第3話
可憐がようやく大輔に追いつくことができたのは、一階の玄関前。
「そんなにスタスタ先に行かなくってもいいじゃないかっ! ボク、何も悪いことしてないのに」
外に出て、来た道を戻る。
まぶしい光に、少しだけ、目を細めた。雨という予報が信じられないほど、空は秋晴れ。清々しくて深呼吸したくなる陽気。
休日ということもあり、相変わらず人の多い歩道を歩きながら、可憐は半歩先を歩く大輔に、先ほどから愚痴をぶつけているのである。
しかし、彼がそんなこと、イチイチ気にするわけも無く。
「別にいいだろ? どうせこれから、特に予定は――」
「おーひーるーごーはーんっ!!」
遂には服を引っ張り、よーやく大輔を自分の方へ向けた。
可憐は最初から訴えていた。お腹すいた、どーしよーもなく空腹でぶっ倒れそうだ。
だからあのまま、希と一緒に3人で昼食を食べようと思っていたのだ。多分彼女も毎度のように食事の存在を忘れていただろうから、限界を超えてぶっ倒れる前に、と、思って。
……それを大輔が、見事にぶち壊してしまったのだが。
「ボクは希に昼食をご馳走してもらおうと思ってたのに!」
「……結局自力で食べるという選択肢はないわけだな」
「あるわけないじゃん!」
「威張るな」
ビシ、っと、額に衝撃。
大輔は呆れ顔で可憐に「でこピン」を一発入れ込むと、嘆息して、
「……どうせ、夕飯の買い物もしなくちゃならないからな……駅のほう、行ってみるか」
「あ、行くー。デパートの地下で、試食めぐりしよー」
「……勝手にやってろ」
至極あっさり二つ返事で頷いた可憐は、とりあえず、今からの(きっと豪華な?)昼ごはんに思いを馳せて――
立ち止まった。
行き交う人々の流れは止まらない。車だって同じだ。日曜日だけど、日曜日だから、平日とは別の流れが出来上がっている。
それぞれが、銘々の場所を目指しているのに。
駅のデパート街へ続く大通りの途中。
可憐は立ち止まり、全神経を集中させる。
異変を察知した大輔も、眼鏡の奥にある瞳を鋭くして周囲を見渡した。
どちらかといえば、これは……彼の専門分野。周囲への警戒を解かず、相棒をちらりと見上げる。
「――大輔、分かる?」
「ちょっと待て、今、検索して……よし、こっちだ」
可憐より早く相手を掴んだ彼が、再び先だって歩き始める。
こういうときの彼は100%信頼できるので、迷うことなく可憐も続いた。
そのまま少し進んだ後、大通りを左折、人が一気に少なくなる裏通り的な商店街に入り込んでいく。
古くから続く老舗と、シャッターの降りた店が左右交互に並んでいるような、そんな通り。人の通りもまばらで、駅とは反対方向になるこの場所は、栄えた場所の影を象徴しているような気がした。
ここも以前はきっと、向こうの通りみたいに沢山の人の姿があったのだろう。
そんな通りの、真ん中で。
彼は一人、まるで二人を待ち構えるようにそこにいた。
そう、最初から、そこに立っていたのだ。
いつの間にか、普通の人間の気配がなくなっている。
好都合だと内心で思う。魔法使い同士が戦うかもしれないのに、関係ない民間人がいると、それは十分すぎるほど邪魔な因子になるから。
結界やバリアーみたいなものを使って、この空間だけを切り離すことも不可能ではないけれど……それは別の専門家の仕事。あいにくココに、その専門家はいないわけで。今から呼び出しても間に合わないだろう。
だから、今日はこのまま。破壊活動は極力控える方向性で。
可憐は大輔より前に出て、彼を、真正面から見据えた。
身長目測160センチ以上の彼は、トレーナーにジーンズというラフな格好。顔は深くかぶったフードの向こう側なので、要するにどんな表をしている人なのか、今はこちらから確認することが出来ない。
ではどうして「彼」と呼ぶかといえば……その人物の全体像を把握しての判断である。女性らしいしなやかさではなく、男性のシャープさを感じるから。
ただ、今問題なのは、目の前にいる人物の性別ではなくて。
二人の目の前にいる目的が、何なのかということ。
動かない彼に代わって、可憐から一歩、近づいてみた。
