第12話 新たな仲間

「兵長」


 と、呼ばれるのにも慣れてきた秋も終わりに近づくある日、ベルティアは時雨に呼び止められた。彼に与えられた仕事はほとんどが訓練で、あとは時雨の雑務を手伝ったり、日報を書くことだけだったが、この日はそうではないらしい。

 訓練とはいえただ走っているだけなのだが、時雨はそれを中断させた。


「お前、私の小姓になってどれくらいになる」


 感慨深そうにしているが、大したことはない。


「ええと、一月かそこらですね」

「そうだ。何か得たものはあるか」


 軍内部の情報ですとは言えない。ホツマ随一の軍事基地であるからそれを探るのには骨が折れたが、噂話や迷子のふりで忍び込んだ車庫などから情報を統合した。

 今すぐの開戦ならばもって数年の短期決戦。しかし、現在の調子で蓄えをすれば十年だって戦える。そういった具合であり、まだまだ不明確な部分も多い。

 しかもベルティアはこの情報を外に持ち出せずにいる。彼の影にはいつも時雨がいた。もしやスパイということがばれていて、それで小姓にさせられたのかと疑うほどに粘着質だった。


「得たもの、ですか。走り方は覚えましたよ。ホツマ式の」


 時雨は吹き出して笑った。

 この女上司のことも理解してきた。彼女は堅物そうな外見のくせに、実に表情豊かな女である。よく笑い、怒り、そして泣く。道端の捨て猫などを見つければ可愛さと捨てた者への憤慨と、猫自身の悲劇にヒステリックなほど暴れる。

 ベルティアの受け答えはちょっと皮肉的な場合が多いらしく、それが妙に気に入られていた。


「それはよかった。それでな、お前の配属先が正式に決まったんだ。これから仲間を紹介するから来い」

「ようやくですか。俺はいつまで少尉、あなたの手足となって働くのかと震えていましたよ」

「馬鹿者。手足となるのはこれからも同じだ」


 時雨に連れられて基地のとある一室へ。おそらくはその部屋を囲うように整備されているのだろう、壁はそこだけ鉄製で異様である。

 ドアももちろん金属の重厚さがあって、開くと軋んだ音がする。


「揃っているか」


 時雨の声に立ち上がった女がひとり。だだっ広い部屋に彼女だけがぽつんといた。


「揃っているも何も、私しかいないじゃないですか」


 これでもかと黒い髪は陽を吸い込むかのように輝っている。気だるい眼差しはベルティアには懐かしい、銀色を想起させた。


「あれ、小姓の人?」

「慌てるな。まあ座れ」


 高級そうなソファはティレル調であり、それは部屋の内装もそうである。鉄板を切り抜いてできた窓が四つあり、日当たりはいい。ホツマの技術なのか、壁や床の鉄板はまるで木材であるかのような温もりがあり、その硬度だけが金属のそれだった。


