91 12月23日(金) クリスマスマーケットの素敵

 12月25日はいうまでもなくクリスマスだ。クリスマスというと『イエス・キリストの生まれた日』といわれているが、実はイエス・キリストが生まれた日は、はっきりとは分かっていないらしい。


 このため、12月25日は正確には『イエス・キリストの誕生をお祝いする日』というらしいのだ。『生まれた日』と『誕生をお祝いする日』では、まったく違いますよね。


 では、どうして『誕生をお祝いする日』が12月25日になったのかということなんだが・・・これもはっきりと分かっていないらしいんだ。古代ローマのお祭りの日だったとか、古代ローマ時代に辺境のゲルマン人が冬至の日にやっていたお祭りが関係しているとか・・諸説あるらしいのだが、決定的なものはないらしい。


 まあ、こういった雑談はさておいて・・・毎年、クリスマスが近づくと、僕は以前ドイツで見たクリスマスマーケットを思い出すのだ。


 ドイツで見たクリスマスマーケットについては、僕の別の駄作にも書いたので・・そちらを既に読まれた方には以下の内容が一部重複するが、ご容赦を願いたい。


 さて、ずいぶん前になるが、仕事でドイツに行った。僕一人だ。まもなく、クリスマスという時期だった。


 ヴュルツブルクというドイツの田舎に泊まった。ヴュルツブルクは人口10万人ぐらいの典型的なドイツの田舎町だった。


 そして、夜になって・・・僕はヴュルツブルクの街の散策に出てみたのだ。


 古い市役所の出張所のような建物があった。市役所の前の広場では屋台がたくさん出ていて、街の人たちにぎわっていた。ドイツの有名なクリスマスマーケットだ。


 クリスマスマーケットは日本でも行なわれている。僕も日本で行ったことがあった。しかし、本場ドイツのクリスマスマーケットは日本のそれとはだいぶ違っていた。


 屋台がたくさん出ているのは同じだが、その時のヴュルツブルクのクリスマスマーケットには、日本のようなタコ焼きや焼きそばといった食べ物の屋台がほとんど無かったのだ。代わりに、アクセサリー、雑貨、食器、おもちゃなどが屋台で売られていた。そんな屋台を大勢の街の人たちが楽しそうに覗き込んでいる。


 アクセサリーといっても高価なものではない。カエルのピアスだったり、何かの昆虫のネックレスだったりで・・おもちゃに毛が生えたようなものばかりだ。


 雑貨の屋台では、ナベやノコギリといった家庭用品がほこりをかぶって雑然と屋台に置かれていた。


 食器の屋台では、ナイフ、フォーク、お皿、コップといったものが並んでいる。どれも中古品だ。かなり、くたびれていた。


 おもちゃの屋台には、日本でよく見る電子ゲームは全く置かれていなくて、なんだか古ぼけたボードゲームやトランプなどがたくさん置かれていた。僕は古いボードゲームの紙の箱を手に取ってみた。ドイツ語なので、どうやって遊ぶのかは分からなかったが、懐かしさがあった。


 売られているのは、高価とか贅沢とか華美とか・・そういった言葉とはまるで無縁な、実に質実、素朴なものばかりだった。

 

 ドイツの田舎の夜は暗い。真っ暗だ。そんな暗い中に、市役所の前の広場だけが煌煌と灯りで照らされていた。灯りの中に、たくさんの屋台と街の人々が浮き上がっている。屋台で売られているのは質素なものばかりなのだが、屋台の周りには、男も女も、子どもも老人もいて・・街のみんなが総出でマーケットを楽しんでいる姿があった。ドイツの冬の夜は寒い。氷点下以下だ。屋台の周りにいる老若男女の吐く息が白い水蒸気になって立ちのぼり、灯りに浮き上がった雑踏のあちらこちらで、ゆらゆらと揺れていた。


 男の子が、おもちゃの屋台に並んでいるボードゲームを見て、眼を輝かせている。男の子の頭の中には、このボードゲームで友人と遊んでいる自分の姿が浮かんでいるのだ。そうやって、男の子はじっと屋台の前にたたずんでいる。一向に屋台の前から立ち去ろうとしない。屋台の店主も男の子を追い払うようなことはしない。時間が止まっているようだ。きっと、この男の子は、マーケットが終わるまで、じっとここで眼を輝かせ続けているんだろう。


