第五章 パトロール巡査のファイトバック
1 武器はまだある
冷や汗を流しての高所ハシゴ渡りをこなしたというのに、ふりだしに戻ってきてしまった。
クドーは、ルシアが隠れていた屋上家屋へと、先頭を切って歩かされていた。背後にラミロがつき、その後ろをマルティンにおさえられているルシアが続いた。
玄関近くに並んだ鉢植えを通りすぎる。
途中、そばに置かれていた園芸用土の袋につまづいた。たたらを踏んだ拍子にスコップも蹴ってしまう。襟首をつかみあげられ、強引に体勢をなおされた。
「てめえ、わざとか?」
片手でクドーの体重をささえたラミロが、怒気を含んだ小声で言った。
「や、後ろにおる、あんたらが気になって、足元がお留守になってしもただけや」
すっとぼけて、ドアノブに手を伸ばした。
「待て」
ラミロが手下からルシアをひきよせた。自分の盾にしてから、クドーに顎で指図する。
開けろ。
ガタイに似合わない用心深さに舌打ちしたくなる。クドーはゆっくり玄関のドアを開けた。
真っ先に目に入ったのは、自分を照準している銃口。
動じることはなかった。
相方だ。リウのハンドガンが照準しているのは自分の背後のはず。その証拠に、ラミロが動いた気配とあわせて、リウの銃口も動いた。
クドーの後頭部に金属があたる。
「こいつの頭の中身をぶちまけられたくなかったら銃を捨てろ。おい、入れ」
太い声に小突かれ、クドーは中へと進んだ。
ラミロ・デルガドは、クドーを弾除けにして部屋に足を踏み入れた。
配管につながれているフレデリーコの姿を認めるなり、
タトゥー警官を見据えたとき、にわかに首の後ろが粟立つような妙な感覚がおこった。怒りが覚める。
目をすがめて訊いた。
「おまえ本当に警官なのか?」
目元の傷痕やタトゥーをみて言ったのではなかった。
「薄ら寒い目ぇしやがって」
この警官、どうにも厭な感じがする。
〝伝達〟がきていた。
——始末が悪い警護がついた。
このタトゥー警官のことか?
ただ、警告だけで具体的な対処の助言もない中途半端なものだった。役に立たない伝達をよこしたやつの捨て所を考えておくべきだろう。
「銃を床おいて、こっちよこせ」
ダニエラにも言った。
「銃を捨てるのは折場、おまえもだ。ストリッパーを避けて撃つ自信があるのか? まあ、ハンドガンは狙いが不安定だからこそ楽しくもあるよな。どこにあたるか賭けてみるか?」
「要点だけを話しなよ。長舌だから、お兄ちゃんにきらわれるんだ」
ラミロの首から上が熱くなる。ルシアの首元をつかんで引きずり、荒々しくダニエラに近づいていく。
意図を察したルシアが、抵抗して踏み止まろうとした。
「やめて! ダニーも抵抗しないで!」
そんな声を聞くラミロではない。
ルシアを手元で押さえている限り、ダニエラは抵抗してこない。ハンドガンのグリップ底部で、ダニエラを殴りつけた。続けて手首を蹴りつけ、ハンドガンを飛ばした。
「フェーデのことを勝手に語るな! フェーデがおれを——」
「ラミロ‼︎」
フレデリーコの一喝で、ラミロの怒声がとまった。
「その呼び方をするなと言ったはずだ!」
「目が覚めたのか⁉︎ 大丈夫か?」
「うるさい、見りゃわかるだろ! 与太話してないで、さっさとおれを解放しろ! いつまでこの格好で放っておく気だ!」
「わ、悪かった」
すぐさまフレデリーコに駆け寄りたい気持ちは抑える。
連れてきたふたりをマルティンに預け、テーブルにとらわれている配下の拘束を先にといた。自由になったナバーロが指示を出し、足をひきずりながら警官たちとダニエラを押さえにかかる。
「ルシアは縛らなくていいぞ」
フレデリーコの指示に、ルシアは怪訝な表情を返した。
「おれの意に反した動きをおまえがしたら、折場がその責苦を引き受けるだけだ」
酷薄な笑みに嫌悪感が湧く。
——そういう陰湿なとこが気色悪いのよ!
