27.ダイヤを巡る攻防(5)
「あたしのぶんも残しておいてくれないと」
鈍い音と響き渡る断末魔に、なぜだか床のバルトがぶるりと震え上がった。
ラウルまでたじろいだように、視線をわずかに逸らしていた。
『ひええ……おっかねえ……』
「さて」
すっかり呻くばかりとなったドミニクの傍らに跪き、前髪を掴んで顔を上げさせた。
先ほどとは真逆の構図だ。
やってみると、なかなか気分がよかった。
「共有を兼ねて状況を確認するわ、ドミニク・フォン・ヴェッセルス。あんたの指輪には『強欲』が憑いていた。それどころか、あんたこそが、王冠を傷付けて封印を解き、世間に大罪をばら撒いた張本人だった。この認識に、相違はないわね?」
背後で、ラウルとバルトが驚く気配がする。
だが、彼らはすぐに思考を巡らせ、状況を理解したようだった。
「なるほど、彼なら……」
『ばら撒いた大罪が、自分に憑いちゃ、わけねえや。それともこいつは、元々これだけ強欲だったのか?』
それには短く頷きだけ返し、アリアは再びドミニクを問い詰めた。
「二つ教えて。一つ目。あんたが大罪を、王様の忠臣たちに憑くよう仕向けたのは、今の王政に不満があるからね? 三年前、謀反を起こした軍部と同じように。ううん。それどころか、あんたこそが、三年間の謀反に資金を提供していた」
立て続けに殴られ、蹴りつけられたドミニクは、口の端から血を流し、ぼんやりとしている。
時折、指輪を探すように指をさまよわせるのは、それだけ彼の魂が、深く大罪に蝕まれてしまっているからだろう。
他の人間たちのように、宝石と切り離されたからすぐ正気に、というわけにもいかないようだ。
だが幸い、大罪から切り離された今、全身が脱力し、攻撃性が失われているらしい。
「三秒以内に吐かなきゃ、後ろにいる聖騎士とあたしで、ぎったぎたに打ちのめすわよ。答えて。あんたが黒幕ね。なんで謀反なんか企んだの?」
アリアが脅しつけると、ドミニクはどこか
「……逆に、なぜ満足していられると思うんだい……」
ゆっくりと瞳を動かし、ラウルを捉える。
濁っていた鳶色の瞳に、ほんのわずか、意志の光が戻ったように見えた。
「ほしがらないのは、満ち足りているからだ。血筋、生まれ順、容姿、才能……溺れるほどに加護を与えられて、そのくせ、いいや、だからこそ、つまらなそうにふんぞり返っている」
「叔父上……」
「おまえも、おまえの父親も、そっくりだ。恵まれた人生には飽き飽きした、とばかり、悠然とあぐらを掻いて。どれだけもがいても手に入らなかった、僕みたいな人間には、それがどれだけ嫌みに映るかも、知らないで」
清廉潔白で知られるヴェッセルス伯爵。精霊の愛し子とまで呼ばれるその息子。
どちらも、俗世に囚われぬ
一方のドミニクは、精霊力も第一継承権も持ち合わせなかった。
だから、血を吐くような努力をして、後付けの才能を身につけるほかなかったのだ。
ドミニクはそれ以上、ラウルを罵るようなことも、露悪的に自身の心情を語ることもしなかった。
会話を拒むように、目を伏せる。
だからアリアは次の問いに移ることにした。
ポケットにしまっていた紙片を取り出し、ドミニクに突き付ける。
「なら二つ目。最後の宝石は何で、誰に送りつけたの」
七つあるはずの宝石のうち、すでに六つまでをアリアは取り返した。
だが、最後の一つ――「憤怒」が込められているはずの宝石だけ、それが何であるかの情報さえ、手に入っていない。
真っ黒に変色した、滑らかな曲線を描く石。
王冠にこびりついた「宝石」の痕跡を思い出しながら、アリアは凄んだ。
「正直に答えたほうが身のためよ。今すぐ、あんた自身が回収に乗り出すっていうなら、少しは情状酌量だって――」
「無理だよ」
だが言葉は、ドミニクの呟きによって遮られてしまった。
「回収なんて、誰にもできるわけがない」
「はあ? ことここに及んで大層な自信じゃない。七つの内、六つまで回収されといてよく言うわよ」
「それでも、『憤怒』だけは、誰にも回収できないさ。もうとっくに、
なにげなく付け足された言葉に、なぜだかぞくりと背筋が粟立つ。
ドミニクは、大罪と引き離されたからか、それとも立て続けに殴られたからか、いよいよ、目の焦点が合わなくなってきていた。
「……どういう意味? 『憤怒』の宝石はなんなの?」
「ふふ」
ドミニクの瞼が落ちていく。
気を失う直前の一瞬で、彼はアリアを見つめ、物憂げに微笑んだ。
「……なんだと思う?」
そうして、ぐったりと動かなくなった。
「ちょっと――!」
アリアは慌てて紙片を放り出し、昏倒したドミニクの両肩を掴んで揺さぶる。