「座りましたよ姫昏さん。ほら、あなたも座りなさい」


 ぽんとソファを叩く女、ベルティアは逡巡しながらも座った。時雨はその向かい合ったソファにあぐらで座る。彼女はうずうずと貧乏ゆすりをして、


「喜べ。仲間が増えたぞ」


 と、身を乗り出した。


「仲間って、彼?」

「そうだ」


 名乗れ、と目で促される。「ベルティア・姫昏です」


「え、この人お兄さんなんですか?」

「違う。親戚だ。出稼ぎのティレル人で、本家の私を頼ってきたんだ。階級は兵長」

「あの、よろしくお願いします」


 軽く頭をさげると女はこちらこそと握手を求めた。


銅板どうばん橘花きっかです。階級はあなたと同じ兵長です」

「よろしく」


 応じると、気だるいながらも微笑んだ橘花。満足そうに時雨は膝を叩く。しかしベルティアにはまだ疑問しかない。


「ここはどんな部隊なのですか? やけに物々しい執務室ですけど」

「説明もなしに連れて来たんですか? 姫昏さん」

「うん。手続きは終わったし、あとはなんでもいいかなって」

「そんなわけにはいかないでしょう、まったく」


 橘花は備え付けられた黒板へ向かい、チョークを握る。こつこつと打ち付けるように、文字を並べた。


「ホツマにはいくつかの専門職に分けられた部隊があります。花組、月組、雪組なんかがありますが、私たちは遊撃担当の星組で」


 前線に出たり、後方での支援を担当したり、それぞれの得意分野によって分けられているのだが、時雨は態とらしくあくびをする。


「そんなに細かくやるのか?」

「ティレルから来たんでしょう? こういうのはきっちりすべきです」


 座学を受けていないベルティアにはありがたい。軍人としても、騎士としても。


「星組には一から四までの軍団があって、この数字に優劣はありません。ただの順番です」


 ベルティアはメモ帳を取り出した。堂々と敵を調査できると思ったが、これくらいならば誰に聞いても分かりそうである。


「私たちは第一軍団その末端、姫昏小隊として活動しています」

「末端?」

「ええ。軍団長は姫昏夏彦なつひこ大将。我らが隊長は、コネだと思われるのが嫌だそうで」

「私のじい様なんだ。もっと上の階級をあてがわれそうになったが、私の方から断った」


 もしかするとこの部隊は、箱入り娘のように匿われ、大事には使われず、ただそこにあるだけのお飾りではないか。ベルティアはそう考えた。ならば調べ物をするには楽である。危険な仕事もなく、軍団長や血族である時雨の威光であちこちの要所を見物できるのだから。

 凄まじい幸運だ、と自分でも頬の上気を感じた。


「失礼ながら、星組の役割とは」

「遊撃です。挟撃や奇襲、それから他の部隊と一緒に行動したり、斥候も任務の内で、要はなんでも屋です」


 やはりお飾りだ。もし橘花の言が本当ならば人数が少なすぎる。小隊としての存在が危ぶまれるほどに、時雨の部隊は人が足りない。


「失礼ですが、隊員はこれで全員でしょうか」


 念押しするように確かめた。そうだと時雨は言う。


「少ないだろう。だが理由があるんだ。一騎当千が二人もいれば、万事において事足りる」


 自信過剰なのだろうかとも思ったが、ベルティアはすぐにそれを打ち消した。初対面での攻防を簡単に忘れることができない。


「姫昏さんについていける人がいないっていうのもありますね」

「む、聞き捨てならん」

「だって、行動がちょっと突飛っていうか、あんまり計画的じゃないし、やることなすことがほとんどその場の思いつきじゃないですか」


 容赦ない指摘にのけぞる時雨、彼女は外見のイメージだけでかなり損をしているように思われる。


「えー、橘花にはあとで罰を与えるとして、極秘任務を命じられた」

「任務? それより罰ってなんですか」

「ビンタだ。グーでいく」

「そりゃパンチだ」


 橘花は小さく笑った。あまり上下関係にはこだわらない隊なのかもしれない。


「任務には俺も参加するのですか?」

「当然だ。むしろお前が適任かもしれないぞ」

「どういう意味でしょう」


 黒板の前にいた橘花に代わり、まるで教壇に立つ教師のようなかたちで時雨はチョークを走らせる。


「ティレルではどうだか知らんが、焔椎真ほつまは少し緊張状態だ。喧嘩の前の匂いがする、どういうことかわかるか?」


 少尉の階級でもそれを感じとれるのであれば、この国には相当な覚悟があるとみていい。


「開戦……でしょうか。しかしどこと」


 聞かなくてもわかることをあえて聞いた。そんなことは決まっている。

 吐き捨てたくなるような火の匂いと、それでいて喜ばしい戦果のような感触に体がくすぐったくなるも、表情を引き締めた。ある意味ベルティアにとっての戦場はここで、それはもう始まっている。


「神聖ティレル王国」


 ですよね、と橘花が呟いた。


「そうだ。目的は民の安寧、充実した暮らし、あとは諸々の政治的な云々だとかなんだとか、詳しくはわからんが」

「ね、尉官でさえこうなんだから、中途に何を教えるんだって話ですよ」

「あ、あはは」


 想定の範囲内であるが、実際に敵国のど真ん中にいる現実を突きつけられると、この任務の無謀さが浮き彫りになる。外部と一切の接触をとっていないこともあり、なおさらに不安になった。

