1-3 三番機

 黒がにじんだ青の空。

 飛行機雲が、東の空へと果てなく延びる。


 細い航跡が幾重いくえにも重なり合い、一本の河となって天を流れた。


 どこまでも続く白の貫流かんりゅうは今、その形を変えつつあった――。





 爆撃機の群れが動き出す。

 小さく翼を傾けて、白い機体が空をかける。


 彼らが描く軌跡の先は、先頭をく大隊長機の右側に向けられた。

 数機ずつ移動し、横へ横へと並んで列を成す。

 次々に後続も加わると、小さな並びは大きな列へと姿を変えた。


 見慣れたV字陣形が徐々に消え、そこに現れたのは大きな横一文字であった。

 

 全幅500m。長大な一列横隊おうたいに、もう一度変化が訪れる。列の右翼が速度を落とし、左翼が前方に突き出ていく。


 ――斜線しゃせん陣。


 雲海の上に描かれ始める、左斜めの一本線。

 陣形の完成を目指し、爆撃機たちの動きは続く。


 だが、皆が軽やかに飛ぶ中にあって、かたくなに針路を守る大隊長機は微動だにしない。

 不動の大隊長機を中心に、26機の白い機体が舞うように飛ぶ。

 時には互いの翼を重ね合わせる程に近づき――やがてゆるやかに離れていく。


 決して触れ合うことのない彼らの舞踏は、雲海を舞台に静かに続いた――。




 空中で組まれる陣形には多くの種類があり、作戦や状況によって姿を変えていく。必要に応じて編成内容すらも変容へんようする陣形中にも、一つだけ変わらないものが存在する。


 それは「小隊」という小さなグループだ。

 

 爆撃機は三機を一つの小隊として、常に行動を共にする。

 小隊は航空機の編成規模グループとしては最も小さく、それ故に強固な結束が求められた。

 

 もし、三機で構成されていない爆撃機小隊があるなら、理由は主に二つ。何かしらの理由で墜落したか、または共に行動できない程のが発生したか、だ。


 空を飛ぶ航空機が一斉に動く陣形変換は、空中衝突のリスクをはらむ行為でもある。戦闘に次ぐ危険な状況下で、は既に起きていた。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「そこの機、隊列を乱すな!」


 斜線陣の完成が目前に迫る中、無線から流れたのは大隊長の声だった。感情を隠そうとしない声色こわいろは明らかな苛立ちを帯びている。


「一時、隊内の通信を許可する」

「――こちら大隊長より上空飛行中の機へ。貴様、どこの小隊だ。所属は?」 


 その言葉は、所在なさげに編隊上空をで漂う爆撃機に向けられた。


 無線通信は交信の度に電波を出し、己の存在と位置を敵に露呈ろていさせる可能性がある危険行為だ。これをよく知る大隊長が、わざわざ無線封鎖を解除したうえでの通信に全機のパイロットたちは身を固くする。

 

「――――」

 

 無線から応答はない。


 押し黙った編隊に、プロペラが風を切る音だけが重々しく響き渡る。

 五秒、十秒――どれだけ秒針が時を刻んだのか。時間の感覚が雲の中に沈むように薄れていく。

 先とは違う色の緊張が漂い始めたその時、通信に音声が飛び込んだ。


「す……すみませんっ! こちら第三中隊第三小隊三番機

 ――ユモ一等兵です!」


 がさがさと鼓膜を引っくノイズの後に続いたのは、すずが転がるような――慌てた女の声だった。

 