「ねえ、バルト、こいつにブレスでも掛けて起こせない?」
『おう、やってやらあ――』
「大変でございます、ラウル様!」
だが、バルトがぴしりと床に尻尾を打ち付け、前に進み出たそのとき、開け放されていた扉から、誰かが飛び込んできた。
ヴェッセルス家の家令だ。
老年の家令は、倒れるドミニクや割れた窓ガラスを見て、さすがに狼狽したようだったが、すぐに表情を改めると、こう切り出した。
「コンラート王子殿下から、ご伝言です。下町の民が暴徒化し、王城に押し寄せていると! 今はまだ外苑――庭園や図書館のあたりで衛兵が応戦していますが、感化された群衆が次々と集まってきて、このままでは、王城に押し入られそうであると!」
「なんだと」
ラウルが驚いて振り向く。
彼は素早く窓辺に近付くと、身を乗り出し、目を細めた。
「――風が、荒ぶっている」
精霊に愛された彼の五感は、異常を感じ取ったらしい。
ラウルは美しい眉を寄せ、「あの者たちか」と呟いた。
どうやら、心当たりがあるらしい。
「『図書館のあたり』?」
一方のアリアは、家令のもたらした情報の、場所の部分に反応して青ざめた。
王城近くの図書館。
そこには今、ヨーナスがいる。
「暴徒たちはなにをしたの? 怪我人は? どっちが優勢なの!?」
猫を被ることも忘れて家令を揺さぶると、相手はしどろもどろに答えた。
「た、大量の油を運び込み、方々に撒いているそうでございます。その中を、『怒りの炎で王を焼け』と、松明を掲げて行進しているとか」
「一歩間違えば、自分もろとも火の海じゃないの!」
「はい。ですので、衛兵も応戦に苦慮しているらしく、殿下は至急、ラウル様にも参じるようにと。どうも暴徒たちは、かなり組織立っているようなのです。油も、松明も潤沢にある」
生活苦を持て余した貧民が、衝動のまま王城に突入している、というわけでもなさそうだ。
困惑したアリアは、しかし、家令が続けた次の言葉に、はっと顔を強ばらせた。
「なにより、行進の参加者は皆、金の飾りを身につけているそうでございます。ですので、彼らは下町の民ではなく、謀反軍に買われた傭兵かもしれないという見立てもあるそうで」
金の飾り。
その言葉に、胸の奥をざらりとなで上げられ、アリアは弾かれたように顔を上げた。
――誰にも回収できないさ。もうとっくに、
嘲笑うように告げたドミニク。
『まさか……。そうか……』
バルトがぽつりと呟く。
『そうだった……伝承で言われていたのは、「宝石」じゃなくて、「七つの輝き」……』
呆然とした様子で独白する相棒を、アリアも真っ青な顔のまま振り返った。
彼女もまた、ちょうど思い出したのだ。
出会った最初、バルトがこう言っていたことを。
――王冠の七つの輝きには、七つの大罪が封じられていた。
――大罪はそれぞれ、近くにある最も相性のいい宝石や貴金属に宿る性質がある。「力ある財宝」にな。
伝承の内容をそのままに述べていたときのバルトは、大罪の宿る先を、宝石とは限定しなかった。
財宝、と言ったのだ。
それを、アリアがその場で「宝石」と言い換えてしまい、しかも実際、その後見つかった「輝き」がすべて宝石だったものだから、二人はすっかりこう思い込んでしまった。
大罪は、宝石にのみ宿るのだと。
「……これは、ガザラン王国の伝承か」
ドミニクの周囲に散らばった、ヨーナスお手製のメモを、ラウルが強ばった表情で拾い上げる。
語学堪能な彼は、素早く紙片に視線を走らせると、辞書もなしに異国の言葉を翻訳した。
「大罪をその身に封ずる七つの輝きを称えよ。嫉妬は、
なぜ気付かなかったのだろう。
目録には、六つの宝石の名前しか書かれていなかった。
いいや、厳密にはこう書かれていたのだ。
――台座の金、および装飾に使用された宝石。
「そして憤怒は、人の魂を強く照らし出す、太陽と同じ輝きの中。それによって魂が奮い起こされ、そのために多くの血が捧げられる、最も禍々しき輝きの中へ」
難解な言い回しを読み終えたラウルが、まっすぐにアリアを見つめる。
そうとも、気絶する直前のドミニクも、同じ場所を見ていた。
アリアが胸に下げた、金貨のネックレスを。
憤怒が宿る最後の輝き。
王冠で唯一、真っ黒に変色してしまったその部分に嵌まっていたのは、宝石ではなく、台座部分と同じ――
「う、そ……」
アリアはじり、と後ずさり、無意識に金貨を握り締めた。
途端に、体中をめぐる、かすかな高揚感。
ベルタの遺志が、そして彼女に誓った覚悟が、アリアに勇気を分けてくれているのだと思っていたが――これこそが、「憤怒」だったのだとしたら?
