あの日を思い


 気が付くと、アイ、エルト、マウサの三人がそろってバッシュを見ていた。


 この突き刺さるような空気には、覚えがあった。天魔宮で繰り広げられた『バッシュを詰める会』――バッシュ命名――のそれだ。


「俺ちょっと、食べる物を取ってくる――」

「バッシュ様」


 エルトが微笑み、やんわりと、しかし絶対に反論を許さない声音で言う。


「給仕の方がいらっしゃるそうですので。座ってお待ちくださいませ?」

「あ……はい……」

「そう言えばわたし、ずっと気になってたんだけど」


 バッシュではなくエルトを見て、アイが言った。


「エルトちゃん、ひょっとして――魔王さんのこと、知ってた?」


 ぎくっとエルトの肩が強張った。バッシュはあわてて、


「違うんだ、アイ。エルトはたまたま――」

「バッシュ」


 温度の消えた声が、バッシュを制する。アイはにっこり笑って、


「ごめんね? 今、エルトちゃんに訊いてるからね?」

「あ……はい……」

「ほら、天魔宮で――バッシュが魔王さんの手をねっとり握ったとき、エルトちゃんだけは何か、『やっぱり』みたいな顔をしてたなって」

「……ごめんなさい。アイさん、マウサ様」


 エルトはしょんぼりとして、言い訳もせず、謝った。


「旅の途中……バッシュ様が天魔王と密会している現場を見たことがあって」

「や、あの、エルトさん? 密会って表現は外聞が……」

「バッシュ、黙って。じゃあ、エルトちゃんは魔王さんを知ってたの? バッシュがいちゃいちゃしてる現場を抑えてたのに、隠してたってこと?」


 アイは珍しく責めるような口調になった。

 エルトは恐縮し、小さな体をますます小さくする。


「す、すみません……! わたし、バッシュ様に口止めをされて……『俺とエルト、二人だけの秘密だよ』って」

「ふ、ふーん! そうなんだ……!」


 アイがバッシュを横目でにらむ。バッシュはそんな悪い男のような言い方はしなかったのだが、大意はその通りであるため、反論はしなかった。『無口なケメルは射られない』――アフランサのことわざである。


「でもね、エルトちゃん。もしもそのとき、わたしたちに相談してくれてたら」

「そうよ、エルト。きっと結果は変わっていたわ」


 マウサもアイの言に乗る。しかし――


「……皆さんだって、マウサ様がバッシュ様のお養母かあ様だってこと、教えてくださらなかったじゃないですか?」


 こちらも珍しく、エルトはすねた口調で反撃した。


 元来が素直で『いい子』なだけに、余計に怖い。溜め込んだ鬱憤のようなものを感じ、アイもマウサも、ついでにバッシュも、じっとりと冷や汗をかく。


 エルトは視線を落とし、自分の手元、器の中の乳清を哀しげに見つめた。


「わたし、ずっと……さみしかったです……。皆さん、ほのめかすばかりで……いつも、わたしだけが輪に入れなくて……」

「ご、ごめんねエルトちゃん……! そういうつもりじゃなかったんだけど……!」

「ですから、おあいこ、ですよね?」


 笑顔で言われ、アイはしおらしく「はい……」と応えた。


 マウサも分が悪いと思ったようで、その件にはもう触れず、


「天魔王とのいきさつなんて、今さら言っても詮がないわ。重要なのは、私はそんな婚約を認めてないってこと」

「ええっ!? そりゃないですよ、お師匠!」

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