フレデリーコが<モレリア・カルテル>の後継者の最有力候補だったのは、ボスの長兄である以上に、ラミロの一派を内包していたことが大きかった。
しかし、離反したダニエラを追うなかで崩れていくんじゃないかとルシアは思っている。
ダニエラを捕まえて証拠品を回収することが、後継者になる第一条件のようになっていた。
簡単に手に入らないとなれば、フレデリーコは普段以上に強引な手を使ってくるはずだ。本性バレれば、ラミロについている子分たちがフレデリーコを、ひいてはラミロをも見限る機会になりえる。
組織が瓦解——とまではいかなくても、弱くなる可能性だってある。弱くなるほど報復の心配がなくなる……。
希望にすがっているだけかもしれないが、なんとしてでも証拠品を渡すわけにはいかなかった。
ラミロは、フレデリーコのそばにひざまずいた。フレデリーコと壁の狭間をのぞき込む。
「手錠か……よし、チェーンを撃つぞ」
「やめろ、ばかやろう!」フレデリーコが慌てて止めた。
「B級映画とごっちゃにするな、おれの手首も無傷じゃすまないだろうが! そこのイレズミ警官から鍵をとってこい!」
兄弟のちぐはぐなやりとりをクドーは存在を消して見ていた。突き崩す余地を探そうとする。
警官としてのクドーは、体格で圧倒的不利があった。補っているのは抜きん出た根性などではなく、考えること——「悪知恵を働かせるじゃなくて?」と言ったリウは黙らせた——でカバーしているから。
フレデリーコには言いなりになるラミロが、リウに手錠の鍵を急かしていた。そのくせ、銃口で小突く軽率なことはしない。
リウなら、手が届く距離にある武器を奪いとれる。初対面のラミロが、なにかしら感づいて間合いをとっているのなら、ただの筋肉バカではないということになる。
フレデリーコに怒鳴られても、先に手下を解放して、優位を保つことを忘れなかった。
となると、敵側の弱点はフレデリーコにありそうだが、なんの取り柄もないままナンバー2に納まっているとも考えにくい。フレデリーコの強みを理解しておかないと、墓穴を掘る結果になりそうだった。
拘束がとけ、ハンドガンを受け取ったフレデリーコが訊いた。
「ルシアはどこで見つけた?」
「このビルのすぐそばにいた。フレデリーコと入れ違いになったんだな」
眉間にシワをよせ、不機嫌に黙った。ラミロの好意的解釈がかえって気に障ったようだ。
そんなやりとりの合間に、クドーはじりじりと動く。
ベルトで両手の自由を奪われ、壁際で足を投げ出した格好で座っているダニエラに近づこうとした。
目ざとく見つけたマルティンが牽制した。そばのルシアに銃口を向けてアピールする。動くな。しゃべるな。
主人の命令をまもる忠犬マルティンの尻をフレデリーコが蹴った。アゴで脇においやり、ダニエラの前にくる。
「久しぶりだな、おい」
ハンドガンをベルトに挟み込むと、いきなり平手を食らわせた。
「二度とそのツラ見たくなかったんだが、そういうわけにはいかなくなった」
「そんなにあたしに会いたくなったとは意外」
平然としたままでダニエラが返す。
「まあ、いまのうちに吠えてろ」
顔に泥を塗ったもうひとりをフレデリーコが見逃すはずがない。今度は両膝をつかされているリウを殴り、蹴りつけた。
こちらは問題がないとクドーは思う。
頑強なリウが、フレデリーコ程度のパンチにダメージを負うはずがないというのもあるが、さりげにリウが演技していたからだ。
力が加わった方向へと身体を逃していた。殴られたふうを装う。
調子にのったフレデリーコは、しっぺ返しがくる可能性など、露ほども考えていそうになかった。
跡目争いがおきるはずだ。
そのときの感情でふるった暴力は、よけいなトラブルを呼び込む原因になる。先を読めない人間を後継者とすることに、不安をおぼえる者はいるはずだ。ボスの長兄という立場をもってしても、すんなり決まらなかったのは、こういうところが発端かと思う。
「手錠をよこせ」
床に放置されていたリウの手錠をラミロが素早く拾いあげた。
一転して、クドーの不安が大きくなる。
受け取ったフレデリーコが手錠でやり返した。リウの右手に手錠をかけ、もう一方を配管につないだ。鍵はごていねいに、窓の外に投げ捨てた。
まずい——。
両腕をつながれるならまだしも、配管につながれては身動きがとれない。
クドーは、視線だけで部屋のなかを探った。いくら器用な相方でも、道具なしで手錠抜けはできない。ヘヤピンやクリップがありそうなところを探す。
手錠でつながれたタトゥー警官に、ラミロは気がかりを覚えた。拘束が甘すぎやしないか?