風が、吹き抜ける。
少しだけ、体が、疼いた。
「ねぇー、いかにも「悪役です」っていう登場だと思わない? もうちょっと演出に趣向を凝らしてくれると、ボクもそれなりに対応を検討するんだけど」
可憐の言葉に、彼は、フードの下で軽く笑った。
「……変わってないねぇ、いきなり喧嘩ふっかけるところとか、特に」
意外と高い声音。大人の階段を登っている若者だと認識して、可憐は少しだけ安心した。とりあえず、同年代の――十代中盤から後半の魔法使いならば、実力なんて高が知れてる。
身長はいくらでも高く出来る。だけど……年齢を魔法で誤魔化すことは、出来ないといっても過言ではない。
例外を除けば、だけど。
背伸びしている(ように見える、可憐からは)彼に、更に一歩近づき、
「……キミは……!?」
息を、のむ。
思わず、足を止めた。
後ろにいる大輔も気がついたのだろう。彼が一体誰なのか。
「久しぶりだね、可憐ちゃんに大輔君。まぁ、可憐ちゃんは「本当に」変わってないみたいだけど……僕のこと、忘れてなかった?」
フードの下で笑いながら言葉を紡ぐ彼は、一歩、二人に近づいてくる。
可憐と大輔はうごけないまま、ただ、自分たちの記憶を辿っていた。
――思い当たることは、たった、一つだけ。
だけど、同時に強い疑問がわきあがる。
どうして、彼がここにいる?
「忘れるわけないだろ? でもまさか……キミがボクらに喧嘩を売ってくるなんて思わなかったな、蒼維」
可憐が彼の名前を呼ぶと、「ご名答」と呟いてフードを取る彼。
かつて、一緒に反逆した仲間は……7年前から変わらない、飄々として少し軽薄な印象の笑みで、二人を見つめていたのだった。
「蒼維、お前、いつ……いつ出てきた!?」
可憐の横に並んだ大輔が、少しかすれた声で呼びかける。
彼女が彼と面識があるように、大輔にとっても、蒼維は大切な友人の一人だからだ。
そんな彼が、今、自分達に明らかな敵意を向けている。
表情を歪めて問いかける彼に、蒼維は肩をすくめながら返答した。
「予想外だった? そりゃあ、予想外だろうね。大輔君は「僕が敵になることはない」って、思ってたんだろう?」
軽く舌打ちする大輔。
「そうだ、お前は――」
「……残念、ちょっと事情が変わったんだ。それに、今回用事があるのは可憐ちゃんなんだよね。悪いけど、ちょっと下がっててくれない?」
利き手に装着しているグローブ。そこから細い煙をたなびかせ……蒼維は、にやりと笑った。
可憐は目を鋭く細め、彼の手を見つめる。
魔法の前兆が、そこには、確実に存在していたから。
「……この場で魔法を行使した場合、条例違反の魔法使いとして、ボクはキミを止めなくちゃならない」
「そうみたいだね。まったく……可憐ちゃん、キミが「機構」のイヌに成り下がっているなんて、正直失望してるんだ」
刹那、蒼維の瞳が、可憐を睨みつける。
その双方に、明らかな侮蔑を混ぜ込んで。
「ボクはネコだけど、ね」
言外に意味を含ませ、可憐は蒼維の視線を真正面から受け止めた。
互いに、特に目立った武器を携帯している様子はない。ただ、彼らの喧嘩に武器など必要ない気もするのだが。
「キミが同族殺しっていう汚名を背負ってるって聞いたときは、愕然としたよ。あの時の反逆は一体何だったんだ、僕の7年間は何だったんだって、ね」
「キミの人生に責任もてるほど、ボクは偉くないよ。自分の人生は自分で面倒見てくれない?」
彼の右手から目をそらさず、可憐は蒼維に言葉を投げる。
大輔は、互いを伺っている二人の様子を……ただ、じっと、見つめていた。
「蒼維、キミの目的を教えてくれない? ボクらの前にわざと、タイミングまで見計らって姿を見せたってことは……ただ、挑発したいだけってわけでもないんだろう?」
ゆっくり、腰のホルダーに手を伸ばす。
そこにある武器を握り締めると、途端、蒼維が狂気に似た笑顔をその顔に浮かべ、
「分かってるじゃないか……そうだよ、僕は、キミを狩ろうと思って出てきたんだ、高橋可憐!!」
瞬間、彼が鋭く踏み込んだ一歩で、可憐との距離を一気に縮める!
