美酒に酔い
1
「勇者バッシュの帰還を祝してぇ……冠、杯っ!」
というアイの音頭に合わせ、一斉に酒杯が掲げられた。
ひたいに当てるように、それぞれの器を捧げ持つ――それが『冠』杯という風習で、神への感謝や祈念をあらわし、戦勝会はもちろん出陣式などでも行われる。
皆が自分の杯をあおり、ぐびりぐびりと喉を鳴らす。やがて満足げな歓声があがり、楽師がサーヴェ琴の演奏を始めると、一気にどんちゃん騒ぎになった。
雨夏の晴れ間の昼食時。街道沿いの大きな酒場で、大宴会が催されている。
店の中は騎士や町人たちで既に満杯。往来にまで卓が出され、店からはみ出した者たちが、無料で供される酒に群がっていた。
その二階――吹き抜けから階下が、窓からは街道が見下ろせる席で、バッシュは乳酒を舐めていた。
正直、居心地が悪い。持ち上げられるのは苦手だし、人々の期待を裏切ったという負い目がある。生還祝いなんて、身内のみで済ませたかったのだが……。
そうした消極的意見を、アイは頑として認めなかった。
巨人騒動、バッシュ捜索ときて、騎士にも近隣住民にも負担を強いた。
補償や手当てはもちろんとして、まずは市井に十分な金を落とすべき――というのが王女アイメリウの主張だ。
人気取りと言ってしまえばそれまでだが、実際にアイが騎士にも町民にも慕われているところを見ると、上に立つ者には必要な感覚なのだろう。
そのアイが、ぐいっと豪快に赤酒――赤ジェリの液果で作る酒――を呑む。
そして、「うぅ……っ」と唐突に泣き出した。
ものも言わず、さめざめと泣く。彼女らしからぬ姿を見て、となりのエルトが動転した。あわててアイに膝を寄せ、その顔をのぞき込む。
「アイさん!? ど、どうかしましたかっ?」
「えへ、ちょっと……思い出しちゃって。旅に出るとき、バッシュと二人で冠杯したなって……」
勇者の旅立ちはいつも、夜逃げのようになる。
聖剣を得る前の勇者が、魔族の標的にならないためだ。
聖典の記述では、勇者が軍を率いた例もある。が、軍隊は人員が増えるほどに機動力を失う。大陸各地の危機を救いつつ、天魔王を強襲する――という〈大いなる探索〉の性質を考えれば、騎馬中隊くらいが理想なのだが、その人数では結局、魔界の大貴族には歯が立たない。むしろ、味方を護って戦う勇者の負担が増す。
よって近代、勇者の道連れは聖痕を持つ超人に限られていた。
バッシュがアフランサを発ったとき、道連れとなったのはアイだけ。正体を隠しての出発であるから、見送りなども存在しない。
国王が離宮に忍んできての、密やかな出陣式の後。
旅の無事を願い、バッシュとアイは二人だけで杯を掲げた。
「あのときはね、わたしか、バッシュか――ひょっとしたら二人とも死んじゃうのかなって思った。でも、こうやってアフランサに戻れて……仲間も増えて――こんなふうにみんなでお祝いできるのが、すごく嬉しい!」
不覚にも、バッシュはじんときた。
アイの言う通りだ。こんな日が来て、心から嬉しい。
「ここのところ、ずっと不安だったの。このまま、みんなバラバラになっちゃって……もう一緒にいられなくなるのかなって……」
エルトも、マウサも、それぞれにアイの言葉を噛みしめる。
この王都に戻ってからというもの、こうして四人がそろうことはなかった。
マウサはアフランサを離れていたし、エルトは大聖堂にこもりきり。アイも王女の身分に戻り、報告やら折衝やら事後処理やらで忙しかった。
それも、これも――
「誰かさんが、魔王と結婚するとか言い出したせいだよね?」
しん、といきなり空気が冷えた。
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