そして、重要なことを見落としている気がした。それが何なのか、必死に考えようとしたが、
「ラミロ、おまえの仕事はすんだのか?」
コントロール権を握るフレデリーコのペースに抗えなかった。
「屋台のガスボンベを使ってうまくいった。観光客の団体が通りがかったタイミングだったから、混乱もいい規模になった。警官どもは皆、そっちにかかりきりだ」
首尾よく役割を果たした報告に、フレデリーコから返ってきたのは渋面だった。
「で、おれを助けにきたわけか?」
「いや、助けるとかじゃなくて……」
頭半分下から大柄なラミロを睨め付けてくる。気圧されて思わず後退った。
「まあ、いい。先にやることをやるぞ」
「お。おう! 指示をくれ」
「その前に、マルティンの肩にある、間抜けな布包みはなんだ?」
「こ、これですか? 高城が持っていた——あっ」
答えを聞く前から、布リュックを奪いとった。
「ファイル⁉︎ これが折場がくすねとった……」
床に置いたバインダーファイルをめくったが、
「ただの落書きと領収書の束じゃねえか! なんでこんなもん後生大事に持ってんだ、馬鹿がっ!」
忌々しげに蹴った。
ルシアの目に怒気が燃える。フレデリーコに馬鹿扱いされるのは、誰よりも腹立たしかった。
抗議の声をあげる前に、クドーに小声でとめられた。
「ひとが大事にしてるもんを雑に扱こうてるのを見るんは、あたしも
バインダーファイルに興味をなくしたフレデリーコが、視線をこちら側に向けてきた。
「そんな目つきができる立場か、折場」
ダニエラのそばまでいき、尊大に見下ろした。
「こそこそ隠れて録りためたカセットテープがあるんだってな。ということで、出せ」
「おまえも、たいがいな阿呆だな。仮にあったとしいても、言われて素直に、はいどうぞと差し出すやつがどこにいる?」
フレデリーコの足が、ダニエラの肩口を踏みつけた。
「いまの状況を理解しろよ。減らず口しか出ないアタマなら吹き飛ばすぞ?」
「やりなよ」
不敵な笑みをダニエラが返す。
気持ちのうえではルシアも同じだが、あまり挑発しないでほしかった。反撃できない相手は、フレデリーコの好物なシチュエーションだ。それを証するように頬が緩んでいる。
「あたしを殺せば事が片付くと考えているなら、ずいぶんとおめでたいこと。情報管理に保険をかけていないはずないでしょうが」
「おまえひとりの悪知恵じゃないよな。アシストしてるのは、例の<唐和幇>とかいうやつか?」
「いいね、それ。得意メニューに闇討ちがあるそうだよ。ついでに鬱陶しいやつも片付けてもらえる」
「調子にのってんじゃねえ!」
口答えしたダニエラの腹を蹴りつけた。
「死ぬ手前の苦痛にどれだけ耐えられるか、試させてやろうじゃねえか。殴る蹴る以外のバリエーションは、いくらでもあるぞ!」
言いながら二歩さがった。
背後でナバーロが眉をひそめ、マルティンが気後れを隠そうと口元を無理やり笑みの形にしている。
そんな手下の反応をフレデリーコが気にするはずがない。勢いをつけて踏み込もうとした間際、ルシアは耐えきれなくなり声をあげた。
「欲しけりゃ持ってけばいいじゃない! あんたたちのすぐそばにあるんだから!」
ダニエラが無事でないなら、証拠品が残っても意味がなかった。
「整理棚の菓子箱よ! 机の左横の下から二段目! そこにカセットテープが入ってる!」
