13.ルビーを巡る攻防(1)
五の鐘が鳴るのとぴったり同時に起き出して、剣の稽古や各種鍛錬を行う。
六の鐘が鳴れば朝食、七の鐘からは伯爵令息としての仕事を片付け、八の鐘が鳴るその瞬間に、一糸乱れぬ騎士服をまとって登城する。
騎士の中の騎士、品行方正なラウル・フォン・ヴェッセルスは、もう何年も、そうした規律正しい日々を過ごしてきた。
ところがこの日、彼は一睡もせず、稽古も取りやめ、朝食もそこそこに、馬車ではなく馬を駆って、早朝の王城に押しかけようとしている。
どれも、初めてのことだった。
(アリア・フォン・エルスター)
一心不乱に手綱を操る彼の脳裏には、その名ばかりが蘇る。
(なんという女だ)
彼女の名を唱えるたびに、じわりと胸に広がるこの激情が、怒りなのか軽蔑なのか、はたまた心配なのか畏怖なのか、ラウル自身にもわからなかった。
馬を激しく急かしながら、記憶はいやおうなく、昨夜へと引き戻されていった。
ラウルが、あのとんだ猫かぶりの令嬢を追い詰めてやったのは、つい昨夜のことだ。
一計を案じ、外出したふりをして、こっそりと屋敷に舞い戻った。
ラウルを外におびき寄せようとしていたアリア。ならば、その目的は、屋敷にあるだろうと踏んでのことだ。
貴重品が数多く収められている、ヴェッセルス家敷地内の第二国宝庫が狙いかと思っていたが、彼女がやって来たのは、なんとラウル自身の書斎だった。
こちらの弱みでも探っているのかと思えば、どうもそうではない。
しばらく物陰から様子を窺っているうち、彼女が目を輝かせて取りだしたのは、一冊の書物だった。
(目録?)
それも、エルスター男爵家が管理する、第三国宝庫の目録だ。
彼女は、最近貴族社会に加わったばかり、というのが信じられないほどの速さで目録を読み進め、やがて、あるページを熱心に読み込みはじめた。
ガザラン小王国の、王冠について記載した部分だ。
一度目を通した書類の内容はすべて覚えているので、ラウルは、彼女がなんの情報を得ようとしているかを理解することができた。
(王冠に使われている宝石の詳細だ)
そうして思い出す。
エメラルドにガーネット、そしてサファイア。三件連続で奪われた宝石は、どれもこの小王国の王冠に使われていたのと同じ種類だと。
(もしや、「烏」の目的は、この王冠と関係しているのか?)
ほとんど、直感に近い推論だった。
ラウルにはどうしても、彼女が営利目的で盗難行為に手を染めているとは思えなかったのだ。
だって彼女は、これまで侵入したどの屋敷でも、狙った宝石以外の金品には一切手を付けていない。
使用人や衛兵を殺傷することもなく、あくまで人を騙して、宝石をかすめ取る。
おそらく、復讐心が動機というわけでもないだろう。
さらに不思議なことに、最初に盗まれたヒルトマン家のエメラルドに至っては、返却までされていた。
ある日突然、野良犬がエメラルドの指輪を首にくくりつけ、ヒルトマン家の庭にやって来たのである。
指輪は宝石がくりぬかれた形跡もなく、台座の銀はなぜかきれいに磨かれていた。
ヒルトマン男爵は、家宝のエメラルドが戻ってきたことに歓喜し、「むしろ気を引き締めさせてもらった。『烏』はもう追わなくてよい」と被害届を取り下げたほどだ。
言われてみれば、真面目な働きぶりで知られていた男爵は、ここ最近急に職務を怠けるようになり、周囲から困惑されていたのだったが、宝石を奪われたのを機に、心を入れ替えたようだった。
勤勉さを取り戻し、王の側近として、これまで通り精力的に職務に当たっているため、コンラートも「これじゃ『烏』に感謝しなきゃいけないかも」とぼやいていたのを思い出す。
それらの事情もあり、一層、ラウルは、「烏」にことの真相を尋ねてみたかったのだ。
彼女は卑劣だが、聡明だ。
会話を盗み聞いた限りでは露悪的だが、本性はおそらく、非人道的というわけではない。
自分まで騙そうとしたのは業腹だが、だからこそ、この自分が彼女を捕まえてみせる。
追い詰め、問いただし、そして、もし酌量すべき事情があるなら、騎士の精神に則って手助けをと、そう思っていたのに。
――ねえ。あんた、今それで、あたしに手を差し伸べたつもりなんでしょう。
本性を、そして苛烈な感情を露わにした彼女は、ラウルの手を振り払った。
――命握られて喜ぶ人間がどこにいんのよ!
