第11話:誰ですか?

 書道実技の講義が終わり、結衣が筆を水洗いしようとしていたらスマホが震えた。

 画面を見ると渚から「一緒にお昼ご飯を食べない?」とのお誘い。

「これから筆を洗わなきゃいけないので遅くなりますよ?」と返事すると、それでも構わないとのことなので結衣はOKのスタンプを返した。


 普段はじっくり時間をかけて筆が吸い取った墨を丹念に洗い落とす結衣。

 今日もそうしたつもりだったが、書道室の日陰に吊るした筆の根本がかすかに黒ずんでいた。


 昼休みを30分ほど消費した食堂は、まだまだかなり混み合っていて結衣をうんざりさせた。

 もっとも結衣を見つけて手を振る渚の姿を見て、その感情はたちまち霧散した。

 代わりに結衣を支配したのは恋人に会えた喜び――

 

 ではなくて、大いなる戸惑い。


 結衣の席を確保して待っていると渚は言っていた。

 なのに、その渚の前の席には見知らぬ女の子が座っている。

 

「あ、この人が先輩の待っていた人ですね?」


 渚に手招きされて席に近づいた結衣に、その子が振り返って朗らかな声をあげる。

 

「うわぁ、すごい美人さんじゃないですかー!」


 座ったまま結衣を見上げた女の子が、クリクリとした目を大袈裟に見開いて驚いてみせた。

 

「もしかしておふたりって付き合っておられるんですかぁ?」


 そして再び渚へと振り返り、どこか甘ったるい声で問いただす。

 渚が照れながらも関係を認めると、女の子は「うわぁ、まさに美男美女のカップルじゃないですかー!」なんて言いながら茶目っ気たっぷりな表情を浮かべ、両手で渚を指差した。

 

 その仕草が、言葉が、おまけに顔までもがいちいち可愛らしくて、結衣は腹が立った。


 誰だろうこの子は?

 渚のことを先輩と呼んだから、おそらくは自分と同じ一年生。

 でも国語科にこんな子はいない。

 となると他の教科の女の子なんだろうけれど、こんな可愛い子、入学式でも見かけなかったような……。


 必死になって結衣は頭の中のデータベースにアクセスするも、この可愛らしく、そしてここまで出来るだけ意識しないようにしていたが、おっぱいが凶暴なまでに大きい生き物が何者であるか答えを見つけ出せなかった。

 

「じゃあ先輩、カノジョさんも来られたようだし、お邪魔虫は退散させていただきますねー」


 女の子がトレイを持って立ち上がる。

 それだけで春色ワンピース越しの胸がぶるんと震えた。


 思わず自分のと見比べてしまう結衣。

 何とも言えぬ敗北感が胸の内いっぱいに広がる。

 

「……渚先輩、今のはどちら様でしょうか?」


 だからだろう、食堂から出て行く女の子の後ろ姿を眺めながら問いかける結衣の声は、苛立ちを隠しきれていなかった。

 

「小泉さんって言うんだって。経済学部の一年生らしいよ。席が空いてなくて困っていたから『待ち人が来るまでならどうぞ』って誘ったんだ」


 しかし渚はそんな結衣の心をさらにかき乱すことをさらりと言ってしまう。

 

「……へぇ、経済学部の子がどうして教育学部うちの学食にいるんでしょう」

「なんでもこっちで受けたい講義があったらしいよ。経済学部のキャンパスから遠いのに大変だよね」

 

 ……結衣が尋ねたいことはそんなことではない。

 どうしてカノジョである自分を待っているのに、そのカノジョを差し置いてあんな可愛い女の子とお昼したのか、ってことだ。


 それぐらい察して欲しいと思う。

 が、渚にその様子は全く見られない。

 まさに恐竜並みの鈍感さだ。


「じゃあ僕たちもご飯を食べよっか。僕もうお腹ぺこぺこだよー」

「え? 先輩、まだ食べてなかったんですか!?」

「うん。神戸さんと一緒に食べようと思って」

「そんな。私、遅くなるから先に食べててってメッセージを送りましたよね?」

「でも神戸さんと一緒に食べた方が絶対美味しいって思ったんだ。ほら僕たちって付き合ってるわけだし」

 

 かと思えば、逆にそんな気遣いは出来たりするらしい。

 何ともよく分からない人だと思いつつ、結衣は自分の鞄をさっきまで女の子が座っていた椅子に置き、渚と肩を並べるようにして注文の列へと向かった。

 

 

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