第15話 裏切りへの道

銅板どうばん兵長を呼んでこい。会議だ」


 それはティレルへのスパイ活動のための会議である。複雑ながらも従わなければならない。彼は王国の騎士ではなく、今やホツマ皇国の兵長なのだから。

 重要任務であると告知されていただけに橘花もやや緊張した面持ちである。それは時雨も同様だった。


「第二十一号作戦は翌々日より開始される。これは草組との合同で行う。質問はあるか」


 無言、二秒きっかりで時雨は打ち切った。国境の関所から旅人に偽り侵入する。ほとんどベルティアがしてきたことと同じである。


「ティレルの首都って警備とかどうなの?」


 橘花とベルティアはだいぶ打ち解けていた。彼女は他人との距離を縮めることに関して天才的で、友人となるのに数日も掛からなかった。


「首都? ミッドゲイルのことですか?」

「そうだ。草どもの予想ではそれほど厳重ではないらしいが」

「あまり出向いたことはないもので」


 出向いたことはないに決まっている。彼はもともとミッドゲイルで兵士として勤務していたし、辺境に移ってからはめっきり訪れていない。レベルの低い言葉遊びだが、二人は疑わない。


「そうか。ティレルでは軍人ではなく、騎士団がいるそうじゃないか。見たことあるか」

「ええ。あります」

「そりゃあるよね。私は写真でしかないけど、本当にあんな重そうな甲冑で、ぶっとい剣で戦うの?」

「そうだと思います。全員がそうってことはないでしょうけど」


 これまで故郷の話をしてこなかっただけに異様なほど食いつかれて困った。ボロが出る前に話題を変えた。


「期間はどれほどで」

「数ヶ月から半年だ。延長も考えられる」

「ずっと任務ってわけじゃないんでしょ? 観光とかしたいなあ」

「腑抜けたことを言うな」

「ベルが案内してくれたらちょっとは早く終わるかもよ?」

「べ、ベル? 橘花、お前こいつをそう呼んでいるのか?」


 長いからと勝手にそう呼んでいた。ベルティアも特に気にしていない。


「そうですよ? あれ、まずい?」

「まずくはない。ふむ、私もそう呼ぶか。どうだ」

「それは、もちろん、かまいません」


 会議当初の緊張感はなくなっている。もしかすると緊張に耐えられないからこその逃避的な無駄口なのかもしれない。






 ティレル側の関所の兵士はすでに買収済みである。時雨が出発前にそう言った。ベルティアは自国の腐敗を嘆きたかったが、自分たちもルールから逸脱して友人たちを使っているために、心中でどう繕うこともせず、そういうこともあると無理やり納得した。

 ティレルの関所は情報通り簡単に抜けることができた。ベルティアはフードを被り、その上で面までつけた。ティレルで片目の男といえば、ベルティア・ロードレッドであるといっても過言ではないため、そこから素性が発覚することを避けた。


「なんで般若にしたの?」

「時雨さんがくれたんです」


 仮面探しにかこつけて基地内を調査しようとしたところ、時雨からいいものがあると渡された。


「なんで姫昏さんがベルにそんなもんを」

「女所帯だから面をつけているときくらいは女になっておけ、とのことです」

「女って……いや確かに鬼女だけどさ」


 草組は五名、時雨たち星組を含め八名での潜入調査である。その前途の多難を、ベルティアだけが知っている。


「あいつらを黙らせろ、姫昏」


 この半ば片道切符のような危険性を持つ任務は、干し草隊と名付けられた部隊が陣頭指揮をしている。

 隊長は上野智子大尉である。部隊の名付け親も彼女であり、先ほどから橘花とベルティアにイラついているのも彼女だった。


「何度言っても変わりません。大尉、銅板兵長は口答えの達人です」

「糞、それはお前もだろう。それと階級で呼ぶのはやめろ。私たちは軍人ではなく旅人だ」

「失礼しました。ではタメ口でも」

「姫昏」

「失礼しました」


 旅人のていなので、多少うるさくてもいいだろうと橘花は無駄口をやめない。


「でもさ、お面つけてたら目立つと思うけど」

「そこはこのフードをかぶるってことで」


 夜半ならばいいだろうが、昼間ではかえって注目を浴びるだろう。ベルティアは目立ちたくないのだが、どうしても目立ってしまう。いっそ光ある目ごと布か何かで隠してしまおうかと思った。