 しかしそうも言っていられない。とりあえずは流されるだけ流されてみて、隙を見て開戦の意思があることだけでも伝えられれば御の字である。


「さて諸君」

「あなたを含めても三名ですがね」

「今度茶々を入れたら剣を抜くぞ」


 やってみろーと楽しげな橘花。時雨は気を取り直してと一呼吸。


「重大な任務があるんだ」

「さっきも聞いた、と危ない危ない」


 ノリノリな彼女だが、睨まれて首をすくめる。自制はできるらしい。


「我々は、密偵となる」


 ベルティアの心境やいかに。荒れ狂う大海、吹き荒ぶ横殴りの雨、天をも焦がす熱い火柱、それらがごちゃ混ぜになったかのような、とても平常ではいられな心地である。

 ひたいの汗が瞼を縦断する傷に沿って落ち、涙のごとく滑った。騎士である自分が、守るべき故郷へと密偵に出向くのか。それを考えるとめまいを通り越して気絶しそうなほどの衝撃だった。


(主よ、ティレルの神よ、これは一体何の罰でしょう!)


 どうした、暗い顔だ、と時雨の呼びかけにハッとして、すぐに笑みを作った。


「俺のような新米には大役だと、少し動揺しまして」

「あ、わかった。ティレルに行くからベルティアさんのこと引っ張ってきたんでしょ」

「まさか。ただ他所に持っていかれるには惜しいと思ってな」


 心臓は血管をぶち破るほどに激しく収縮と膨張を繰り返し、身体中の熱が行き場をなくして軍服の下を焼いた。呼吸ですら火炎となりそうである。


「惜しいって?」

「私の突きを避けたんだ」


 橘花は驚きに目を丸くし、胡乱なベルティアを眺めた。「この人が?」


「そうだ。おい、何を呆けている」

「えっと、その密偵では誰も傷つきませんよね。俺の家族がいますので」


 さらりと嘘が口をついた。時雨はもちろんと頷く。


「安心しろ。孤児院などには出向かんよ」

「ねえ姫昏さん、具体的には何をするの」

「まだ何も決まってはいない。明日の会議で草組と話し合うんだ、そこで書面に起こす」


 草組とはスパイのことで、隠密に長けた諜報部隊である。ちょうどベルティアが現在しているようなことを主任務としている。


「ふーん、了解でーす。じゃあ解散でいいですか? まだ仕事の途中なんで」

「これも仕事のうちだ、馬鹿者め。解散、と言ったら解散するんだ。はい解散。ベルティア、お前は走れ。夕飯までな」

「了解です」


 そそくさと橘花は出て行った。本当に仕事の途中かどうかは疑わしい。

 ベルティアもそうしようとしたが、尻がソファから微動だにしない。全身の力が抜けていた。


「酷なことをする。そう思うか?」


 時雨は鼻で笑った。


「故郷を裏切るような真似をさせやがって。何が分家だ。姫昏がどうした。そんなところじゃないか?」


 胸にあるのは怒りではなく、パニックと極度の焦燥である。スパイをしてこいと命じられ、その先でも命じられる。奇妙で、そして無情な現実である。

 こちらがすることを相手はしないだろうと勝手に思いこんでいた。ベルティアは考えの甘さに情けないやら恥ずかしいやらで、その上故郷に歯向かうようなことをしようとしているのだからなおのこと辛かった。


「あなたの手足です、どうぞ遠慮なく使ってください。本当に恨み言なんてこれっぽっちもありません」


 しかし彼は騎士としても軍人としても泣き言は言いたくなかった。強がって微笑むと、時雨はからかうように目尻を下げる。


「どうだか」

「少尉の手足が呪詛を吐けばそれは私でしょうが、どうですか? 手のひらや足の裏に口があるような人外には見えませんが」


 このやろうと時雨はまた鼻で笑った。「早く行け」

 ベルティアは老人のように立ち上がり、その背に向けて時雨が声をかけた。


「何でしょう」

「同じ部隊に姫昏が二人では混乱する。これからは私のことを時雨と呼べ」

「は、はい。ではそのように」


 曖昧な返事をしてベルティアは辞した。

 頭に渦巻く任務。どちらにつくかなど明白ではあるが、彼はホツマという国に、わずかながらの愛情を抱いているのも確かで、ここに部下がいればとこれほど願ったこともない。


「あ、手紙を書かないと」


 ようやくそのことに行き着くあたり、彼は相当に参っている。

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