第11話 『赤き絶望』


 真っ赤な視界。全て、消えて、壊れて、落ちて…奪われる。



 身も心もボロボロになり、何も無くなってしまう。



「……眠れないのですか」


 真っ暗な部屋の中、静かな吐息が聞こえる他に最も私が信頼する彼女は心配そうな声をこぼす。


 宵闇に掻き消えてしまいそうな、そんな小柄な姿さえ、もう私にはまともに見ることも難しい。



 境界線があやふやになっている。どこまでも、どこまでも果てがない。だけど、ただひたすらの絶望の中に溺れる訳にはいかない。溺れさせる訳にはいかない。


 哀れみも、憎しみももう何も無い。ただあるのは、溢れるのは。



 焦りのみ。



 真っ赤な血に染る彼女を見て私は必死に笑みを作る。気付かないでと思うのに、それを彼女は許さず、見逃さず私の手をとる。



「話してください」

「…なんでも、ないの」

「許しません」



 真っ赤に胸が血の花の様に染まる彼女。いつも通り温もりのある手なのに私の目に映るのは血の気のない白すぎる肌。


「たった一人でなど、許しません」

「─────」

「必ず幸せになれなくたって良いのです、全て正しくある必要も…ありません」


 溢れる涙を彼女は拭ってくれる。優しく、温かな、私のたった一人、心から信じ、頼れる人。


 同じベッドに眠る小さな子の温もりと、ソファーで寝ているもう一つの小さな子を見て。口を抑えた。



「っ、こちらに」


 差し出されたバケツに胃の中を全て吐き出して、胃液に焼ける喉から絞り出した言葉。それは隠す余裕もないほど悲しみを含んでいた。



「かわら、ない。みんな、どうして」


 どうして皆は赤く染まってしまっているの。あの人の所に増えた新しいメイドも。優しくしてくれた騎士も、庭の手入れをこっそりしてくれる庭師も。


 どうして、私の視界に広がる人全ての血の気がなくなり、なのに体は赤に染っているの。


「一人にしませんよ、命令されても」

「でも、このままじゃ」

「何か、何かあるはずです。…そもそも人は幸せを自分で見つけなくてはなりません。我が子だろうと幸せを決めつけることなど許されませんよ。私にとっての幸せは貴女と共にあることなんだと、何度言えば分かるのですか」


 真っ赤に染まる世界が広がったのはいつからだろう。足掻こうとしてさらに広がってしまったのに気づいた恐怖はきっと誰にも分からない。


 自分の体から消えた赤がわが子に移った瞬間の小さな悲鳴を彼女に聞かれたことは良かったのか、悪かったのか。


 だけど移ってしまった赤色はどうやっても消えなくなってしまった。足掻いた事をやめて流れに身を任せてみれば折角取れた自分の赤色すらも再び現れた。


「貴女は私の主です。私がそう決めた、そして貴女も共にあると認めたのですよ」

「今からでも…」

「私の忠誠が要らぬならいっそ殺してください、それが出来ぬのならば諦めて私を巻き込んでください」


 月明かりに照らされた彼女は、草臥れたメイド服のスカートを少しつまみ綺麗な礼をする。


「貴女が私を殺せぬのなら、私は誇りを持って共にいましょう。例え、与えられたこの地位すらなくなっても、無様にしがみついてでも、共に」

「…貴女も、母なのよ」

「この子は私によく似ています。私が貴女を主と定めた様に、この子もまた既に主を決めている」


 ベッドの上で小さく身じろぐ我が子。

 ソファーの上で静かに眠る親友の子。


 血だらけの世界で。この崩れることが決まってしまっていた私の小さな世界で。せめてこの子達が共に在れるように。幸せじゃなくても、共にあればきっと孤独にはならない。


「………ねぇ、ビオラ」

「はい」

「お願いを聞いてくれる?」

「ええ」


 真っ赤に染まる親友はそう言って私を抱きしめる。あの人がくれなかった温もりを、彼女は…ビオラは与えてくれる。




 溢れる涙は止まらなかった。むしろより溢れ出していく。涙が流れれば流れる程に私とビオラの体が赤く染まっていく。



 それが私の罪だと言うかのように。


 あるいは、それが私の救いだと恩着せがましく見せるかのように。





「シルビア様、どうかせめて後悔なきよう」




 神がいるのなら、運命を神が定めたのなら。


 神はきっと性格が悪いのでしょうね。



「ははうえ…?」

「…なんでもないわ。ほら、ちゃんと寝ないと大きくなれないわよ」

「ん」


 私の可愛い子。私の宝、私の希望。


 どれだけ言い訳を並べたって、きっとこの子が歩む苦しみの道は無くならない。どれだけ道を整えても、この子の先は無傷で済む訳もなく、泣かずにいれる訳でもない。


 たくさん絶望し、足掻いて。そして幾つか諦める。



 幸せになれなくてもいいから。間違えてもいいから。逃げてもいいから。


 可愛い子、どうか、貴方は生きて。


 優しい子、母親ビオラを奪ってしまうけど、どうか、この子と共に居てあげて。一緒に感情を大切にして。



「ビオラ、一緒に死んでくれる?」

「ええ、もちろん」


 当たり前だと笑うビオラに私もやっと涙を止めることが出来た。


 私は貴方達を死なせない。だからどうかその先は二人で頑張って欲しい。まだ小さな二人には難しいとはわかっている、でもきっと生きられる。


 一人でないなら…孤独でないのなら。


 私とビオラがそうであったように。



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