怒りできらめく琥珀の瞳は、まるで炎に照らされた黄金のよう。
張られた声はまっすぐに伸びて、雷のような鋭さでラウルの心を打った。
王族や親族以外の他人と初めて視線を合わせ、真正面から怒鳴られて、彼は圧倒されたのだ。
そして思った。
たしかに自分は、傲慢ではなかったかと。
以降というもの、彼女の声が脳裏に蘇るたびに、ラウルは目を伏せる羽目になった。
彼はずっと、守ることこそが、正義だと思っていたのだ。
精霊の教えは弱者を守り、騎士は淑女を慈しむ。
それが、ラウルの知る世の中のルールだ。
媚びられることにうんざりしながらも、職務であればラウルは必ず女性を守った。
弱き者は救われるべきと信じた。
相手だって、ラウルが手を差し伸べれば、喜んでその手を取った。
だが、彼女は、そんなのはごめんだという。
あらゆる庇護を否定し、支配を拒み、追えば逃げる。
そして、
――あたしがここから飛び降りるんじゃないかって? ……
男だって身の竦む高さから、微笑んだまま飛び降りたのだ。
伸ばした手が宙を掠めたとき、ラウルはこれまでに体験したことのない恐怖を味わった。
だって、女の身だ。
揉み合ったときだって、騎士の自分が手を伸ばせば彼女はあっさり捕まり、ちょっと力を込めれば、細い手首は痛々しいほど赤くなった。
わずかに体重を掛ければ、もがくことすら叶わない。
あの華奢な体が、尖塔の天辺から地上に叩きつけられたら、どうなってしまうのか。
あの白い肌は。脆い骨は。
宝石のように輝く瞳は。
彼女が縄と茂みを使って地上に降り、不敵な笑みを寄越してきたとき、ラウルの心は、これまでにないほど混乱していた。
真っ先に覚えたのは、おそらく、安堵。
だが、ほんの一瞬緩んだ心は、たちまち、獰猛な怒りによって荒れ狂った。
その揺れる炎のような怒りをくべるのは、心配という名の薪であることを、ラウルは知らない。
(むちゃくちゃだ)
彼女は無茶だ、あまりにも。
なぜ、そこまでして逃げるのか。あっさりと、命を擲つような真似をしてまで。
宝石を盗むのに事情があるなら、それを素直に告げればいい。
たしかに上から手を差し伸べるのは傲慢なのだろうが、あまりにも手ひどく振り払われると腹が立つ。
彼女を見ているとハラハラするのだ。
なぜ頼らない。恩を着せるつもりなどない。
救いの手は、振り払うよりも取ったほうが、きっと楽になれるのに、と。
(絶対に、捕まえる。この私が)
このままにはしておけない、とラウルは思った。
向こう見ずなアリア・フォン・エルスターは、目的のために、なにをしでかすかわからない。
彼女が次なる無茶をして、命を落としてしまうその前に、目的を質すべきである。
ラウルは当初、その夜のうちにでも、エルスター家に乗り込んでやると意気込んだ。
国宝庫を管理するエルスター家とヴェッセルス家は、みだりに互いを行き来してはいけないことになっているが、知ったことか。
ところが、彼にしては珍しい無計画な行動は、思わぬ方向から妨げられることとなった。
「ラウル! なんてことだ、屋敷がめちゃくちゃじゃないか」
屋敷に不審人物が侵入した、との報を受け、叔父であるドミニクが飛んできたのである。
視察のために王都を空けがちな父・ヴェッセルス伯爵に代わり、この屋敷に留まって諸々の采配を揮うドミニクは、豊かな栗色の髪と、知的な鳶色の瞳を持つ、洒落た男である。
朗らかな笑みと、陽気な口調は、ラウルやその父とは似ても似つかない。
人当たりがよく、しかも頭も切れる彼は、ヴェッセルス家の抱える交渉ごとを一手に引き受けており、伯爵家になくてはならぬ存在であった。
