殿の名はヴァルハラ温泉。


 傷つき倒れし戦士たちを優しく癒す、露天風呂。


 ここは現世か常世か……それを知るものはおらず、ただ湯に浸かるのみ。


 そして今……湯に浸かっている者は二人……。






「私は何故ここにいるのだろうな?」


「何故でしょうねぇ?」


「……」


「……」


「お前は何故ここにいるのだ?」


「何故でしょうねぇ?気づいたらここでこうしておりました故」


「……」


「……」


「心地良い湯だな」


「そうですね……この世の物とは思えません……」


「……」


「……」


「今の台詞……少し引っかかるな」


「奇遇ですね……私もです」


「……しかし、あれだな。湯に浸かっていると色々どうでも良くなってくるな」


「陛下のおっしゃる通りですな」


「……陛下?私の事か……?」


「……陛下……そう、陛下……ルモリア王国……十七代国王……」


「そうか……そうだな……そうだったな!そうだ、私はルモリア王国の王!賢王、戦神、英雄王!数多の称号で讃えられし至高の王!」


「……やはり勘違いかもしれません。私、そのような称号聞いたことありませんし……」


「何を寝ぼけているのだ!お前は……そう、ハーレクック伯爵であろう!?」


「……ハーレクック……伯爵……そう言えば私はそのように呼ばれて……」


「私の忠実なる臣下にして我が右腕!サルナレ=ルバラス=ハーレクックその人だ!」


「いや、やはり違う人ですね。名前以外聞き覚えありませんし……」


「正気に戻れサルナレ!お前がそんなことでどうする!」


「痛っ!陛下!いきなり殴るなんて何を……あ」


「どうだ?意識ははっきりしたか?」


「はい……随分と呆けていたようです。申し訳ありません、陛下」


「うむ。してサルナレよ、ここが何処か分かるか?」


「いえ……初めて見る湯殿です。しかも、いつここに来たのかすら……」


「ふむ、私も同じだ」


「……陛下、ここに来る前何をしていらしたか、覚えておられますか?」


「む……?確か……そうだ、サルナレと共に野盗討伐に出たのではなかったか?それで……そうだ、敵軍から軍使が現れ、川を挟んで舌戦をしたはず。それから、その後は……いかんな、まだ記憶が曖昧なようだ。それ以降の事が思い出せぬ」


「……なるほど」


「サルナレ、お前はそれ以降の事を覚えているのか?」


「……えぇ、覚えております」


「聞かせてくれ。それを聞けば私の記憶もはっきりするかもしれない」


「……陛下、大変申し上げにくいのですが……」


「良い、私も朧げだが、事態の把握は出来ているつもりだ。聞かせてくれ」


「畏まりました。それでは単刀直入に……陛下、私達は既に死んでいます」


「……へ?」


「陛下の記憶がそこで途切れているのは、そこで陛下がお亡くなりになったからです」


「……」


「陛下の御遺体は私も確認しております。上半身と下半身が完全に断ち切られておりました」


「……ウソダロ」


「陛下?」


「あ、いや、やはりそうだったか。うむ、私の予想でも私は死んでいた。うむ……本当に?」


「間違いございません」


「そ、そうか。認識のずれが無くて何よりだ。それでサルナレよ、お前はどうなったのだ?」


「私は……陛下亡き後、敵軍と戦い……敵陣に向けて突撃を仕掛けました」


「ほう、勇猛な事だが……私が居ない以上お前が指揮官だったはずだ。何故そのような無謀な事をした?私の仇を取るためか?」


「いえ、そういうわけでは。後方への道を断たれ、軍は蹂躙され……もはや前方に突撃を仕掛けるしか我等に道は無かったのです。おそらく最後は……あの軍使の女……アレにやられたのだと思います。ほんの一瞬でしたが、その姿を見た気がするので」


「……我が軍が蹂躙されただと?たかが野盗と民の群れに?」


「……」


「……そうか。戦が始まる前に、指揮官にして王である私を失ったのだ。士気はがた落ち、戦術も……うまく機能しなかったのだろうな」


「いえ、陛下の死は全く関係ありません」


「な、なんだと?」


「最初から居ても居なくても変わりありませんし……いえ、寧ろいなくて良かったのですが」


「サルナレ!貴様!」


「陛下……今あなたに遜る必要性を私は感じません。貴方の御機嫌取りは、ここでは必要ないのですから」


「貴様!不敬であるぞ!」


「陛下、落ち着いて下さい。波が立ってしまいます。私達はもう死んでいるのですよ?現世での権威が何の役に立ちましょうか?」


「む……それはそうだが……」


「死者を貶めるつもりはありませんが、自覚なさってください」


「し、しかしだな。軍神である私の死が、戦に影響を及ぼさない筈が……」


「……陛下。古今東西、そして未来永劫、初陣の開戦前に死ぬ軍神はおりません」


「ぐふっ!」


「大丈夫ですか?陛下。自分の事を軍神と記した手記等、残したりしていませんか?」


「心配するのはそこか!?いや……まぁ……なんというか……」


「……残してしまったのですね」


「……」


「……まぁ、戦場に向かう貴族の子弟は、得てしてそういった妄想をしてしまう物ですが……」


「そ、そうであろう?他にも自ら賢王を称し、色々な政策を考えたりとか……」


「……それも残してしまわれたので?」


「……」


「……おいたわしや」


「やめてくれる!?同情の振りして凄い心抉って来てるからな!?え?なにこれ?死後に公開処刑される感じなの!?」


「……陛下。もう手遅れではありますが……人はそうならない為に、身辺整理をするのですよ?」


「そんな理由!?」


「大事な事です。死後、家族が恥をかいたり、酒飲みのネタにされたり、笑って送り出してやろうぜと言いつつ嘲り笑う……そういった事を防ぐ為、綺麗な思い出だけを残す為、自らの恥部を綺麗にしておくことは大事です。戦場に行くならなおの事」