 金髪の女の子が、カエルのピアスを耳に当てて、欲しそうにお母さんに見せている。お母さんが笑いながら、そのピアスを購入した。女の子がピアスが入った小さな古い紙袋をしっかりと片手で握りしめて、お母さんと手をつないで歩き出した。女の子の吐く息が白い。その白い息の向こうで、赤いほっぺと満面の笑顔が揺れていた。


 老夫婦が腕を組んで、食器の屋台の前で品定めをしている。見ていると、どうやら古いフォークを探しているようだ。老夫婦は、一軒の食器の屋台でフォークを取り上げては、また屋台に戻して・・今度は別の食器の屋台へ出向いて・・同じことをして・・二つの屋台を何度も行き来している。別に、どうしても買わねばならないフォークではないようだ。きっと、老夫婦は、選ぶ過程を楽しんでいるのだろう。ひょっとしたら、去年もその前も、この老夫婦はこのクリスマスマーケットにやって来て、そうやって古いフォークを探していたのかもしれない。


 その横で、中年の夫婦が並んで、雑貨の屋台でナベを選んでいる。奥さんが手に取っているナベを見て、旦那がいろいろと尋ねている。奥さんが、旦那に何やら詳しく説明をしている。たぶん、このナベでどんな料理を作るのかといった話だろう。奥さんは、こうして、旦那にナベのことを一生懸命に説明するのだが、一向に買おうとしない。きっと、この中年夫婦も、老夫婦と同様に選ぶ過程を楽しんでいるのだ。


 どの屋台の店主も客引きの口上を述べるでもなく、客に説明するでもなく・・黙って客の会話を聞いている。屋台の店主たちは、商売よりも、客の選ぶ過程を、客と一緒になって楽しんでいる様子だ。


 もちろん、品物を買う人もいる。きっと、買う人は買う過程を、そのときの屋台の店主は売る過程をそれぞれ楽しんでいるのだ。こうしたことを見ながら歩いていると、僕と何度もすれ違う人がいる。きっと、マーケットをぐるぐると歩きまわって、雑踏を楽しんでいるのだろう。


 こうして、客も屋台も、全てが混然一体となって・・純粋にクリスマスマーケットを楽しんでいるのだ。


 そこには、何の駆け引きも飾りもてらいもなかった。純朴さだけがあった。なんだか、全てがものすごく素朴なのだ。

 

 ああ、いいなあと思った。


 人間が人間として、原点に戻って、心の底からクリスマスマーケットを楽しんでいるのだと思った。


 日本ではクリスマス行事というと、大騒ぎをしたり、高価なプレゼントをしたり、恋人と食事をしたり・・といったお祭り騒ぎになっている。僕はこういった日本のお祭り騒ぎ型のクリスマス行事も嫌いではないが・・・ドイツの田舎のクリスマスマーケットはまるで違っていた。もっと、土の匂いがするのだ。


 きっと、この素朴なクリスマスマーケットは街の人たちにとって、すごく大切なもので、そして、一年前からずっと楽しみにしてきたものなんだろう。そして、それはもう何千年も変わらずに続いているのだろう。


 何だか心が洗われる気がした。素敵なクリスマスマーケットだった。


 冒頭に書いた、12月25日が『イエス・キリストの誕生をお祝いする日』になったのも・・・きっと、こういった冬至の日の前後に行われていた、古代の素朴なお祭りが、イエスの生誕に結びついていったんだろうなあ。そう思った。


 今日のよかったことは、皆様に素敵なクリスマスマーケットのお話ができたことだよ。


 余談ですが・・・僕はこのとき、ヴュルツブルクで、ろくろ首のような、妖怪のような、不思議なものの写真を撮ったのだ。興味がある人は以下のURLを見てね。以下の駄作を既に読んでいただいた方には、ここで改めて感謝💛です。


 きっと、こんなすごく素朴な世界だから、あんな妖怪がまだいるのだね。。。


駄作『白血病になっちゃいました』 第39話 『予知』って超能力? 3

https://kakuyomu.jp/works/16816700429102468154/episodes/16816927859448495171


 皆さんも、人と妖怪が共存しているような、こんな純朴な世界に戻ってみたいと思いませんか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る