第253話 発狂

 いつからだろうか。彼が自分を見てくれるようになったのは。どんなに辛い時でも彼は自分のことを見てくれていた。朝と夜に挨拶をするだけで、自分は幸せだった。



「こんな愚図に、わたくしが負けるとでも?」



 いつからだろうか。彼が自分以外の者を見るようになったのは。ロレーナ、ユニス、コリナ、エイミー、そしてキサラギ。彼が誰かと話しているだけで、幸せではなくなった。



「おかしいですわ。ツトム様は、最近おかしい。何故、何故か私を見てくれない。何故……何故、何故? 何故ですの?」



 いつからだろうか。いつも自分のことだけを見てくれる部屋の中にいる彼と、神台に映る彼が乖離かいりしたのは。その現実を見てしまう度に、自分が彼に嫌悪感を抱いてしまうようになったのは。


 以前アルドレットクロウのクランハウスでお褒め頂いた時から、ステファニーは更に邁進まいしんしてきた。だがツトム様はそれから他の者たちを褒め続けた。自分はツトム様のためにこれほど尽くしているのに、そのお返しはいつまで経ってもこない。


 最初は更に自分を邁進させるための当て付けかと思った。だが時間が積み重なるにつれ、日に日にその思いは増大していった。そしてスタンピードから努が何処かユニスを評価しているような雰囲気、そしてキサラギの手を取って起こしている姿で、ステファニーの想いは今や爆発寸前だった。


 キサラギは自分よりも明らかにヒーラーの技術もレベルも低い。容姿だって一般人に毛が生えたようなものだ。彼女は全て自分より劣っているのに、努から触れられている。



「あぁ……あがぁぁ!! ああああああぁぁぁ!?」



 ステファニーは嫉妬のあまりに大口を開け、両手を突っ込んで指を噛み千切りそうな勢いで歯軋りしていた。よだれが白く細い指を伝い、目からはボロボロと涙を流している。


 その感情は黒く粘つくような嫉妬だ。敬愛している努への想いの強さが裏返り、それは周囲の者たちからすると恐ろしいほど濃密な負の感情だった。



「ツトムさんっ、僕の後ろに!」



 もはや目で追えないほど宙に浮かせているスキルが荒ぶり、噛んでいる指から血まで流しているステファニーを見て、ダリルは危機を感じて努を自身の後ろに下がらせた。キサラギも短い悲鳴を上げて努にしがみつき、辺りも何やら異様な雰囲気にざわついて少し引きながら様子を窺っている。


 ダリルや周りの探索者たちの目を、ステファニーは知っていた。アルドレットクロウ内でもよく見かける視線だ。常に神のダンジョンへ潜る自分を気味悪がる、自分と同じ立場にいる者など存在しない。あるのは上に位置する努だけだ。


 だが誰からも理解されなくていい。自分の目にはもう努しか映っていない。そう思い込みたいのに、クランメンバーたちの視線。努の周りに存在する者が心を蝕む。そして努に対しても何処か苛立ちを感じてしまう。何故自分ではなく他人を評価するのか、何故部屋の時のように自分だけを見てくれないのか。


 そしてそんなことを思ってしまう自分に対しても、ステファニーは自己嫌悪を隠しきれなかった。ツトム様をお慕いしているのに、そんなことを思うのはおかしい。だが部屋の中に自分を見守ってくれているツトム様と、現実のツトム様は違いすぎる。しかしそれが何故かステファニーにはもうわからなくなっていた。



「そ、それ以上こちらに近づかないで下さい!」



 負の感情の塊であるステファニーへ警告するように声を発してはいるが、ダリルは完全に萎縮している様子である。まるで必死に仲間を脅威から守ろうとしている子犬のようだ。



「おい、何やってるんだステファニー! 帰るぞ!」



 そしてそんな騒ぎを見つけたステファニーの幼馴染みであるソーヴァが、発狂している彼女の肩を掴んで引き離した。もはや自分の全く知らないステファニーの一面にソーヴァは引け腰だが、それでも彼の方が力は強い。