「……死にたい」


「もう死んでいます」


「……」


「……」


「……何が間違っていたのだろうか?」


「……直接的な死の原因という事であれば、軍使の旗を持たずに敵に身を晒した事かと」


「軍使の旗か……そういえば、思わず前に出てしまったのであったな。しかし、敵の軍使が旗を掲げながらこちらを攻撃するというのも、おかしいのではないか?」


「それはそうですね。しかし、軍使でもない者が相手を悪し様に言えば、攻撃されても仕方ないことではあります。旗によってそれをお互いに許しているだけなので」


「……つまり私の死は旗を持たずにあの場に立ったせい……いや、旗の有無に関わらずあの場に立ったせいか?」


「そうなります」


「……本当にそうか?」


「と、申しますと?」


「私があの場に立たなければ、恐らくあの瞬間は生き永らえたであろう。しかし、開戦後はどうだ?先程お前は、敵に負けたことに私の死は関係ないと言い放ったな?そして、私の次に総大将となったお前が死んでいる……つまり、結局私は開戦してしまえば死んだのではないか?」


「なるほど……確かにそうですね。陛下なら間違いなく死んだでしょう」


「……もう少し歯に布を着せないか?」


「必要ないでしょう。しかし、陛下にしては正しい推察です」


「……なんか一言多いんだよな。まぁ、良い。つまり私、そしてお前の死はこの戦場に出た事で決定づけられたということになるな」


「つまり、陛下のせいですね」


「何故そうなる?」


「陛下が自ら軍を率いて……と出陣を決めたから、私も共をする羽目になったのです」


「……それはそうかもしれないが……いや、待て。そもそも、お前が敵は野盗の群れと言ったのではないか!だから私は参戦を決意したのだ!」


「……最初に敵が野盗と言いだしたのは、陛下ではありませんでしたか?」


「そんな筈はない!」


「……まぁ、今となっては確かめようがありませんし、そこは置いておきましょう。陛下が言いだしたとは思いますが」


「置いとくと言った傍からおかしくないか!?」


「……つまり、陛下がおっしゃりたいのは、情報が正確じゃなかった。そのせいで死んだという事ですね?」


「そうだ!」


「確かに、敵の調査が足りなかったことは私も痛感しました。これを知った時には、もはや後の祭りというのも遅すぎる状態でしたが、あの軍の強さは異常です」


「……そうだったのか?」


「はい。矢も魔法も槍も剣も……何一つとして、敵軍を傷つけることは出来なかったのです」


「それは言い過ぎだろう?」


「いえ、過度な表現は一切しておりません。文字通り、こちらの攻撃は一切、相手に痛痒を与えることは出来ませんでした」


「……それが本当であるなら……どうやったら勝てるのだ?」


「……正攻法で勝てないのであれば、何かしら策を講じるほかないでしょう」


「どんな策だ?」


「……こうして湯船に浸かって、じっくり考えれば……良い策も浮かぶかと……」


「……毒や兵糧攻めはどうだ?」


「悪くない案ですな。実行するのは簡単ではありませんが、無敵の軍相手にも通用する良い手でしょう」


「戦術には一家言あるからな」


「まぁ、誰しも思いつく案ですが、嵌れば効果は高いでしょう。因みに、それをどうやって相手に使うか……それが策です。良いですか?どうやって、の部分が策です」


「……サルナレよ。もしや、お前私の事嫌いなのか?」


「嫌い?そんな事思ったこともありません。面倒だなとはずっと思い続けてきましたが」


「……死後にショックを受ける事ばかりなんだが」


「生前の徳という物でしょう」


「お前が私の事をどう思っていたか、よく分かった」


「この程度、序の口ですよ」


「……」


「死んだ後までそういったものを引きずっても仕方ないですよ。そういう物は生きていてこそ意味があるのですから」


「……それもそうだな」


「……陛下のそういうおおらかさだけは、好ましく思っていましたよ」


「ほう?王者の器という奴だな。さもありなん」


「まぁ……なんでもいいですけど……あれ?なんか湯気が濃くなってきていませんか?」


「確かに……いつの間にやら、辺りが見えなくなって来たな……む?サルナレ……お前の姿も見えなくなって来たぞ?」


「……まぁ、今更何が起きたとて、気にする必要はないでしょう」


「……お前、落ち着いているわけじゃなく、自棄になっていたのか?」


「世は並べてこともなし……ですよ」


「どういう意味だ?」


「陛下の様に、大らかに過ごしたいという意味です」


「ならば、私の生きざまをとくと見るが良い」


「……もう死んでいますよ」






「なんでおっさん達の入浴シーンを夢に見ないといけないんだ?フィオの呪いか?」


 どんよりとした気分で目覚めた俺は、ベッドから起き上がり窓の外に目を向ける。


 残念ながら今日の天気は雨のようだ。


「ヴァルハラ温泉ねぇ……死んだら俺もあそこに行くのか?……せめて混浴ならなぁ」


 生憎の空模様だが、今日も覇王としての一日が始まる。


「大浴場にでも行ってスッキリしたい所だが……今は何となく湯舟に近づきたくないな」


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