第57話

「仕方ないよ。それが僕の性分しょうぶんなんだから」


 龍崎は全く悪びれることなく言い返した。


「千晶さんは、どうして東大阪の家族は殺されて山に埋められたのか、理由は知っている?」


「理由なんて……」


 千晶は否定しようとして思いとどまる。知っている。確か根岡からそんな話を聞いた覚えがあった。


「……正しい社会を作るためです」


「凄いねぇ、それも知っていたんだね」


「あなたは昔の反政府闘争に参加した過激派の一員だったんです。でも闘争は失敗して組織が解体されてから、心にゆがんだ正義と暴力への衝動だけが取り残されてしまった。それであなたは、何があったかは知りませんが、働いていた会社の社長一家を殺害してしまった。その動機が、正しい社会を作るためでした」


 千晶は根岡から聞いた話をそのまま語る。


「私には、何一つ理解できません。その社長一家、子供まで殺すことがあなたの正義なんですか? お世話になった龍崎さんを殺すことが、正しい社会となんの関係があるんですか?」


「何も関係ないよねぇ。だって嘘なんだから」


「嘘?」


「警察に聞かれたから、思わずそう言っちゃったの。いや、違うかな。警察にそうだろうって聞かれたから、はいそうですって言ったんだ。確かそうだった。だって僕、そんなこと思ったこともなかったもの」


 龍崎はれた笑い声を小さく上げた。


「過激派組織の一員だったのは本当だよ。六十年代だから、それこそ六十年も前になるねぇ。僕の主な仕事は運び屋だった。人や物をトラックや乗用車に乗せてあちこちへ運ぶ係。関西ならほとんどの道を走ったよ。行く先々で警察や他の団体と衝突した。僕もみんなと混じってよく戦った。最初に人を殺したのもその頃だったなぁ。あれは誰だったのかな? どこかの大学の学生組織で、同じ歳くらいの若い女だったよ」


 これまでのやり取りから龍崎が車好きだということには気づいていた。自らの運転にも豊富な経験があり、千晶の知らない道にも詳しかった。認知症を患っても過去の思い出は色褪いろあせにくく、特に若い頃の経験は深く記憶に刻みつけられていた。


「だけど警察の取り締まりを受けて組織は潰されちゃった。幹部連中は捕まったけど、僕は運び屋だったから厳重注意で済まされた。何人か殺したけど、みんな事故や行方不明として扱われるように工夫したからね。あとは全部上の人たちの責任にされちゃった。あそこで捕まっていたら何か変わったのかな? いや、たぶん何も変わらなかっただろうなぁ。この性分がなくなるとは思えない」


「さっきから言っていますけど、一体なんの性分なんですか?」


「人を殺す性分だよぉ」


 まるで風呂上がりのアイスがやめられないとでも話すような感覚で、さらりと言ってのけた。


「闘争が終わってからは、なんだか心の火が消えたような気がしてね、もう何もする気が起きなくなっちゃった。残ったメンバーはまた新たな組織を立ち上げたけど、僕は参加する気になれなかった。みんなからは、それは革命の炎が消えたせいだと言われたけど、僕はそうじゃないって気づいていた。僕の炎は革命じゃなくて、人殺しで燃えていたんだ」


「それが、東大阪の一家や、龍崎さんや、矢田部さんを殺した本当の理由ですか?」


「千晶さん、僕はねぇ、人間を殺さないと生きていけないんだよ」


 龍崎はなんの後ろめたさも見せずに語る。


「人間を殺すと自分が生きていることを実感できるんだ。彼女は死んだ、だから僕は生きている。バラバラに刻んでいくと、どんどん人間じゃなくなっていく。それを見ていると僕、自分が人間だと分かって安心するんだ。本当はあの女もそうしたかったんだけど、リンゴのかわきナイフじゃどうしようもなかったよ」


 ぞっと、左耳から全身に鳥肌が走る。その時、千晶は初めて背後の車以上の恐怖を隣から感じた。息が詰まりそうな戦慄せんりつが過去から一気に押し寄せてくる。私は今まで、こんな男を隣に乗せて車を走らせていた。


「あなたは……逮捕されるべき人です」


「弱ったなぁ。次に刑務所へ入ったら、僕はもう一生外へは出られないよ」


「一生出てきちゃいけない人です!」


「幽霊が、出て来ちゃうんだよ」


 龍崎の溜息をつく音が聞こえる。


「認知症が起きると、幽霊に体を乗っ取られるんだ。そうしたらもう、僕にもどうしようもない。警察の取調中とりしらべちゅうに起きたら大変なことになる。僕はそれが心配なんだ」


「……あれは幽霊じゃありません。あなたの本性です」


「ああ、千晶さんにも見せちゃったんだよね。そう、僕の本性、本心、本音。幽霊の戯言たわごとだって言ってもきっと聞き流してはもらえない。だからもし、洗いざらい話しちゃったら、みんなひっくり返っちゃう。僕はそれが心配なんだよ」


「何を……」


 千晶はその時、龍崎の言葉の意味に気づいた。それと同時にハンドルを強く握って左足を車の底に強く押し付けて気持ちを抑え込んだ。心を奪われてはいけない。運転に集中しなければいけない。しかし聞き返さずにはいられなかった。


「一体あなたは、何人殺してきたんですか!」


「大阪と京都と兵庫と滋賀と……奈良と和歌山はほとんどないねぇ。やっぱり都会で、歓楽街が大きいほうが見つけやすい。ああいうところには根無し草の女が多いでしょ。どこからともなく現れて、いつの間にか消えていくような女がいいんだよ。千晶さんも働いていたなら分かるんじゃない?」


 龍崎はやはり変わらず穏やかな声で話し続ける。


「心斎橋もよく行ったよ。やっぱりあの頃も大阪はキタとミナミが充実していた。店が終わって女が帰る時間を見計らって、さらっと刈り取るんだ。もう今じゃできないだろうなぁ。きっと力負けしちゃうよ。別の方法を考えないと」


 深夜にどこからともなく黒い車がやってきては、店の女をさらって殺す。しかも車に人は乗っておらず、殺された女たちが仲間を求めて車で徘徊はいかいしている。いつどこで、誰が広めたのかも定かではない、夜の街で語りがれている怪談。


「……女を殺してバラバラにして、淀川よどがわに捨てていたんですか?」


「ええ、淀川? まさかそんな、大阪の真ん中を通っているような川になんて捨てられないよねぇ。大体は大阪や京都の北にある山か、奈良の南にある……そう、この辺りの山だったよ」


 千晶の知らないこの道も、龍崎はよく知っている。日が暮れても、雨が降っても、暗黒の夜が訪れても、まるで通い慣れているかのように迷いがなかった。

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