第23話 調薬室。

 扉を開けると、薬草の匂いが通路にまで広がった。部屋の中にいた者達は、アロイス・バーラントと共に突然現れたリリアの姿に呆然となっている。

 ここはベルンシュタイン国の王都シェンドラにある調薬室だ。


「リリア王女殿下、どうぞ中へ」


 アロイス・バーラントがリリアを部屋の中へ誘導する。


「え? 王女殿下?!」


 室内にいた薬師達が驚くのも無理はなかった。王城は広い。同じ城内であっても王族にまみえることは稀なことであった。

 さらに、薬師達はこれほど近くで王女と会うことなど今までなかったのだ。彼らはリリアの美しく可憐な姿にただ目を奪われる。


「ごめんなさい。お仕事を中断させてしまって……」


 大量の薬を作らなくてはならなかった薬師達は、一目で疲労困憊していることが分かる形相をしていた。そんな彼らが手を止めたままリリアを凝視しているのだ。その様子に、邪魔をしてしまったのだと勘違いしたリリアは申し訳なさそうに身を縮こませた。


「ははは。皆貴方様のその美しいお姿に見惚れておるのですよ」

「え? そんな……」


 リリアは顔を赤らめると、両手で頬を押さえた。そんなリリアの耳に、部屋の奥で扉が開く音が聞こえてきた。


「リリア王女殿下?」


 薬草の貯蔵室から出て来たシャイルが、調薬室に居るリリアの姿を目敏く見つけ、酷く驚いた表情でリリアの名前を呼んだ。

 だが、シャイルの声を消し去るほどの大声でアロイスがシャイルへ声を掛ける。


「シャイル! 君の薬が良く効いている! 陛下の容態は落ち着かれた。もう大丈夫だ。礼を言うよ」


 室内にアロイスの嬉々とした明るい声が響き、みなが心から安堵する気配が感じられた。ひとまず最大の危機は乗り越えられたのだ。


「礼を言われるようなことはしておりませんよ。すべては師であるウォルター・バーラントの類まれな知識と、アロイス先生のお力があってのことです」

「口の上手い奴だ。……だが、私もウォルター殿には直接ご教授いただきたかった……」


 とても残念そうに肩を落とすアロイスからシャイルはリリアへ視線を移す。そのもの言いたげな眼差しを受け、リリアは強い意志を感じさせる目でまっすぐに見返した。


「薬を作るお手伝いに来ました」

「なりません。すぐに陛下のお傍へ戻りください。ここは貴女様のような方が来られる所ではありません」


 ぴしゃりと撥ねつけるようなあまりに冷たいシャイルの対応に、アロイスが慌てて割って入る。


「王女殿下には薬草の知識がおありなのだ。さらに、御自ら薬の調合を手伝うと仰ってくださっている。今、我が国の者達は聞いたこともない疫病に皆ひどく不安になっている。だが、精霊の乙女と同じ瞳を持つ王女殿下が作ってくださった薬だと知れば、誰もが安心することだろう。だから、有難くお願いすることにしたのだ」


 笑顔で説明をするアロイスとは対照的に、シャイルの表情は険しくなるばかりだった。


「……今この病が、どこまで蔓延しているか分かりません。ですが、この混乱の中、使者に託した薬が正しく服用される保証はありません。さらに違う病に投与されるなど、きっと問題は起こるでしょう。もし薬を飲んだあと誰かが亡くなった時、王女殿下が作ったとされる薬が原因なのだと騒ぎが起これば、どうなさるおつもりなのですか?」


 落ち着いた静かな口調でシャイルは話している。人を説き伏せる時のシャイルの声だった。

 だが、その手は強く握りしめられている。きっと感情を押さえ込んでいるのだ。


「そ、それは……」


 返答に窮するアロイスからシャイルは再びリリアへ視線を戻した。

 だが、リリアは陰りのない眼差しのままシャイルを見返す。シャイルが懸念していることをすでにリリアは覚悟していたのだ。視線を逸らすことなく、澄んだ瞳をシャイルに向ける。


「初めから、シャイルがその責任を一人で背負うつもりだったのでしょう?」


 シャイルの目が微かに細められた。長く共に暮らしていたからこそ分かるシャイルのほんの僅かな動揺。それこそが答えだった。シャイルの考えそうなことはリリアには分かってしまう。そしてその逆も。

 リリアは困惑するアロイスに向き直る。


「先生。お話ししたとおり、私が携わった薬だと明言して各地へ薬を届けてください。もちろん眠り病の症状や薬の投与について詳しく書いた手紙を私の署名で書くつもりでいます。もし、不安なまま薬を飲まない人がいればこの病が広がるのを止めることはできません。きっとお義父様も同じことをされたでしょう。それに、」

「リリア!」


 とうとうシャイルは耐え切れなかったのか、敬称を付ける事も忘れてリリアの名を叫んだ。それ以上話そうとするリリアを遮る。

 重い空気が室内を覆う。


「……あの、我々が使者の方に付き添って各地へ赴けば、誤飲や誤診を防げるのではないでしょうか?」


 おずおずとだが5人いる薬師の一人が自分の考えを口にすれば、堰を切ったように全員が自らの考えを口にし始めた。


「そ、そうです。この城でもすでに他の医師の方々へ伝達した要領で各地の医師達に我々がこの病について直接伝授すれば、さらに対応できる者が増えるということにもなります」

「それに、もし薬が足りなくなってもそこで作ることもできます」


 ここにいる者達はただ黙り込んでいたのではなかった。必死で自分達が出来ることを考えていたのだ。


「私としたことが、……陛下が回復へ向かわれたので事の重大性を失念しておりました。王女殿下、ここにいる者達が申すとおり、彼らに各地へ向かわせましょう。薬師とはいえ、彼らもバーラント家に名を連ねる者達。私の傍らで医術について学んできた者達です」

「みなさん……」


 リリアは澄んだ大きな目をさらに見開く。


「あ、ありがとう、ありがとうございます! みなさんが直接行っていただけるならそれ以上に心強いことはありません!」


 当然のように頭を下げた王女の姿に、薬師達は戸惑う。

 そして、胸に両手を当てて涙ぐみながら感謝の言葉を口にして喜ぶ姿は、普通の娘となんら変わりはなかった。

 そこで皆ははっと気づいた。

 王女はほんの少し前にこの国の王シュティルの養女になったばかりだった。彼女の素性は明かされてはいないが、おそらく王位など関係のないところで育ったのではないかと感じられたのだ。

 そんな娘が突然国の存亡を左右する事態に直面させられ、ただ必死で立ち向かおうとしている。その姿に何も感じない者はここには誰一人としていなかった。

 彼らの中には、医師を養成する学校を作っている王女に対し、医師を輩出しているバーラント家に対する冒涜だと不満に思っていた者もいた。

 だが、今では自分達の王女のために。

 いや、この小さな体でこの国のために身を挺する翠緑色の瞳を持つ少女のために、何かをせずにはいられなくなっていた。


「王女殿下、この危機をなんとしても乗り越えましょう」

「ベルンシュタイン国はこの国に住まう者みんなの国なのですから、お一人で頑張ろうとなさらないでください」

「──はい」


 心を震わせながら答えたリリアは、えも言われぬ笑顔を見せた。一時の間、みな息を吸うのを忘れ、その美しく儚げな笑顔に見惚れた。

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