押し殺していた願い1
四月になり学年も上がり、私と、同じくバレーボール同好会メンバーで同級生の犬飼良子は高校三年生となった。良子も私と真希と同じ中学でバレー部だった。中学のときのポジションはセッター。残念ながら中学二年のとき、新入生で上手いセッターが入ってきてしまいレギュラーを奪われてしまったが。
授業も終わり、同好会の活動日ということで、私と良子は体育館にいた。
「新入生だれか来るかな」
ネットの設営をしながら良子が呟いた。
去年一つ上の先輩が引退し、同好会メンバーは私と良子の二人だけになってしまった。最低限競技人数を集められないと、その部は廃部となってしまうため、良子は心配しているようだ。
「さあね。去年はだれも来なかったし、今年も駄目かもね」
手早くネットの設営を終えて、良子は腰まである長い髪を後ろに束ね、ボールを一つ投げて寄越した。本気で取り組む部活だと髪を切れとか言われるだろうが、ここは同好会、自由度は高い。
私はボールをアンダーハンドで受け、ボールは弧を描いて良子の真正面に到達した。
良子もまた、同じように受け、準備運動がてらのパスが始まる。
「このままじゃ、もったいないじゃん」
「何が?」
私は良子の言わんとすることが分からず首をかしげた。
「奈緒は大会に出るわけでもないのに、毎日練習してたじゃん。でもそれを発揮する日は来ないんだよ」
「それは良子もでしょ」
この高校は運動部が少なく、放課後であれば毎日自由に体育館を使用できる。私は同好会がない日も体育館に来ては一人でできる練習を繰り返していた。そのうち良子も付き合うようになった。
ラリーはなおも続いていてボールが腕に当たり発せられる小気味よい音が体育館に響く。
毎週末予備校の帰り道で、真希がバレーの道具を抱えて大学から出てくる姿を目撃するも、結局、真希が高校の同好会に顔を出すことはなかった。
「運動不足の解消が目的で、大会とか目指して練習してたわけじゃないし、別に私は構わないけどね」
私は真意を隠して答えた。
しばらく無言でラリーが続く。私たちの付き合いは中学からで、もう六年になる。無言であることに気まずさを感じることもない。
「こんにちはー!」
突然体育館に元気な声が響いた。私は驚いて思わずボールを掴んでしまった。
声のしたほうを見ると、体育館の入り口に三人の女子生徒がいた。
「入部希望でーす!」
さっき元気に挨拶した声と同じで、三人の中で一番背の高い生徒だ。私の身長は一七〇センチあり、目線の高さが大体同じ。髪はベリーショートで、肌が浅黒く日焼けしていて快活な印象を与える。身長と半袖、短パンのジャージの下から覗く筋肉質な手足から、バレーをやり込み、強い選手であることが伺えた。
良子の身長が私より少し低く、他の二人は、それよりも低いから一六〇センチくらいだろうか。使い古したシューズを履いてることから経験者であることは分かるが、その二人が醸し出す雰囲気、立ち振る舞いからそれほど強い選手ではないだろうと私は推測した。
「春日陽菜です、よろしくお願いします」
一番背の高い新入生が名乗り、続けて二人が名乗った。
「北村薫です」
伏し目がちで少し自信がなさそうな印象を覚える。
「双海夕美です」
こちらは釣り目で少しきつそうな顔をしている。
「私は水上奈緒、一応部長。で、こっちは犬飼良子。副部長」
私も自己紹介し、良子を紹介するときには肩に手を置いた。
私は春日陽菜と名乗った、元気でバレーが強いであろう新入生の顔をまじまじと観察した。相当楽しみにしていたのか、表情が明るい。体育館に入ってきた第一印象で元々明るい人かと思ったが、それを差し引いてもニコニコしていて元気が溢れている。
「今日、全然人いないですね。もしかして休みですか?」
「ん? いや、そもそも……」
私が同好会には二人しかいないことを説明しようとしたが、春日さんは喋り続ける。
「休みなのに、部長と副部長は練習なんて、やっぱり強豪はすごいですねえ」
