第15話
俺がホットの麦茶を持って部屋に入ると、まさみは上半身をベッドの上に起こして、可動式のベッドテーブルに載せたノートパソコンと向かい合っていた。
「ほらまさみ、お茶を淹れたから休憩しよう」
「ありがとう晶くん、でもちょっとだけ……」
無言でパソコンを脇へ動かし、そこへカップを置くと、まさみは渋々ながら手を止めた。
「もうきょうはそのくらいにしておいた方がいいなじゃないか?」
「大丈夫。きょうはここ1週間で一番体調がいいんだから。もう少しくらいやれる」
カップを取るまさみの手は脂気を失いガサガサ、麦茶を啜るとただでさえ削げた頬がさらに口内の空間へと引き込まれる。
俺は心中で溜め息をついた。
ここ1ヶ月、まさみは体調を崩して寝たり起きたりを繰り返している。
医者の見立てでは、原因は過労とストレス。俺と共にSFに対する無理解と戦い続けた結果がこれだ。かてて加えて社内でも、ヒット作を連発して急に出世した彼女をやっかむ声があるらしい。
医者も俺も、口を酸っぱくして入院を勧めた。しかしまさみは病院では仕事ができなくなるからと自宅(というか俺の家)療養を選択、テレワークを続けている。
「なあ」俺は言った。「ひとつ提案があるんだが」
「何」
まさみは休憩と言いながら、左手でカップを持ちつつ右手でマウスを操作している。パソコンの画面ではSNSがスクロールされていく。時折手が止まるのは、決まってSFの悪評が書かれているところでだ。よく直視できるものだ。俺など、その手の投稿を目にするたびライフがごっそり削られるので、最近は見ないようにしているのに。
「ここいらで休まないか。俺も、まさみもだ」
「休憩だったら、いましているじゃない」
「そういうことじゃない。SFの仕事自体をしばらく止めようと言ってるんだ。このままじゃ体が持たないだろう」実はまさみには隠していたが、俺もストレス性の胃潰瘍と診断されていた。
「ダメよ」彼女の返事はにべもなかった。「私と晶くんで、せっかくここまでSFという新しいジャンルを定着させかったんだもの。ここで私たちが沈黙してしまったら、SFを攻撃している連中の言い分が正しいと認めるのと一緒よ。そんなの、できるわけないじゃない」
「しかし――」
「じゃあ晶くんは、SFが否定されていいの? 自分の頭の中から生み出された作品が他人によって否定されようとしてるんだよ? くやしくないの?」
俺は返事に詰まった。まさみの病人とは思えない語気に圧倒されたからではない。彼女の人生を変えてしまったという事実の重さに押しつぶされそうになったからだ。
まさみは、いまや俺以上にSFにのめり込んでいる。もしも俺がSFなんて書かなかったら、こんな風に同棲することもなく、また体調を崩すこともなかった。それをいまさら、あれは他人の書いたものですから俺のせいではありません、全部チャラにしましょう、などと言い出せるか?
まったく、人間は自分の行為に対してどこまで責任が取れるものなんだろう?
ベッドの中での会話を思い出す。しかしまさみは、あれがまさか本当のことだとは夢にも思っていないのだろう。まあ、そりゃ当然か。それこそSFみたいな話だものな。
「ね、何これ?」
まさみが急に声を上げた。信じられないものを見たという驚きと怒りが溢れている。
パソコンを覗き込んだ俺も絶句した。SNSでは、鈴沼植は他人の作品を盗作しているという噂が急速に拡散しつつある。
噂の元を辿っていくと、小説投稿サイトにある、ひとつの作品へと行き着いた。
そのタイトルを見て、俺は息を呑んだ。
ピーター・K・ドナルドスンの代表作に『高い塔の男』というのがある。
第1次世界大戦で連合国が敗北し、ドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国に分割占領されたイギリスが舞台となる改変歴史ものだ。
ところが作中では、大戦で連合国側が勝利したという設定の小説が地下出版されている。その小説のタイトルとしてPKDが命名したものと、投稿されている作品のタイトルがまさに同じなのだ。
そのタイトルとは――『コメツキバッタ身重く横たわる』。
作品の中では、元いた世界でのSFの歴史が詳しく述べられ、俺はそこにあったいくつかの作品を丸写ししたに過ぎないと告発されていた。
そして作者の名は――高塔住子。
「この高塔住子って何者なの? 会社の弁護士に話して、こんなのをアップさせたサイトともども名誉毀損で訴えてやるんだから!」
「落ち着け。そんなに激高したら余計に体調が悪くなる」
まさみをなだめる俺の胸には、しかしこの高塔住子なる人物の正体について確信があった。かつてこの本を無理矢理読ませた相手がいたのだ。
この世界に転生したのは俺ひとりだと誰が決めた?
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