エース1

「ちょっと思ったんですけど、王木先輩ってあんまり貫禄ないですよね」

 春日さんが私に話しかけてきた。突然バレー部に引き込まれる形となってしまった真希は、学校指定のジャージと体育館履きという出で立ちをしている。バレーをやるつもりはなかったのだから当然と言えば当然の恰好だ。

「さっき王木先輩をむりやり連れてきたときも思ったんですけど、強いスポーツ選手特有のオーラというか、雰囲気がなくて、親しみやすさがあるというか」

「体も大きいから、その辺は気をつけてるみたいだよ。特に女王なんて呼ばれるようになってからはね」

「メディアが勝手に付けた名前と実際の王木先輩にギャップがあるんですねえ」

「案外そうでもないんだよ。コート上だと、普段の様子から一変してチームを引っ張ていく頼れるエースだった。だれよりも頼れた」

 中学最後の負けた試合を思い出し苦虫を嚙み潰したような顔をしているのが自分でも分かる。

「頼りすぎちゃった」

 春日さんは、私の含みのある物言いが気になっただろうが、それまで黙って聞いていた真希が遮った。

「本人を前にそんな恥ずかしい話しないで」

 この場にいる六人は体育館で車座になり、最初に自己紹介を終え、次に部の活動方針を決める段取りとなっていたが、話が逸れてしまった。

「分かりました、後でこっそりいろいろ水上先輩に聞くようにします」

 春日さんが分かっているようで分かっていないような反応を返した。

「それで、活動方針と言うか、目標だけど」

 真希が言い終わらないうちに、春日さんが手を上げた。

「そんなの決まってるじゃないですか。インハイも国体も春高も全部制覇です!」

 私は苦笑いをして話に割り込んだ。

「それは無理かな」

「どうしてですか。王木先輩がいますし、後私も死ぬほど頑張りますよ。そんな簡単に無理だなんて」

「そうじゃなくて、三年生の部活は夏までなんだよ。だから時期的に国体と春高は無理ってこと」

 一応進学校の金倉は、三年の夏以降は受験に専念させるため、そのような制限が設けられている。そのことに春日さんも特に抗議する様子はなかった。

「まあそうですよね。じゃあ、目標はやっぱりインハイ制覇ですね」

 春日さんのやる気に満ち溢れる様子を見て真希が笑った。

「頼もしい後輩だね。私も異論はないけど、皆はどう」

 真希は全員を見回した。

「私は特には」

 良子が即答した。

 私は特に意見がないので、黙って一年生二人の反応を待つことにした。

そんなことよりも私の心は弾んでいた。真希がまたバレーをするために体育館にいる。また一緒にコートに立てる。何となく普段の殺風景な体育館が輝いている。

「北村さんと、双海さんはどうかな」

 私は物思いに耽っていたが、真希の声に現実に引き戻された。

「私も、まあ、はい、特には」

 と、双海さん。

「お手柔らかにお願いします」

 こちらは北村さん。

 少し運動するくらいの軽い気持ちで同好会に顔を出したであろう二人は思わぬ成り行きに困惑しているようだが、一応反対することはなかった。

「よし、やるぞ」

 春日さんがおもむろに両手を天高く突き出しながら立ち上がり気合十分な声を体育館に響かせた。

「まず、何からやりますか」

 春日さんが心躍らせているのが手に取るように分かる。何だか犬みたいだと、私は少し笑った。

「後一時間しかないよ」

 私は良子以外知らないであろう活動時間について忠告した。部活動の時間は六時までと決められている。授業は四時には終わるから毎日二時間程度しかできない。体育館の大きな時計は五時を少し回ったところを指していた。

「じゃあ、軽く運動しようか。皆の実力を知りたい」

 真希は素早く立ち上がり、ボールを一つ片手で掴んだ。そのままコート中央のネット際まで移動した。

「エンドラインに縦一列に並んで。今からボールを軽く打つからレシーブして、終わったら一番後ろに移動。グルグルと回るイメージね」

 最初に春日さんが並び、それに続いて北村さん、双海さんの二人が並んだ。その後ろに良子、私の順で並ぶ。

「最初は正面に打つけど、少しずつ左右に振っていくからね」

 真希はボールに回転をかけてトスを上げ、春日さんの正面に打ち込んだ。

「お」

 私の番になりボールを真希のいる場所に正確に返す。

 本人は軽く打つと言っていたが、結構威力がありボールが重く感じ、思わず変な声を出してしまった。ボールを打つ一連の動作、ボールを打つとき掌に当たる小気味いい音がブランクを全く感じさせない。

 続いて北村さんのレシーブは少し短くアタックラインまでしか届かない。

「あ、すみません」

「大丈夫」

 真希は素早く移動して、ボールを打った。双海さんのレシーブしたボールもまた、真希のいるところには返らず、レフト側のサイドラインとアタックラインが交わる場所まで移動しなければならなかった。それでもなお、真希は焦らず素早く動き、良子の正面に正確にボールを打つ。