フレデリーコが舌打ちをした。素直にしゃべられて、楽しみが減ったからだ。
アゴで指示されたマルティンが走った。両手で菓子箱を取り出し、フレデリーコが見やすいように差し出した。
全部で百本以上あるケースのラベルには、どれも曲名やアルバムのタイトルを入れてある。
「これ全部が証拠品ってわけじゃないはずだ。ダミーとの区別はどうやってる?」
「約束して。教えたら——」
「こいつは約束なんて守るやつじゃない! 話すだけ無駄に——!」
「おまえには訊いてねえ。勝手に口を開くな!」
ルシアの言葉にかぶせて割り込んだダニエラを蹴りつける。すぐにルシアに向き直り、腰を折って顔を近づけた。
「おれはダミーとの見分け方を訊いたんだ。正しく答えないとどうなるか、ついさっき見せたから、わかるよな?」
ルシアは、少し逡巡したあとで切り出した。
「……タイトルの右下に、コンマを入れてあるのが本物」
上体をもどしたフレデリーコは、したり顔をラミロにむけた。
「情報はこうやって引き出すんだよ」
そうしてアゴをしゃくった。
「探せ!」
受けた暴行の対価で、ダニエラは嗤った。
カセットテープをあっさり引き渡さないことで信憑性をもたせた。本命の添え物でしかないというのに、あっさりテープに集中してくれた。
実際のところ、証拠品となるテープは四本しかなく、それも採用されるか微妙なもの。目印だといったコンマにも二種類ある。コンマの他にピリオドのダミーと混ぜていた。視力がよければ、細部に目が届く神経があれば、気づくかもしれない。
目印をおしえたルシアは、嘘など言ってない。
殴りつけて無理やり聞き出した答えの細部をあたらめなかった、フレデリーコの詰めが甘いだけだ。
クドーと一緒に逃げ出すとき、ルシアはバインダーファイルだけを持ち出した。カセットテープをおいていったのは、もしものときは捨てて構わないとダニエラに言われていたからだ。
ただ「テープはない」とクドーに言ったことには、胸の内にモヤモヤが残っていた。
音質が悪くて聞き取りづらい録音テープだ。ある意味「証拠品としてのテープはない」といえる。クドーが本当の味方か、まだ確信をもてなかったこともあった。
けれど、危険から護り通そうとするクドーたちと一緒にいるうちに、嘘をついたイヤな気分が強くなっていく。
クドーは相方の状態を確かめた。
ぐったり配管にもたれかかり、痛めつけられたヒラ巡査の皮をかぶっているが、視線が周囲を観察している。
とはいえ突破口を見出せない状況に思えた。
リウがつながれているのは、居間スペースの奥まった場所で、そばにあるものといえばソファーだけ。いまなら宝物庫にみえる、さまざまな道具がつまった整理棚から離れていた。
敵のスキを突く材料がない。
リウが武器を奪うにも、ラミロの指示で手下たちは不用意に近づいたりはしなかった。さらに、足の怪我で動けないバジリオが、専属の監視役になって目を離さずにいる。
わずかな望みがあるとすれば、手錠でつながれているのが片手だけということ。
しかも、すぐに銃を取り上げられたことで利き腕の印象がうすれ、シャツでホルスターが隠れる私服勤務が功を奏した。
利き腕を封じれば充分と考えたのだろうが、逆だ。
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