3-9

 しばらくのあいだ、須璃ちゃんは記憶の本に目を落とし、たまにページをめくるだけの静かな状況が続いた。

 待つあいだ俺ができることは何もないのがもどかしい。

「きゃあっ!」

 突然須璃ちゃんが叫ぶ。顔面が蒼白になり、冷や汗をかきながらも本から手を、目さえも離さないのが異様だった。

「須璃ちゃん!大丈夫か?本、閉じるぞ」

 今が彼女の言う異常事態だろうと、須璃ちゃんの持つ本に手を添え、力を込めて閉じる。ばねでも仕込まれているのかと思うくらい、ぐっと力を込めなければ閉じられなかった。

 ばたん!

 何とか閉じられた。変な汗をかいている。須璃ちゃんは放心したように焦点の合ってないような目でぼんやりと虚空を眺めていた。

「須璃ちゃん、須璃ちゃん。俺がわかるか?」

 肩を触って良いのか一瞬躊躇したが、それどころではないと考え直し、両肩に手を置いて揺すってみた。ぼんやりとしていた目にすぐに光が戻ってくる。

「……たすけて!」

 言って我に返ったようにはっとなる須璃ちゃん。ようやく俺を目に捉え、怯えた表情を浮かべた。

「わたし、今まで……すっかり薫瑠ちゃんだった。てーばくんが本を閉じてくれなかったら……」

「須璃ちゃんの判断は正しかったよ。俺がこの場にいて良かった」

 肩をぽんぽんと叩いてやる。

 叩いて、やっぱりこれはセクハラだっただろうかと恐る恐る彼女の顔を見たら、目にいっぱい涙を溜めていて、今まさに決壊するところだった。

「え!待って待って、ごめん!これ、セクハラだったよね!本っ当にすまん!」

 慌てて九十度で腰を折ると、涙声で、違う、違うんです、と返ってくる。

「狩野さんから忠告されたこと、本当だったんですね。自分の意思じゃ本を閉じる余裕なかったです。新しい記憶がずっと流れこんできて。閉じれずに最後まで観続けてたら、きっとわたし……わたしじゃなくなってました」

 大きく深呼吸をして溜まった涙を払うと、須璃ちゃんは俺を見据え、たった今観てきた記憶を報告した。

「薫瑠ちゃん、やっぱり誘拐されて監禁されてます。昨日の夜午後九時のラジオの収録終わりで帰宅してるとこを暗がりに連れ込まれて、自由を奪われて車に乗せられて、そのまま……手首、痛かった……今は解かれてるみたいだけど。怖かったし、今もきっと怖い思いをしてる。どうしよう」

 始めはしっかりした口調だったのにどんどん、声に力が失われていく。わたしのせいだ、とさっきも言っていた自責の言葉を須璃ちゃんは繰り返した。

「犯人の顔は見えた?須璃ちゃんのせいだと思うってことは、犯人の顔はもしかして……知ってる人なのか?」

 俺の問いに、彼女はしっかりと確信を得た表情で頷いた。

「はい。本当に何度か挨拶しただけですけど。実行したのはわたしの入ってる映研サークルのツタダ先輩の、彼氏さんです。たぶん指示したのは先輩なんでしょうけど……。先輩、薫瑠ちゃんのファンなんだって。だから悪いようにはしてないみたいですけど、薫瑠ちゃんは怖がってるし……てーばくん、警察の人だから……薫瑠ちゃんを助けてください。お願いします」

 また頭を下げられる。

 この子、こういう礼儀とかその辺はしっかりしてるんだよな。

「わかったよ。けど警察は警察でも、俺は刑事課の人間だ」

「えっすごいすごい!刑事さんだったんですねぇ。うわぁ格好いい~!」

 手を叩いてわかりやすくおだてられてもあんまり嬉しくない。刑事なのに大事な手帳を落としてるし。その点について、彼女にどう思われてるんだろう。

 気を取り直し、真面目に監禁場所の目星はついているか聞くと、淀みなく答えが返ってきた。

「監禁場所は先輩の家でした。何回かサークルのメンツで行ったことあるから、部屋の雰囲気ですぐにわかっちゃいましたよ」

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