 学校指定の滑りやすそうなシューズで、ブランクを感じさせず、正確にボールを打てる真希はさすがだなと、私はしきりに感心した。

 予告通り、真希は少しずつレシーブする人が左右に動くようにボールを打つようになった。良子と私、そして春日さんはそれでも問題なく正確にレシーブを返していく。

 三十分ほど続いて、私がレシーブをしたところで真希はボールをキャッチした。全員体が温まったのか、薄っすらと汗を掻いている。

「じゃあ次スパイク。良子よろしく」

 そう言うと真希はボールが大量に入ったボールカゴをネットの向こう側に置いた。

 良子がネット際まで移動し、真希と入れ替わる。

「じゃあ、さっきと同じように縦に並んで。軽くボール打つから、レシーブして、そのままアタックね。打ったボールは自分で拾いにいって、カゴに入れて。上げて欲しい場所を言って、そこに上げるから」

「じゃあ、レフトで」

 さっきまでの流れで先頭は春日さんだった。良子が左手で軽くボールを打つ。良子はこの中で唯一の左利きだ。

 良子がその場で軽くジャンプし、トスをレフト側のアンテナと同じような高さに上げた。

「え」

「お」

 春日さんと真希が同時に感心の声を上げた。ジャンプトスだ。真希がいなくても練習をしてきたのは私だけじゃない。良子も真希が戻ってきたときのためにと、中学のときにできなかった技術を磨いてきた。

一度も大会に出たことのない高校にジャンプトスができる人がいるとは思わなかったのか春日さんは口を開けたままトスを見送り、ボールがそのまま床に落ちた。

「春日さん、打ってよ」

「す、すみません、もう一度お願いします」

 良子はさっきと同じようにジャンプトスでボールをアンテナと同じような高さに上げた。春日さんが素早くレフト側に回り込み、コートのエンドラインとサイドラインが交わるクロス側に鋭く打ち込んだ。

「おお」

 今度は私が感心の声を上げた。一目見たときから、背の高さと筋肉の付き方からかなり強い選手だと思っていたが、期待通りだった。福岡から来たと言っていたが、それだけの実力はあるようだ。

 立て続けに、北村さん、双海さんもアタックを打ち込む。様にはなっているけど、威力もスピードも春日さんには遠く及ばない。

 真希の番になった。この場にいる全員が期待の眼差しを向けているのが分かる。その様子を気にすることもなく、真希は良子が軽く打ったボールを返し、レフト側へ移動した。

 助走は軽く、最後ジャンプする前の一歩で大きく床を蹴る音が、掌でボールを打つ音がやけに大きく響いた。ボールは、ストレート側のエンドラインとサイドラインが交わるギリギリに打ち込まれ、壁に当たり、ネット際まで一度もバウンドすることなく戻ってきた。

 一年生全員が、真希の鋭く威力ある攻撃を目の当たりにし、呆然としていた。

 ブランクがあるとはいえ、さすがだ、真希はやっぱりすごい、本当に戻ってきたんだ、私はさまざまな感情が、涙が、溢れそうになったが堪えた。

「続けるよ」

 私は唖然としていた春日さんに声をかけた。

 自分で打ったボールを自分で拾いにいくため、多少順番が前後し、春日さんが打つときにちょうど私がボールを小脇に抱え、コートの左端に立っていた。何回か春日さんのアタックを見て、クロス側が得意コースだと察しがついていた。

 私はボールを床に置き、レシーブの構えをした。二歩左に素早く移動し、ボールの正面に回り込み、ネット際コート中央に返す。試合中ならばそこにセッターがいるため最も理想的なレシーブだ。

 ついこの間まで中学生だったことを考慮しても、威力もスピードも悪くない。これから強くなっていく人だと確信を持てる。

 しばらくして体育館に活動終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

「今日はお終いだね」

 私は名残惜しかったが、部長としての責任を果たさないといけない。

「下校時間過ぎても残ってると怒られるから、早めに帰ってね」

 一年生たちがネットを片付けようと動いたところを真希が制した。

「そのままでいいよ。少し残ってやってくから」

「え、じゃあ私も」

 春日さんはまだ真希のプレーを見たいのか、残ろうとした。

「まだ初日だし、今日のところは終わり。それに私のせいで怒られるのも申し訳ないからね」

 そうですかと、春日さんはがっくりと肩を落とした。

「あ、奈緒は残ってね」

 帰ろうとしていた私は驚き、真希の顔を見つめた。

「え、さっき私のせいで怒られるのも申し訳ない、って」

「奈緒は、ほら、あれじゃん」

 長い付き合いなんだし、とでも言いたそうだ。

「一緒に怒られようか」

 真希の笑顔が眩しかった。それにこんなに楽しそうな真希は久しぶりに見た。一緒に怒られるのも悪くはないなと、私も楽しい気分になってしまった。

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