以前とは違う、彼の身体能力が明らかに高くなっていることを自分自身に言い聞かせながら、可憐は重心をずらして直進してた彼をかわし――武器を、握りしめた。
空中ですれ違い、互いに体勢を整える。
可憐が握り締めた武器を見つめ、蒼維は目を細めて呟いた。
「……懐かしいな。その外見に何度騙されたか」
「騙されてくれていいよ。さっさと静かになってくれたら助かるしねっ!!」
瞬間、可憐が引き金を引く。
彼女の武器――オモチャの水鉄砲から連続で発射された水弾は、オモチャから発射されたとは思えない鋭さで、一直線に蒼維を目指した。
彼はその場から動くことはなく……右手のグローブで、飛んできた水を全て払い落とす。
水は、地面に落ちる前に、蒸気になって霧散した。
拳銃の携帯は警察官しか認められていないので、可憐が実弾を使えないという理由は勿論あるのだが、彼女が水鉄砲で相手を黙らせることが出来るのは、彼女が操る力に関係がある。
そのことを熟知している蒼維は、すっかり熱くなった右手を挑発的に見せつけながら、「この程度?」とあざ笑った。
「やっぱり、こんな小手調べじゃダメか……キミを止めるには、ボクが本気にならなくちゃならないってこと」
「可憐ちゃん、負け惜しみは見苦しいよ。君の力は僕の「焔」が蒸発させる。届く前に全部消し去ることが出来るんだからね」
事実その通りだ。直線に相手を狙う可憐の水弾は、蒼維の腕によりことごとく気体化。その効力を発揮するまでもなく、無効化されてしまう。
可憐はその場で立ちつくし、少しだけうつむいたまま……ぽつりと、尋ねた。
「蒼維、キミは……ボクがここで取り逃がしたら、どうするつもりなんだ?」
「さて、どうしよう。とりあえず、僕たちを監視している奴らに反逆でもしてこようかな?」
ちょっとコンビニ行ってきます、それくらい、実に軽い口調で返した蒼維の言葉を聞いた彼女は……ゆっくり、顔を上げた。
そして、真っ直ぐに彼を見据えると――おもむろに自分の唇を噛み、血を浮かべる。
溢れ始めた血を舌で舐めとり、唾液混じりのそれを武器の中に仕込んだ。透明だった水が、少しだけ、ほんの少しだけ。
濁る。
「へぇ……自分の血を混ぜるなんて新技、いつの間に開発したの? ちょっと痛そうだけど……きっと痛み損、無駄だと思うよ」
「血……!?」
蒼維の言葉に反応したのは、後ろで事の成り行きを見守っていた、それが役割の大輔だった。
「可憐、お前……」
「――次の一発で決めてやる。後悔するなよ、蒼維」
先ほどより低い声で、片手で照準を合わせる可憐。
雰囲気を変えた少女に疑問を抱きながらも、蒼維は余裕を崩さないまま、自身の右手を構えた。
向かい合った二人の間に、遮蔽物は何もない。
可憐は少しだけ目を細めながら、ゆっくり、そのトリガーへ指をかけて――
「やめろ可憐!! お前、蒼維を殺すつもりか!?」
刹那。
叫んだ大輔の声に、全身がびくりと反応した。極限まで高めた集中力が、一瞬で崩れる。
確かに蒼維はまだ、魔法を使うという決定的な素振りを見せていない。ただ、単なる挑発でもそれに分類される場合もあるし、今の場合は確実に魔法を行使するつもりだと誰が見ても明らかだ。だから、ここで可憐が彼を攻撃したとしても、それは単に仕事をしただけ、それだけで終わる。
終わらせたい。今すぐにでも。
でも。
大輔が、認めてくれない。
彼だって、今の蒼維がさっきの奴と同じ……いや、それ以上に危険な存在であることは分かっているはずだ。普段から私情を割り切って物事を考えてくれる大輔だからこそ、可憐は、大輔の指示に従ってきたのに。
