第16話・タルト・タタン
それは志織と友達となったロベルトが作ったタルトで、一昨日の晩、志織に今度来る客人の為にお菓子を焼こうと思うのだがこれはどう思う? と、試食させてもらったお菓子だった。
すでに試食させてもらった志織は味について良く知っている。バターと砂糖で煮つめたリンゴを型に敷き詰めて、その上にタルト生地を乗せて焼きあげたものをひっくり返してお皿に盛ったものだ。
煮つめた砂糖が甘く焦がしたカラメルとなっていて、リンゴの旨味と香りを閉じ込めたような見た目も綺麗なタルト菓子だ。
「いや。なんとなくだがどこかで食べた様な気がするのだ。どこでだっただろう? 我の大切な誰かに作ってもらったことがあるような?」
戸惑いながらもマーカサイドは、何度もナイフとフォークで菓子を切り分け口に運ぶ。何かを思い出そうとしているが、それが思い出せなくてもどかしい様な様子に思われた。
「きっとその昔、あなたに惚れた誰かが作ってくれたものなのかもよ? 元恋人だったりしてね」
「元……、恋人……?」
思わぬことを聞いたというように、マーカサイトが眉根を顰める。魔王は忘れているかもしれないが、彼はあのユミル神の弟なのだ。ユミルから魔王は何度も転生していて記憶は薄れて来ていると聞かされていた。つまり前世のことは思い出せずにいる部分もあるのだろう。
志織はなんとなく彼がタルト・タタンを知っていたのは、前世でかかわりのあった女性に作ってもらったからではないかと推測していた。
このお菓子を試食させてくれたロベルトが言っていたのだ。このタルト・タタンはある地域で恋する乙女に評判のお菓子なのだと。
ある乙女が大好きな彼が来訪するとあって、彼の好きだというリンゴ入りのタルトを作ろうとした。ところが型にタルト生地を入れ忘れてしまい、先に甘く煮つめたリンゴを入れてしまっていた。
慌てた彼女はその上から咄嗟に生地を被せた。それが思いのほか上手く出来あがり、それを口にした彼から交際を求められた。と、いう話があるのだそうだ。そのお菓子発祥の地域では、若い乙女の間で恋愛成就を招くとして評判のお菓子でもあるらしい。
どうしてそんなお菓子をロベルトは客人に出そうと思ったのか聞いてみたら、タルト・タタンには『交渉上手』というお菓子言葉があるのだそうだ。
お菓子言葉だなんて花言葉みたいだな。と、その時には思ったものだけど、ロベルトは聖女さまの交渉が上手く行くと良いよな。と、言っていた。
きっとイエセから詳細は聞かされていたに違いない。
「……ならきっとそなたのような聖女だったに違いないな」
「わたしみたいな人かどうかは分からないけど、中には聖女さまもいたかもね?」
一昨日の晩のロベルトとのことを思い出していた志織に、魔王が言う。彼は静かにフォークを動かしていた。
「お口に合ったようで良かったです。このお菓子はうちのシェフが作ったものです」
「そうか。美味しかったと伝えてくれ」
「彼も魔王マーカサイトさまからお褒めの言葉を頂いたと知ったのなら大いに喜ぶでしょう」
マーカサイトは満足したようだ。志織は聞いてみた。
「マーカサイドは、聖女が勇者を選ぶと倒される仕組みになっているのよね? あなたはその後、どうなるの? 生まれ変わると聞いたけど、その時の記憶は残っているの?」
勇者に倒された前世を覚えてるのか? と、志織に聞かれたマーカサイドはああ。と、応えた。
「倒された時のことは鮮明に覚えている。毎回、違う勇者に挑まれて死んで来た。だけどどうしてそのように倒される羽目になったのかは思い出せない。転生する度に倒された時の事は覚えてるが、その他のことはまったく覚えてないのだ」
少し志織は魔王が不憫に思えて来た。自分が死ぬシーンばかり思い出すって辛すぎやしないか。
「だからなのかも知れぬ。自分は毎度聖女に執着するのだ。彼女を手に入れたのなら、この忌まわしい血塗られたルートから脱却できるのではないかと思って」
マーカサイトは膝の上で手を組んでいたが、その手に目を落とした。
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