第64話 ふたりの時間

 青龍のいたダンジョンから抜けて城下町まで戻ると、もうすでに夜も遅かった。俺は調査結果報告のため夜勤の事務官を訪ね、翌朝に王への謁見えっけん予定だけを入れてその日は部屋に戻る。

 

 そして、その翌日に王への報告もすっかり済み、晴れて特別な任務から解放されることになった。


 ……ああ、なんていうか全部終わったんだなぁと思うと安心のあまり眠気が押し寄せてきた。まったく、まだ朝だというのに。

 

 昨日スペラが言っていたように、旅というのもテンションが上がって楽しくはあったけど、いざ自分のホームに戻ってきたときにドッと疲労感が来るよな……まあ、自分で進言した仕事だから自業自得といえばそうなんだけどね。


「ふわぁ……さて、自分の部屋に戻ってもうひと眠り、っていうのも魅力的だけど……」


 あくびを大きく一回すると、俺は両頬をパチンと強く叩く。

 

 ……目覚めよ、俺。俺にはやるべきこと、いや、何を差し置いてもやりたいことがあるのだから。

 

 俺は王城の廊下を進み自室の前を通り過ぎ、そしてその部屋──レイア姫の自室前にやってくる。

 

 今の時間は朝の10時。城下町の人間だったらすでに働き始めている時間だろうが……そのあたりは問題ない。

 

 ……予定は昨日のうちに事務官に確認してるからな。今日は午後1時に公爵家のマダムたちと王城の一室にて会食予定で、それまではフリー。それならあと1、2時間はレイア姫はこの部屋で休んでいるハズ……!

 

「ンー、オホンッ」

 

 俺は咳ばらいをひとつ。そして身だしなみをチェック。「あ、アー、アー」と小さな声で発声練習。腕を上げて自分の脇の下の臭いチェック。手のひらを口に当てて口臭チェック。

 

 ……大丈夫だよな? 何も問題ないよな? 

 

 ドキドキバクバクと自分の心臓が高鳴るのが分かった。


 ……あれ? ヤバい。なんか、めちゃくちゃ緊張してるな、俺? でもそれも仕方ない……だってホントのホントに1カ月ぶりなんだもん。

 

 旅に出てる途中もちょくちょくではあるが俺たち親衛隊は城下町に帰ってきてはいた。しかし、俺がその度にレイア姫へと会おうとすると、なぜか姫に緊急の公務が入ってしまったり、あるいは俺が突然の用件のためモーガンさんに捕まってしまったりで、ずっと会えずじまいだったのだ。


 ……よし、準備は大丈夫。ノックするぞ、ノックだ……。

 

 しかし、俺の手の甲は姫の自室のドアの前でピタリと止まって動かない。

 

 ……あっ、そういえば鼻毛チェックするの忘れてた! 今日は朝から謁見だというのにちょっと寝坊しかけてしまったから、確認する時間が無かったんだった。

 

 そんなこんなで俺が姫の自室の前であたふたとしていると、

 

 ──ギィ、っと。目の前のドアがゆっくりと開いた。そしてフワリ。俺の鼻元に、フローラルな香りが漂って来る。


「もしかして、グスタフ様……?」


 ひょっこりとドアから顔を覗かせて、絹糸のようなサラサラの金の髪を揺らしているその人はもちろん──俺の護衛対象であり、この王国に咲く一輪の黄金の花であり、そして俺の最愛の女性であるレイア姫だ。


 ……か、可愛いっ……! さすがは黄金の花だ。思わずその輝きに圧倒されてしまう。なんだろう、この世界に来て一番最初に姫の姿を見たときよりも、よりいっそうその可愛さに磨きがかかっている気がする。


「グスタフ様、ですわよね……?」

「あ、はっ、はいっ! ギュス……グスタフですっ! 昨晩に帰ってきました!」


 ……うっ! 噛んでしまった……。久々の再会だというのに……!

 

 恥ずかしさに俺がその場で身悶みもだえしていると、姫は部屋の外まで出てきてくれた。その頬は熱でもあるのではないかというくらい、とても紅潮こうちょうしていた。


「……お久しぶりです、グスタフ様」


 姫は、太陽のごとき輝きを持つ微笑みを俺に向けてくれる。……ああ、可愛い。可愛すぎる。俺はその微笑みだけで状態異常『魅了みりょう』にかかってしまえる自信がある。だが、これ以上みっともない姿はさらせない。


「は、はいっ! お久しぶりです、姫!」


 もう二度と噛まないように、つとめて心を落ち着ける。


「しばらくごあいさつもできずにすみませんでした、姫」

「いいえ、そんなこと。折々でグスタフ様が私を訪ねてくださっているのはメイドや事務官たちの話から聞いておりました……私こそ、時間を作れなくてすみませんでした」

「そんな、俺のほうこそ……」


 お互いに謝り合戦になりかけて……俺たちはクスリと笑い合う。


「それで……グスタフ様、帰ってこられたということは調査任務の方は終えられたのでしょうか?」

「はい! グラン・ポルゼンの先の町々にも大きな被害はありませんでした」

「そうですか、それはよかった……」


 レイア姫はホッとした表情を見せる。


「グスタフ様もお疲れ様でした。大変だったでしょう?」

「いえ、そんなことは。まあ、ただ……」

「ただ?」

「ただ、姫に会えなかったのが寂しくて大変ではありましたね……」

「──うっ!」キュンッ!