「それなりの衛兵を配置していたつもりだけど、まさか突破されるなんてね。君が追い払ってくれてよかったよ。もっとも、捕まえられたらもっとよかったけど」
ラウルと種類の異なる端正な容貌をしかめながら、長い脚で屋敷を突き進む。
蹴破られた扉や割られた窓。
大勢で踏み入った結果、芝がすっかり剝がれてしまった、尖塔に続く庭。
憤慨した様子でそれらを確認しつつも、委縮する衛兵たちには優しく声を掛けるところが、さすがである。
被害がないことを確認し、義姉であるラウルの母や使用人たちにも、安心させる声掛けを済ませると、ドミニクはラウルを書斎に呼び出した。
「まさかうちまで狙われるとは、驚いたよ。このタイミングで、ということは、相手はこそ泥なんかじゃなく、連続強盗犯の『烏』なんだろうね。ずいぶんと大胆な御仁だ」
「……侵入を許したばかりか、取り逃がしたことは、誠に申し訳――」
「ああ、違う違う、責めたいわけじゃないんだ」
叔父というより、兄に見えるほど若々しいドミニクは、鷹揚に手を振ってその場に立ち上がる。
手持無沙汰なのか、本棚に並べられた膨大な蔵書の背表紙をなぞりはじめた。
「敵は、僕や君が不在の隙を狙ってきたわけだろう。むしろ、君が気を変えて、屋敷に戻ってくれていて助かったよ。なにせここは、あまたの金鉱を所有し、国宝まで管理する伯爵家。金目のものに溢れているわけだからね」
そこで彼はふと、「そうだ」と思い出したようにラウルを振り返った。
ただし、正面から目を合わせることはしない。精霊力のさほど高くない彼がそれをすると、自我が溶かされてしまうからだ。
けれど、視線を合わせなくても、きちんと話を聞き、また心からの言葉を語っているように見える――相手にそう思わせる気さくさこそが、ドミニクという男の持つ才能であった。
「以前君に贈ったアメシストのブローチ。あれも結構な値打ちものだ。無事だったかい?」
「はい」
「そうか、よかった。じゃあ犯人は、宝石狙いではなかったということかな。我が家にやってきたのは、『烏』ではなかったということなんだろうか。どんな人相だった?」
「…………」
ラウルはわずかに目を伏せる。
どう答えるべきか悩んだからだ。
ドミニクたちにとって、「烏」は舞踏会の夜に出没し、上等な宝石ばかりを狙う大男だ。
ただしラウルは、「烏」が大男などではなく、可憐な女性であることを知っている。
金目のものだけを狙っているわけではない、ということもだ。
だがそれを、正直に伝えるべきかを、彼は迷った。
そして、迷っている自分に愕然とした。
これまで自分は、常に清廉潔白であることを旨として、騎士に恥じぬ振る舞いをしてきたはずだ。
なのに、真実を噤み、ごまかすことを、一瞬でも考えるなど。
「ラウル。どんな些細なことでもいいから教えてほしい。この屋敷に入ったのが『烏』ならば、陛下のお膝元で大胆な犯行を繰り返す不遜な輩は、絶対に捕まえなくてはならない」
真剣に告げる叔父に、ラウルは即座に相槌を打つことができなかった。
これも、初めてのことだ。
「三年前の謀反、そして暴動のせいで離れた人心は、いまだ完全には戻りきっていない。それどころか最近は、王都の民はなにかと理由を付けて、小競り合いを始めている。みんな、日々の鬱屈をぶつける相手を求めているんだろうけど……」
反応の芳しくない甥に小さく溜め息を落とすと、ドミニクは机につき、両手を組んだ。
日頃は陽気な男だが、そうした表情には、思慮深さが滲み出ている。
彼は憂鬱そうに、組んだ両手に口元を埋めた。
「僕も王都の賃上げを促したり、暴動犯への罰則を強化したり、飴と鞭の両面で王都の治安を支えてはいるけど、だからといってすぐに治世がよくなるわけでもない。陛下にとっては今、ささいな失態が命取りになるんだ。強盗犯をのさばらせておくなんて、論外だ」