「ああああああああああああぁぁぁ!?」



 ステファニーがソーヴァに引き離された直後、努の顔を見て狂乱したような声を上げた。その顔は周りの者たちと同じで、完全にドン引きといった表情をしていたからだ。



「何で!? こんなにも! こんなにもお慕いしているのにっ!? ツトム様ぁぁぁ? 何故!? ツトム様、ツトム様、ツトム様!? 何故ですのぉぉ!!? なんでぇぇぇぇぇぇ!?」



 訴えかけるように掠れた声を響かせながら、ステファニーはソーヴァに引っ張られてギルドから出て行った。その様子を周囲の者たちは勿論、名前を呼ばれた努もドン引きした顔で見送った。



 ▽▽



 その翌日に出たアルドレットクロウの査定結果は、ステファニーが一軍在留、キサラギは二軍ヒーラーまで昇格ということになった。だがキサラギはその査定結果を受け取らず辞退し、しばらく活動を休止して実家に帰るらしい。幸いにもアルドレットクロウから助成金も出るようで、生活には苦労しないだろう。


 そしてステファニーの闇を初めて目の前で見てしまった努は、昨日の騒ぎが軽く取り上げられている新聞記事を見て大きくため息をついた。



(どうしてこうなった)



 昨日の騒ぎは痴情のもつれかもと書かれている新聞記事に、努は早朝から改めてため息をついた。ステファニーの様子が少しおかしいことにはうっすらと気づいていたが、まさかあれほどまでに病んでいるとは思っていなかった。



(いやほんと、どうしてステファニーはああなったんだ? 何か僕の名前呼んでたけど、そもそも全く身に覚えがないぞ?)



 ステファニーがヒーラー練習のしすぎで病み、それをツトム様が勝手に救ったことを努自身が気づけるはずもない。なのでステファニーがいつの間にか自分に対して何かを求めている理由が、さっぱりわからなかった。



(というか、指の肉自分で噛み千切るとか……ガチじゃん。こえーよ)



『ライブダンジョン!』でリスカの画像をSNS上で張り付けているメンヘラと遭遇したことはあるが、目の前で自分の名前を呼びながら指を食い千切る女性なんて見た経験はない。そのため幾多もの闇を見てきた努も、流石にあのステファニーにはドン引きしてしまった。



(でも、ステファニーは教え甲斐のある良い弟子だった。それにヒーラーの腕だって下手したら、僕を越えてくる可能性があるんだ。それなのにこのままの状態はちょっと……嫌だな)



 だがあれだけ狂気的な姿を見せつけられても、努はステファニーと距離を置こうとは思わなかった。ステファニーがあれだけ病んだ原因はわからないが、少なくとも自分が関わっていることは事実だ。それに自分と渡り合えるヒーラーは独自路線を突き進むロレーナか、神のダンジョン以外のことを捨てている様子のステファニーだけである。


 メンヘラには極力触れないようにすることは『ライブダンジョン!』で学んでいる。しかし弟子時代のステファニーを知っている分、努にその選択肢を取ることは出来なかった。それに自分が関係しているとわかっている分、まだ何とかなる可能性は見えている。



(取りあえず少し期間を空けたら、ルークさんに相談してみるか。ある程度余裕が出来ないと、こっちも時間をかけられない)



 ただし九十階層を境に努は最高到達階層のトップに立つつもりなので、あまりステファニーにばかり構ってもいられない。あくまで神のダンジョン攻略がメインの目的で、ステファニーについては出来れば達成出来たらいい程度のサブ目的だ。百階層の最速突破だけは、努が何よりも優先するべき目標である。


 今日から査定を終えたアルドレットクロウも動き出すだろう。それにシルバービーストも最近は神のダンジョン攻略に本腰を入れてきた様子も見られる。立ち止まってはいられない。


 まだクランメンバーたちが誰もいないリビング。キッチンの方ではオーリと見習いが朝食を準備していて、段々と目が覚めるような匂いが漂ってきている。



(八十一階層、誰とPT組むか)



 そして努は昨日の騒ぎについて書かれていた新聞記事から目を離すと、八十一階層について考えながらソファーに寄りかかった。

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