 姫は突然、胸を押さえてよろけた。


「ど、どうしましたっ⁉ 姫っ⁉」


 それはまるで誰かに狙撃でもされたかのようだった。俺が慌ててその肩を支えると、しかし姫は首をフルフルする。


「い、いえ……少し胸がキュンと……いえ、なんでもありません!」


 ……なんでもない? そうか、それならよかった。胸でも痛むのかと思ったが、顔の血色は問題無さそうだし、むしろ赤過ぎるくらいだし、本当になんでもないようだ。


「それよりグスタフ様、今日は何かご予定はありますか?」

「いえ、本日は特に予定もありません。なので、可能であれば1日姫の護衛に就かせていただければと」

「そうですか、それなら良かったです。私は1時から会食があるのですが、それまでは特にすることもなく……よろしければ私の部屋でお茶でもいかがでしょう?」

「っ! はいっ! 喜んでっ!」


 姫に招かれるまま、その部屋に入る。

 

 ……うん、これまでも何度か入らせてもらっているけれど、何度入っても姫の部屋はとてもいい香りがする。姫は目が見ないこともあって物は少ない。4人分の椅子に丸テーブル、時計と姫の趣味であるアロマオイルと紅茶セットが置いてあるくらいだ。部屋の中にはドアが3つあり、恐らく寝室、衣裳部屋、バスルームと分かれているのだろう。……もちろんその3つの部屋に俺が入ったことはない。


「チチッ」


 レイア姫はクリック音で紅茶セットの位置を確かめると、慣れた手つきで紅茶の準備をし始める。温度を一定に保つ魔術が付与されたポットの中から、おしゃれなティーポットへと適温のお湯が注がれてフワリと紅茶の良い香りが立った。


「どうぞ、グスタフ様」

「すみません、ありがとうございます」


 姫がカップを俺の前に置いてくれる。そして自分の分も対面の席に──ではなく、俺に出してくれたカップの隣へと並べるように置く。

 

「えっ?」


 姫はそれから椅子のひとつを俺の腰かける椅子のすぐ横に移動させてきて、ちょこんと座った。

 

 ……近い。姫の肩が俺の二の腕に触れてくる。


「ひ、姫?」

「……しかったです」

「えっ?」


 その小さな声を聞き取れず、訊き返す。するとレイア姫はまるで甘えるみたく、朱色に染まった顔で俺を見上げるようにして、


「私も、グスタフ様にずっと会えず、寂しかったです……」


 可愛さMAXな言葉を俺の耳元でこぼしてくれる。

 

「──ぐふっ!」ズッキューンッ‼


 俺は思わず胸を押さえた。心臓を強力なライフルの弾で撃ち抜かれたのかと思った……それほどまでに破壊力抜群のひと言だった。


「グ、グスタフ様っ? 今の声はいったい……やはり、疲労が溜まっているのでは……?」

「い、いえ、大丈夫です。ちょっと尊みの弾が心を打ち抜いていっただけで……」

「尊み?」

「な、なんでもありません」

「そうですか……?」


 ……いけないいけない。姫を心配させてしまった。

 

 確かに俺の最近のスケジュールは魔王討伐後のアレコレで多忙を極めていた。でもだからって姫と会っているときに疲労がたたってフラリ……なんてこと、あるわけがない。


「だいいち、疲れなんて可愛い姫と会えたら吹っ飛んじゃうしな……」

「──がふっ⁉」スットーンッ‼


 突然、姫が胸を押さえてよろけてしまう。


「ひっ、姫っ⁉ どうしましたッ⁉」

「い、いま……か、可愛いって」

「……あっ? やべっ、声に出てましたっ⁉」

「は、はい」

「そ、それはすみません。まあでも、本音だし別にいいかな……」

「──げふっ⁉」ストッストッスットーンッ‼

「ひっ、姫っ⁉」


 俺はとっさに、椅子から崩れ落ちそうになる姫の体を支える。

 

 ……いったい、なにが起こったんだっ⁉


「姫っ! しっかりっ!」

「だ、大丈夫です。き、キュンキュンの矢が数本、飛んできただけです」

「キュンキュンの矢がっ⁉」

「心臓に突き立ちましたが……何とか無事でした」

「いや、それは一大事なのではっ⁉」


 俺と姫はお互いにあたふたとしながら、紅茶の味も香りも楽しむ余裕もなくぎこちなさいっぱいの会話を繰り広げる。しかしそれでも少しずつそんなこわばりは解けていって、俺たちは次第にこの離れ離れになっていた1カ月の距離を埋めていった。


「……しばらくは私の側に居てくれるのでしょうか、グスタフ様」

「もちろんです、姫」

「……よかった」


 姫は俺の肩にその小さな顔をちょこんとと載せて、そして俺の右手を取って柔らかく握った。俺もまた、その小ぢんまりとした、陶器のように美しい手を優しく包むように握り返す。


「好きです、姫」

「ありがとうございます。私も、グスタフ様が大好きです」


 心穏やかな時間が流れる。ふたりでいると、本当にあっという間の2時間だった。




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ここまでお読みいただきありがとうございます!


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次のエピソードは火曜日更新です。


それでは!

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