兄伯爵を陰日向なく支えるドミニクは、忠臣の一人として、現王の治世を憂えているようだった。
実直に、与えられた任務だけをこなす兄伯爵とは異なり、ドミニクは積極的かつ情熱的に政務に関わっている。
人好きのする容貌と弁舌の巧みさを生かし、他国の王族とも交流しながら、利権が複雑に絡み合う金鉱を見事にもぎ取る。
一方では、街の民とも交流し、酒場で飲み交わしてまでその意見を吸い上げる。
この国で近年、職人たちでも金貨を持てるようになったのは彼の上申した大胆な賃上げ策のおかげだ。
みんなが豊かなほうがいいじゃない、と言って、暴徒化しそうだった貧民たちに、ぽんと私財を与えてしまったこともあった。
有能で、人情家でもあるというのが、ドミニク・フォン・ヴェッセルスのもっぱらの評判だ。
世間は、「ドミニク殿が当主であったら、伯爵家は公爵家になっていたろうな」と噂する。
ラウルもまた同意見であった。
父といいラウルといい、ヴェッセルス家嫡流の男たちは、寡黙といえば聞こえはいいが、どうにも口下手だ。
世俗のことにあまり関心を払わず、ただ自分のこれと思い定めたものにばかり執着する。
職人であった頃はそれでもよかったのだろうが、伯爵にまで登り詰めた今は、きっとドミニクのように、まんべんなく興味を持ち、如才なく他者と交流できる者のほうが、当主に相応しいだろう。
そうした思いもあって、これまでのラウルは、さっさと世俗を離れ、家督を譲ってしまおうと考えていたのであった。
「『烏』などという不穏の種は、さっさと潰してしまわなくてはね。教えてほしい、ラウル。やつはなにを狙っていた?」
ドミニクは思わしい様子で、自身の中指に嵌めた指輪をいじっている。
小粒のダイヤが嵌まったそれをなんとなく見つめ、ラウルは、「烏」は叔父の元にも現われるだろうかと考えた。
(いいや……彼女が狙うには、あまりに小ぶりだな)
ドミニクのダイヤは、貴族が付けるには貧相なほどに小さい。
家督を取る者と取らぬ者とで、相続する宝石の量も明確に区別されていたからだ。
どれだけ周囲に称えられようと、「あくまで自分は、伯爵家の後継者ではないので」と主張するかのように、ドミニクは質素な指輪を身につけていたのだった。
(彼女がなにを狙っているか? こちらが聞きたい)
ラウルには「烏」の基準がさっぱりわからなかった。
異国の王冠、そこに配されていた宝石と同じものを盗んでいるということはわかる。
けれど、盗んでなにをしたいのかはわからない。
金に困っているのかと思えば、ほかの金品には目もくれない。
愉快犯なのかと思えば、「盗まなくていいなんて気が楽」などと嘯く。
王冠の再現でもしたがっているのかと思えば、エメラルドは返却するし、ラウルのアメシストには手も付けない。
君の狙いはいったいなんだ、と、ラウルは肩を揺さぶって問いただしたかった。
(直接。ほかの誰かに任せるのではなく、この私がだ)
だって彼女には、なにか事情がある。
尖塔から飛び降りるのさえ躊躇わぬほどの事情が。
ラウルはそれを聞きたいのだ。彼女にどうしても尋ねたい。
なぜ宝石を盗むのか。
基準はなんなのか。
どうしたら、無茶をやめてくれるのか。
「ラウル、どうなんだ。黙っていてはわからない。彼の狙いはなんだ? どんな男だ?」
「『烏』は……」
これまでのラウルであれば、叔父にすべてを打ち明けていただろう。
正義は自分にあると信じて疑わず、最も合理的な方法で捕縛を強行し、そのうえで刑罰の酌量を考えた。
――命握られて喜ぶ人間がどこにいんのよ!