春日さんは、腕を組みうんうんと頷いている。
私と良子は顔を見合わせた。うちが強豪? この子は何を言っているの? 私たちは声にこそ出しはしなかったがお互いの考えが手に取るように分かった。
私と良子、そして真希が通う金倉高校のバレー部もといバレー同好会は創部以来、公式戦に出たことなどなく、強豪などと称される謂れはないはずだ。
他の二人の新入生も不思議そうに顔を見合わせている。
「えっと、春日さん」
良子がおずおずと口を挟んだ。
「なんだか、大変な勘違いをしているみたいだけど、うちの高校にバレー部はなくて同好会しかないよ。それに大会なんて一度も出てないし。強豪なんてとんでもない」
今度は春日さんが不思議そうな顔をし、首をかしげている。頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいる様子が見て取れる。
「え? いや、だって、あの、え?」
私は春日さんが何を勘違いしているかに思い当たった。
「たぶん春日さんが言っているのは、白峯高校のことかな。そして、ここは金倉高校」
白峯高校は創部以来十何年全国大会の常連で、今年の春高で悲願のベスト8に入った県内の強豪校だ。対して金倉は、進学校であって、とりたてて部活動は盛んではない。
もしかして受験する高校間違えたのかと、この場にいる全員が哀れみの目を向けた。
「県内でバレーやってる人なら当然知ってることだけど、もしかして春日さんは県外から来たの?」
今度は新入生の北村さんが口を挟んだ。
「そうだよ、福岡から。バレーをやるために」
最初の元気はどこへやら、沈んだ声で春日さんが答える。
「普通受験する高校間違える? ネットで検索すればすぐに分かることじゃん」
もう一人の新入生双海さんがさらに追い打ちをかけた。
「ちゃんと調べたよ。それでもここが強豪だと思ってたんだよ」
春日さんは力なく床に仰向けに倒れ込み、手足を広げ、絶望した表情で虚空を見つめ始めた。
「おかしいとは思ったんですよ。この高校のバレー部の情報なんてどこにも載ってないし、強豪ならよくあるはずのスポーツ推薦もないし」
私は春日さんに聞こえないように配慮して、良子の耳元で囁いた。
「それでもうちを受験したのは何でなんだろうね、もしかしてアホの子なのかな」
良子もひっそりと会話をするため、声のトーンを落とした。
「ちょっと変わった子だけど、アホではないんじゃない。一応進学校であるうちに受かってるわけだし」
虚空を見つめていた春日さんが素早く顔だけを動かし、視線を私と良子に向けた。
「聞こえてますよ、先輩方」
「あ、ごめん、聞こえてた」
私は悪びれる様子もなく謝った。
春日さんが大きく溜息をつき、仰向けのまま喋り始めた。
「女王こと、王木真希に憧れてこの高校にしたんですよ」
思わぬ名前が飛び出し、私と良子は驚き顔を見合わせた。真希は中学生のときから将来有望な選手として雑誌に幾度となく取り上げられていた。チームを引っ張っていくプレースタイルと苗字の「王」を取って女王とまで呼ばれるようになっていた。もっとも本人は女王と呼ばれることは好きではなかったみたいだが。
そんな真希に憧れる後輩は少なくない。だから春日さんが真希を追いかけこの高校を選んだのも納得はできる。
「小学生からバレーをやってて、小六のとき、中学の全国大会が地元で開催されるってことで見にいったんですよ。女王のプレーを初めて生で見て、私もこうなりたい、あんなふうにプレーしたい、って思ったんです」
春日さんは遠い目をしながら、いかに女王・王木真希のプレーが素晴らしく、いかに自分が憧れているかを切々と語りだした。
「中学では女王と一緒にプレーしたくて、転校できないか親を説得しようとしましたが、あまりにも急すぎたからか結局地元の中学に通うことになっちゃいました」
「思い出話に付き合う義理はないけど、どうする」
私はうんざりしながら良子に耳打ちした。