(嘘……嘘よ)
金貨を握り締めると、強気になれた。
励まされているような気がして、どんなに不利な状況でも戦いに挑めた。
そうとも、だからこそ自分は、泥棒などという、無茶な方法で宝石を回収しだした。
周囲が止めても、追いかけ回されても、果てには飛び降りる羽目になっても、押し倒されても、それがしたくて堪らなかった。
(……そう。たしかに、盗み出すことは、心地よかった)
恵まれた連中からお宝を巻き上げる。
それでいてぬけぬけと、安全な場所に留まる。
それは、かつてのベルタができなかったことだから。
盗みを働いてもいないのに、牢に入れられ、死んでしまったベルタ。
そんなの、あんまりだ。
ならば自分は盗んでやる。そして絶対に捕まらない。
ベルタの死で傾いてしまった天秤は、それでようやく、釣り合いを取り戻す。
アリアは奪いたかったのだ。
貴族連中を睨みつける琥珀の瞳には、いつだって、憤ろしい、金色の炎が渦巻いていた。
――うわああ……!
そのとき、夜風に乗ってかすかに、群衆たちの怒号が耳に届く。
広場から距離のあるこの屋敷にまで聞こえるほど、暴徒たちの勢力が増しているのだ。
――怒りの炎で
――王を焼け
徐々に明瞭になりつつある、叫び。
――奪え
――奪い返せ!
うねりのような声を聞き取り、家令が補足する。
「……ご存じの通り、近年の治安悪化を懸念し、国は暴動犯への罰則を強化しておりました。ところが、投獄された一人が惨殺されたと、根も葉もない噂が流れたようなのです。それを機に、住民の一部が暴徒化し、行進を始めたのが、こたびのきっかけだそうで」
アリアも、ラウルも、バルトも、おそらく同じ光景を脳裏に描いた。
形見の金貨を握り締める女。
失った妻の結婚指輪を嵌めた男。
恩師のくれた腕輪、友人の遺した耳飾り、夢を綴ったペンの軸にだって、
それほどまでに、金は下町でも流通していた。
人々は今、金を握り締めているのだ。「憤怒」の憑いた輝きを。
アリアと同じように。
下町の民が貴金属を手にできるのは、ほかでもないドミニク・フォン・ヴェッセルスが、王都中の賃金を引き上げたからだ。
彼のおかげで、近年は下町の住人だって、金貨を手にすることは珍しくなくなった。
そして――治安維持を名目に、暴動犯への罰則を強化させたのも、彼だ。
なにもかも、彼の掌の上。
「……どうしたらいいの」
金貨を握り締めたまま、アリアは呆然と呟いた。
美徳に溢れた忠臣たちには、それぞれ傲慢と、嫉妬と、怠惰を。
貞淑な王妃には色欲を。
慎重な王には強欲を。
そして、穏やかな民には、憤怒を。
自らの手を汚さず、怒り狂った民に革命を起こさせる。
それこそが、ドミニクの筋書きだったのだ。
「こんなの、回収できない」
着実に迫り来る、人々の怒号と足音に、アリアはしばしの間、立ちすくんだ。
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