「もしかして目の傷を気にしてんの?」


 核心からほんの少しだけずれた指摘である。答えあぐねていると橘花は新たな質問へ。


「いつの傷? 結構古そう」

「ちょ、ちょっと銅板さん。静かにしないと叱られますよ」

「平気平気。だって私たち旅の人でしょ? 上下関係なんてないっしょ」


 前を歩く時雨はもういたたまれない気持ちだ。上野からなんとかしろと目で訴えかけられてもどうすることもできない。


「いいから一言かけてこい。夜は静かに歩くもんだ」

「それでは」


 時雨は列の前方、ベルティアたちが最後尾である。速度を落とし並んだ。


「上野さんがおかんむりだ。私に恥をかかせるな」

「あんまり静かに歩いていてもおかしな集団だと思うけどなー」

「この……! ベル、相手にするなよ」

「へっへーん、独り言は大得意でーす」


 前方から銅板と叫ぶ声。上野の怒りが林道に響き、眠っていた鳥が数羽飛んでいった。


「やべっ」

「貴様ァ、なぜ静かに行動できんのだ」


 行軍は一度停止し、他の隊員はこの休憩をありがたがった。しかし銅板をかばうものはいない、冷ややかかつ楽しそうに眺めている。


「し、静かにったって、私はできる限り静かにしてましたよ」

「ああ? じゃあ誰があんなにでかい声でくっちゃべっていたんだ」


 上野の首がぐるりと回りベルティアへと向いた。「お前か、姫昏兵長」


「あれ、へいちょー? 旅人なのに、智子さん、兵長っておかしくないですか?」

(怖いもの無しか橘花)

(すげえなあ橘花さん)


 怒りに震える上野は橘花の頭上に拳骨を一発ぶつけ、


「旅人だとも。だから、これで済ます」


 と、涙目の橘花にヘッドロックをし頭をグリグリと拳でこする。


「い、痛だだだだ!」

「軍隊ではないのだから、謝ればすむ」

「すいませんすいませんすいません! も、もうやめ痛だだだだ!」

「謝っても許されん。私は私だ」

「だぁー! な、ぐ、ひひひ姫昏さん! 助けってこっちを見ろォ! ベール! お願ァい!」


 ヘッドロックから鯖折り、そして裸締めまでやりきって、橘花は正しく気絶した。


「泡なんか吐いてら。これで焔椎真ほつま軍人だというのだから情けない」


 そこまでやれば誰だって。というベルティアの澄まし顔が気に入らなかったのか、上野はその胸ぐらを掴んだ。


「姫昏ならば部下に連帯責任を叩き込んでいるはずだ」


 なあと同意を求められた時雨、こくりと小さく頷いた。


(同罪だろうが、ただ技をかけられるのも癪だな)


 ベルティアは橘花の悪ふざけが移ったのか、くっと口角を上げた。


「ぐ、軍人ではそうでしょうけど、俺もあそこで伸びてるのも旅人ですよ、智子さん」

「よし。覚悟はあるようだな」


 そこからは辿る道も結果も橘花と同じである。「ぐわ! 冗談です、すいませんでした!」


 幸か不幸か、ベルティアは橘花より身体が丈夫だった。


「痛っでえぇええ! ぐ、だめだ、あがっががあああ!」

「連帯責任はまだしも、どーして私を下の名前で呼ぶんだ!」

(それは私も気になった)

「深い意味はありません! なんとなくです!」

「深い意味もなく行動するな馬鹿者め!」

「はい! 了解しました! ですから、上野大尉!」


 ぎりぎりと締まる裸締め、そこからドラゴンスリーパーに変遷して会話すらもままならない。


「大尉ィ? 何を言っているのかまるでわからんな」

「ぐえ」


 ベルティアの体から力が抜け、智子はそれを時雨に放り投げた。


「躾くらいしっかりしておけ」

「もっとボコボコにしてくれてもよかったのに」

「ボロ雑巾と一緒に行動したくはない」


 野営は上野の指導のもと、徹底的に静かに行われた。草組はもう慣れっこで苦痛もなかったが、時雨は話し相手が二人とも気を失っているために手持ち無沙汰である。


「明日は早い。もう寝ておけ」


 ちょっとその責任を感じているのか、上野は酒の瓶を持って隣に座った。


「騒がしい犬を飼っているな。疲れないのか?」

「疲れますよ。でも仕方ありません。私にはあの犬しかいないのですから」


 ラッパ飲みした瓶を時雨に渡した。


「あの新入りはティレルの生まれだったか。里心でもあれば作戦の憂となるぞ」


 水のように薄い酒だった。寝酒にもならないが、腹は割れる気がした。


「この作戦のためだけに犬を飼っているのではありませんよ。橘花は生意気で騒がしくとも、あれはあれで戦場では役に立つのです。はしっこくて、いつでも撤退を視野に入れている。私とは少し考え方が違うので重宝しているのです」


 側で転がっている橘花は安らかな寝息を立てている。「ほう、あれがねえ」


「ええ。新しい犬も、ただただ歳を食った訳ではなさそうで、戦いになれば活躍すると見込んでのことです」

「私の方で探ろうか?」


 ティレルの人間がこの時期に入隊するなんて怪しすぎる。しかし確証もないため時雨に任せようとも思っている。


「結構です。何かあれば私の裁量で斬ります」

「そうか。それは結構なことだ」


 瓶が空くと上野はその場で横になった。見張りは草組から出ているので時雨は安心して眠ることができたのだが、居心地は悪い。


(上官と横並びで寝るなんて思わなかった)


 近すぎるのも遠慮したいし、かといって距離を取るのもどうかと思う。どうしようかと目を閉じると、あっというまに出発時刻であった。

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