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「ミキオはわたしでいいの?」

 帰り道、後部座席からヒトミの声がした。寝言かと思ってルームミラーを見やると、ヒトミは鏡ごしに真っ直ぐ俺を見据えてた。

「ミキオがイズミさんのことを大好きだってことは分かった。うん、あの詩を読んだときから分かってた。わたしはずっと、ミキオを利用してたのかもしれない。わたしがミキオをお父さんと呼ばなければ、ずっと一緒にいてくれるから。うん、イズミさんにも言われたし、バレてたんだよね。あのとき、イズミさんはわたしのお母さんじゃなく、対等な女性として接してくれて、そのことがすごく嬉しかった。対等な相手として、ちゃんと認めてもらえたんだなって」

 車の少ない伊勢湾岸道をN―ONEはまっすぐ西へ駆け抜ける。夕陽に染まる工場が後ろに流れてく。レゴランドを通り過ぎ、名港トリトンを黙ったまま跨ぐ。

「でも、ミキオはそれでいいの? ミキオはわたしと離れたら、またイズミさんと一緒になれるんじゃないの? 本当は、わたしよりもイズミさんと一緒になりたいんじゃないの?」

 うん、そうだよ。俺はイズミと一緒になりたかった。ヒトミと離れれば、またイズミと一緒になれると思ってた。俺もヒトミを利用してたんだよ。イズミと一緒になれねえ言い訳として。

「いいよ、わたしは、ミキオがイズミさんを選んでも」

 ナガシマスパーランドの赤い龍が暮れなずむ空にそびえてる。俺はそれに誘われるみたいに、パーキングエリアに車を滑り込ませた。

「わたしは、ミキオがいなくたって、幸せになれると思います」

 あまり混んでない駐車場の、いちばん端っこの、誰もいない一角に車を停めた。そんで助手席の扉を開け、俺は言った。

「ヒトミ、座れよ、助手席に」

 まだ誰も乗ったことのねえN―ONEの助手席。俺はそこに、ヒトミに座って欲しいと思ったんだ。できれば、これからずっと。

 ヒトミは後部座席で固まってて、降りようとしなかった。まるでシートベルトが外れねえみたいに。何かの不思議な力で封じられてるみたいに。

(家族になろうね)

 それはたぶん、俺たち父娘が出会った頃からずっと掛けられてる呪いだった。

「いいの? わたしは、期待しちゃうよ」

 いつも飄々としてたヒトミの声が上擦ってた。語尾がひっくり返り、ひどく慌て、ルームミラーのなかで瞳がおそろしそうに揺れた。暗がりを検知したN―ONEのまんまるいオートライトが答えをあぶり出すようにハイビームを放った。

「助手席に座るってことは、そういうことだと思う。いいの? ミキオはイズミさんよりもわたしを選んだんだって、そう思っても」

 どう答えたらいいんだろうな。俺はこういうの、ほんと苦手なんだよ。イズミにすら言えんかった言葉をどうやって伝えりゃいいんだ。いっそ詩にできりゃいいのにな。あの九曲目のサビみてえな、カッコいい歌詞に。けど、俺には似合わねえもんな。だから俺は、愛しさの意味を言葉で伝えるしかねえんだ。俺らしい、くっそベタな言葉で。

「愛してるよ」

 その言葉と同時にヒトミは弾かれたように後部座席を飛び出し、助手席に座った。息が荒くて怖えぐらいだった。気持ちも落ち着かねえうちに俺たちは唇を重ね合わせた。ヒトミの唇は震えてて、酸っぱい味がして、そんで思い切り歯が当たった。馬鹿だな、やっぱ全然、上手くやれてねえ。

「わたしたち、虎舞竜でいえば、何章目なのかなあ」

 いま言うのがそれかよ。やっぱヒトミ、俺に似て、趣味が悪いな。

「♪何でもないようなことが」

 歌うと、ヒトミがあきらめたみたいに諭してきた。

「JASRAC来るよ」

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