「またお前か……3-3-3! さっきもフラフラしていたな……。またいつものトリム調整で手間取ったのだろう!」

 ぐうの音も出ないほどの的確な大隊長の指摘に、ユモ一等兵は思わず身体からだを小さくする。

「――貴様、保護者はどうした!?」

「保護者ですか……? えっと、母は元気ですが、父は――」

「馬鹿者! この状況でお前の親御さんの事を聞く人間がいるか! お前の小隊長保護者は何処かと聞いているんだッ!」


 爆撃機隊に属するものならどこか馴染みのあるこの光景は、陸でも空でも、訓練中でも――実戦を迎えた今日という日でも健在であった。


「小隊長は――陣形変換中に見失いました……」


 誰がどう聞いてもしゅん……とうなだれる様子しか浮かばない声に大隊長はわずかに当惑しながらも、その胸中を悟られぬよう瞬時に心を立て直す。こんな事で思考を揺さぶられる精神の持ち主なら、彼は大隊長の座には居ない。


 命令は上から下へと文字通り《くだる》が、その一方で責任の所在は下から上へと順に《う》のがこの国の軍隊が持つおきてであった。

 そして大隊長は掟に対して、鉄のように忠実だった。 


「第三中隊、第三小隊長――!」

 責任の所在小隊長を叫んだところで、慌てた通信が割って入る。

「こ、こちら第三中隊三小隊長のカール軍曹です!」


 まだ若く、明瞭で力強い青年のような声が緊張を抱えて甲走かんばしる。これぞ、大隊長が待っていた声であった。


「カール! 貴様のフロイラインお嬢さんが空でお待ちだぞ。いや、シュヴェスタ妹さんか。いずれにしろ女性を独りにさせるな。例えおかでも、それが新米なら尚更なおさらだ!」


「はッ――! 申し訳ありません……!」

 軍曹の迅速な謝罪は功をそうさず、大隊長の言葉は続いた。


「カール軍曹、空で部下を預かる小隊長に最も大切なことは、何か?」 


 彼は一瞬戸惑うも、大隊長が求める答えを即座に導き出し、苦虫を噛み潰したような顔で無線の送信ボタンを押し込む。


「……僚機りょうきから目を離さず、全員で任務にあたり、皆で生きて地上に戻ること……です」


 口ごもりながらも自分の非を認める若い小隊長の言葉を、大隊長は一言一句噛みしめる様に確認した。


「よろしい。では、実行しろ。まだ作戦空域外だが、時間はない」

「了解。直ちに実行します――!」


「こちらカール軍曹、三番機、応答せよ――」


 僚機を本来の位置に誘導しようと、三番機ユモに呼び掛ける。だが、耳に飛び込んできた返答に彼は唖然あぜんとした。


「こちら三番機です。どうぞ――」

「こちら三番機。お呼びですか小隊長どの」

「こちら三番機! 軍曹、ユモが泣いてますよ!」

「こちら三番機、感動の再会にお招きですか?」

「こちら三番機――いつもそっちは楽しそうだなぁ」

「こちら三番機……このままユモはウチが頂くぞ」

「こちら三番機。私も連れ帰って下さい!」

「こちら三番機、軍曹、頑張って!」

 

 別の中隊、異なる小隊の《三番機》が次々と応答し、それぞれの言葉で茶化す彼らにカールとユモは顔のすべてを真っ赤に染める。


「――お前ら……うるっさぁ――――い!!」


 カールは身にまとわりつく恥ずかしさを吹き飛ばすように一喝いっかつし、三番機達に会話から弾き出される形になったユモは、空に消え入りそうな声を漏らして手で顔をおおう。


 彼は激昂げっこうした感情を素早く胸の奥底に押し込めて、スロットルレバーをそっと前へと押す。

 高度5000mの空間を満たす希薄で冷たい大気と、燃料噴霧ふんむを胸いっぱいに吸い込んだエンジンが咆哮を上げる。

 それは乗る者の心底しんていを代弁するかのように、轟音となって空に響く。


 機速に乗って斜線陣から飛び出したカールは、機体を鋭く上昇させる。


 その先に待つのは、陸軍砲兵航空隊・第一攻撃大隊・第三中隊・第三小隊―—三番機。

 

 「小隊長――! 何処ですかあぁぁああ!!」


 皆から《ぽんこつパイロット》と呼ばれる彼女は、緊張と羞恥の只中にあった。

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