「まあ、何だか可哀想だし、付き合ってあげたら」
いくら小さな声で喋ろうとも、バレー同好会以外いない静かな体育館では音はかき消されないため、春日さんにも聞こえているであろうが、春日さんは意に介さず思い出話を続ける。
見ると、新入生二人も哀れみ半分、諦め半分で黙って話を聞いていた。
「中一の冬でした。女王とその右腕、二人の進学先が取り上げられていたんですよ」
女王とその右腕、という苦い思い出が伴う懐かしい響きに私は、心臓が縮み上がってしまう。真希と同様に、幼馴染で同級、将来を有望視されていた選手である右原莉菜。苗字の「右」を取り、女王と合わせて二人で、女王とその右腕、私も、真希も、莉菜も忌み嫌う二つ名だ。
「二人は同じチームでありながら、いいライバル関係で、高校ではお互いが強くなるべく、別々に進学したと書いてありました」
雑誌だとそんな書き方をされていたのかと、真希と莉菜二人の間にあったことを唯一知る私は暗澹とした気持ちになった。将来有望な選手を取り上げるだけならまだしも、勝手に二つ名を付け、進学先まで書いてしまうなんて。二つ名さえなければ、いや、外野の大人たちが二人を対比させるような言い方、書き方をしなければ、莉菜があれほどの対抗心を燃やすこともなく、真希はバレーをやめることはなかったはずなのに。
「私は女王の進学先の高校にマーカーを引き、そのページに付箋を貼り、大事に保存したんです。教科書にそんなことしなかった私がですよ。そして遂に、憧れの人がいる高校に入学したのに、いないじゃないですか!」
それまで仰向けに倒れポツポツと呟いていたのに、突如ハンドスプリングを決め、大きな声を出すものだから全員が驚いてしまった。
「いや、いるにはいるよ。バレーはやってないけど」
私はフォローになっているかなっていないか分からないフォローをした。
「いるんですか!? じゃあ私は進学先を間違えたわけじゃないんですね」
途端に春日さんの表情が明るくなり、声に張りが戻っている。
「まあ、そうだね。でもね、真希はもうバレーをやってないんだよ」
私は春日さんのテンションを一度落ち着けるために、バレーをやめてしまったことを強調したが、どうやらあまり耳に入っていない様子だ。
「探してここに連れてきます」
春日さんは踵を返して、体育館を出ていこうとしたが、すぐに立ち止まり、私たちに振り返った。
「やめた理由って、怪我ですか」
スポーツ選手が引退してしまう一番の理由に思い当たる程度には、相手の境遇を考える冷静さは残っているようだ。
「そういうのではないけど」
「じゃあ、行ってきます」
私が否定すると同時に、春日さんは体育館を飛び出してしまった。私は勢いのよさに押され呆然と見送ることしかできなかった。
「追いかけなくても大丈夫なの」
良子が心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「何で真希がバレーやめたか私は知らないけど、それなりに理由があるんでしょ。むりやり誘うのはまずいんじゃないの」
「もう帰っているだろうし、今日は大丈夫でしょ。それより、せっかく新入生が来てくれたんだし、相手してあげないと可哀想でしょ」
新入生と雑談しながらまずは柔軟体操から始めることにした。
良子にはああ言ったが真希がまだ残っている可能性もある。春日さんのことは気になるが、今日初めて会った人が、なぜバレーをやめてしまったのかを知らない人が、真希を説得できるとは思えない。
「さて、どうしようか。二対二のミニゲームでもする?」
「連れてきましたあ!」
一通り柔軟を終え、声をかけたところで、春日さんの元気な声が響いた。
全員が体育館入り口に顔を向けると、そこに走ってきたのか息を切らしている春日さんと真希がいた。私は真希の姿を認め、その場に立ち尽くしてしまった。
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