躊躇、そこに確実な隙が生まれる。
板ばさみで動けない可憐は、無防備な状態だ。動かない彼女を待っていられなくなった蒼維が再び距離を詰め、何も出来ない可憐に向かって、グローブをはめた右手を、思いっきり突き出す。
咄嗟に顔をガードして、後ろに飛ぶ。目の前に感じたのは圧倒的な熱量、顔が日焼けを通り越して火傷してしまいそうな、そんな乾いた空気に、可憐は奥歯を噛み締めた。
さっきの血の味が、口の中でじわりと広がる。
可憐の独断では、蒼維を攻撃できない。
だけど、大輔は許可してくれない。
「どうしたの、可憐ちゃん。急にやる気がなくなった? そんなに他人を痛めつけるのが好きなんだ」
「……そうだって、言ったら?」
額から落ちてきた汗を舐め、蒼維を睨みつける。
過去、稀代な「焔」の魔法使いだと称された、かつて一緒に遊んでいた、彼を。
可憐の言葉に、蒼維の目が見開かれる。
軽蔑。そこにあるのはそれだけだった。
「……可憐ちゃん、君は、僕たちの命を何だと思ってるの? 使い捨ての燃料? 単なる研究材料?」
彼が告げたのは事実。普通なら黙り込んでしまうしかない状況下。反論の許されない不利な状態であるにもかかわらず、
「そうだ、ね」
彼の質問に、可憐は思わず、鼻で笑ってしまった。
だって、そうだろう?
今更、何を期待しているんだろう。
「ねぇ蒼維、キミはボクに何を期待しているの? そう言えば、ボクの心が動くと思った? 罪悪感に打ちひしがれて、懺悔の言葉を口にするとでも思ったの?」
今度は可憐が、彼を軽蔑する番だ。
「キミはよっぽど、この7年間、綺麗な世界で生きてきたんだね」
呟く言葉に、蒼維が言葉を失う。
贖罪の言葉も、動揺を微塵も見せない目の前の少女は、背筋が凍りそうなほど、冷たい微笑みで、
「そうだね……大輔、殺さなきゃいいんだろう?」
「可憐?」
大輔の振り向かずに、彼女は武器をしまいこんだ。
そして、両手を軽くひねりながら……立ち尽くしている蒼維を、獲物を捕らえた瞳で捕縛して、
「大丈夫、殺さないよ。キミには色々喋ってもらう必要があるみたいだし。響古にも会いたいだろう?」
「可憐ちゃん、君は……」
蒼維が、最後まで言葉を発することは叶わなくて。
彼女によって瞬時にゼロにされた距離、現状を理解する暇を与えず彼の懐に易々と入り込んだ可憐は、そのまま膝を鳩尾にめりこませる。
華奢な少女からは想像も出来ないほどの力、体を「く」の字に折り曲げた蒼維は、抵抗することなく、がくりと項垂れた。
そんな彼を支えることもなく、地面に落ちる重たい音を、ただ、無機質に聞き流す。
「可憐……お前……」
「殺してないってば。気絶させただけだよ。確認してみたら?」
恐る恐る、うつ伏せに倒れた蒼維へ近づく。しゃがんで手をとり、脈を確認すると……一度、安堵のため息をついた。
「大輔、どういうこと? そりゃあ、ボクもちょっとやりすぎたけど……いくら蒼維が知り合いだからって、そんなんで判断乱されたら困るよ」
そんな彼に、後ろから、可憐の冷たい言葉が突き刺さる。
大輔は他にもチェックをしながら、振り返ることなく返答した。
「……蒼維が俺たちの前に現れたのには、理由があるはずだろう? 奴の背後に何があるか分からないんだ。情報源から情報を奪わないのは、ナンセンスだと思わないか?」
二人の間にある距離。
それは、単なる考え方の違いだけなのだろうか。
「――そう。とりあえず、そういうことにしておいてあげるよ」
呟いた可憐の言葉に、感情は、なかった。
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