2-9
頼鷹は該当のページを破ってしまえば、その記憶は綺麗さっぱり失われると説明した。十一は神妙に頷くと、たった十数ページほどにわたる前世の記憶が詰まったページに手をかけた。
「やっぱだめだよ」
子どもの、柔く小さな手に汐世の手がかぶさる。
「頼鷹さんに愛情を教えてって、あたしじゃ荷が重いよ。十一さんも頼鷹さんのそばにいてくれなきゃ」
「十一さん、汐世さんに何を吹きこんだのですか」
汐世の言葉に、頼鷹が驚いて十一のほうを覗きこむ。
「吹きこむだなんて人聞きの悪い。頼坊には愛情が必要だって言っただけだ」
十一がばつの悪そうに顔を背けた。
「私はもうじゅうぶん大人です。そういったことを汐世さんに頼まずとも、愛情がどういうものかもわかります」
「知識の上で、だろ。それを誰かに注いでもらったことは、左程ないんじゃねえのか」
「館長には色々と教わりました。私としましては師弟としての友愛をかわせたと思っております」
「でも、それが頼坊の心を完全に溶かすことはできなかった。違うか?」
両者の間に剣呑な空気が流れる。あくまでも頼鷹は笑顔のままで、十一は呆れた表情を浮かべている。
「ねえ」
汐世が不穏の幕を破るように静かに、しかしはっきりと声をあげた。
「そんなに心配なら、やっぱ前世の記憶忘れちゃだめでしょ。ここへの行きかた教えてあげる。だから、これからたびたび遊びに来て、頼鷹さんにも会ってよ。もう縁ができたからいつでも来られるし、愛情を教えてあげる人がひとりだけなんてそんな決まりないじゃん」
十一がぽかんとして目をしばたたかせた。
「なあ、今どきの若い子ってみんなこんななのか」
「人を指差してはいけませんよ」
「男同士の喧嘩によく女の子が割って入れるなあ」
「性別は関係ないでしょう。そもそもこれは、喧嘩などではありません」
「笑顔でねちねち言ってた奴がよく言う」
十一はついにこらえきれなかったらしく笑みをこぼした。
「あー。わあったわあった。記憶を失くすのはやめだ」
しっしと片方の手を振って、もう片方で本を取って頼鷹に渡す。
「ありがとさん。なあ、汐世ちゃん。ここに来る方法を教えてくれ」
「ん。メモを渡すから、次はそのとおりにやれば来られるよ」
汐世は言って席を立つと、カウンターに回ってメモ用紙とペンを取ると、手順を書いて渡した。
「……十一さんもここの司書になるのはどう?」
礼を言ってメモに目を落とす十一に、汐世がぽつりと自身の思いつきを口にする。
「汐世さん」
すかさず頼鷹が諭そうとする。
「大丈夫だ、司書にはならねえよ。ごめんな、汐世ちゃん」
顔を上げてにっと十一が笑う。
「想い出図書館の司書ってのは、普通の人間よりずっと長い時を過ごすんだったな。申し訳ねえが、おれは長く生きすぎるってのはしんどいと思うんだ。そんなに長く生きるのは怖い。一度死んだ記憶があってもだ。親しい人に死なれて取り残されるのが怖い。頼坊と一緒に過ごしたとしても、きっと頼坊のほうが先に死ぬ。それに、いつ死ぬかわからないより、いつ死ねるのかわからないのが怖い。たとえ早死にする運命だったとしても、そっちのほうがよっぽどいい……小心者ですまんな」
そう言って気まずそうに笑う。
「いいえ、正直に言ってくださってありがとうございます」
「ごめん、二人とも。さっきから出しゃばるような真似して」
頼鷹が言い終わると同時に、汐世が席を立って腰を折った。
「そんな。汐世さんが居たからさっきの言い合いも収まったのですから」
「そうそう。ここに来る奴ってみんな記憶を想い出したいって来るわけだから、悩みを抱えてる人も沢山いるんだろ?今みたく丸く収められるんなら、汐世ちゃんならきっと立派な司書になれるさ」
「ありがと」
突然褒められてこそばゆい。
「おや汐世さん。表情練習の成果が出てきたようですね。私にもちゃんと、笑顔がわかりました」
思わず、というときは多少表情が表に出るらしい。恥ずかしかった。
表情練習の成果が出たより、手伝いをするようになってだいぶ経ったからちょっとした表情の変化もわかるようになった、と言われたほうが嬉しいのに。
ふと気配を感じて顔を上げると、十一がにやにや笑いを浮かべていた。それにほんの少しむかっ腹が立ったけど、気づかれていなさそうなのは幸いだった。
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