けれど彼は聞いてしまったのだ。
あの、血を吐くような叫びを。
琥珀色の瞳は、まっすぐに自分を射貫いていた。
恍惚として見上げるのでも、怯えて遠巻きにするのでもなく、同じ高さから、まっすぐに。
だからラウルは、彼女に近付いてみたかった。
同じ視線の高さで。
上から手を差し伸べるのではなく、対等の人間として、握手を差し出すようにしながら。
「小柄でした。私が確信できるのは、その程度です」
結局、ラウルの唇が紡いだのはそんな言葉だった。
嘘と隠しごとの狭間にある、最小限の事実。
「ですが近日中に、必ず『烏』を捕まえます。そのためには、聖騎士に本来許されている裁量だけでは心許ない。明日にもコンラート王子殿下に上申し、特別な逮捕状を取得してまいります」
そして、それがラウルの導いた結論だった。
誰にも「烏」を渡しはしない。
捕縛も、取り調べもすべて、尋問官ではなくラウル自身が行う。
指名した相手に裁量のすべてを委ねる、特別な逮捕状があれば、それが可能となるはずだった。
「王子殿下のサインを添えた逮捕状? たしかにそれがあれば、増軍も拷問もし放題だ。わかった、君も本気だということだね。心強いよ」
ラウルの発言を、敵への怒りゆえと受け取ったらしいドミニクが、感心したように頷く。
叔父の顔を見ていられなくて、ラウルは早々に踵を返した。
「……では」
「ああ、待って、ラウル」
だがそれを、背後からドミニクが呼び止めた。
「聞いたよ、アリア・フォン・エルスターの話」
その名を聞いた瞬間、滅多にないことに、ラウルは心臓に冷水を掛けられたかのような心地を抱いた。
「……彼女の、なんの話をでしょうか」
「もちろん、浮いた話を、だよ。彼女のというか、君のだけど。舞踏会で一目惚れして、彼女を追いかけたらしいじゃない。もともと、その真相を確かめようとして、早めに帰宅しようとしていたんだよ」
ドミニクの顔からは、先ほどまでの深刻な空気が一層され、すっかり砕けた雰囲気になっている。
どうやら彼の中で、すでに話題は変わっていたらしいと悟り、ラウルは強ばった顔のまま、密かに胸を撫で下ろした。
舞踏会での攻防が、実態とは異なる形で噂となって、今頃叔父の耳に届いたようだ。
硬直した甥の態度をどう受け止めたか、ドミニクは悪戯っぽく笑った。
「兄上といい、君といい、ヴェッセルス家の長男たちは真面目すぎるというのが、僕の長年の懸案事項だったんだ。君がちゃんと異性に興味を持てるんだと知って、これほど嬉しいことはないよ」
「……べつに、彼女とは、そうした仲では」
「いいね、いいね。むきになってる?」
「なっていません」
否定すればするほど、ドミニクは一層満足げに笑みを深める。
「よろしい。仕事もいいけど、時々は若者らしく、デートでもするんだよ。そうだ、それこそアメシストのブローチでも付けて、めかし込むといい。自身をほどよく飾ると、女性はより口説きやすくなるんだ。『このくらいの財力があります』という目安になるからね」
経験に基づくアドバイスさ、と器用に片目を瞑るドミニクに、ラウルは仏頂面で繰り返した。
「彼女とは、そうした仲ではありません」
「はいはい。早くそうした仲になれるよう、頑張ってね。三年くらい前だったかな、エルスター家の蔵の視察時に見かけたけど――ほら、君に蔵の管理を引き継ぐ前のことだよ――、彼女、すごくモテそうだったもん。早い者勝ちだ」
ドミニクは立ち上がり、わざとらしく「行ってらっしゃい」と退出を促すと、最後にこう付け加えた。
「ほかの男に出し抜かれないよう、さっさと捕まえるんだよ」
これには、ラウルも静かに振り返り、こう応じた。
「そのつもりです」
と。
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