第10話:虐待が子供を壊す ①
今は“しつけ”と“虐待”の境界線が曖昧になっていることもあり、見えない虐待が増加している。
例えば、子供たちに言葉で虐待をするケースや服で隠れる場所に傷や跡などを付けて、周囲から見えないようにすることや無理矢理痛み止めのような痛みを感じないもしくは和らげる薬を飲ませて、痛がらないようにするなど家庭と社会とのだまし合いのような状態になっている事を聞いたことがある。
しかも、子供の年齢や状態・状況によって虐待の形が異なっている事やこれまでの積み重ねで我慢する事を覚えてしまうと子供たちから相談することもなくなるため、手遅れになることや自責心理が次第に大きくなっていき、最終的には起きる事全て自分が悪いという拡大解釈が進んでしまう可能性があるのだ。
私は虐待にも大きく分けて3パターンあると思っている。
それは①親などの親族起因・②教員などの個別主観起因・③塾など外部教育機関等起因などシングルファクター型とマルチファクター型が混在しているように感じるのだ。
これは私が学生の頃に体験・経験した事だが、今でも忘れられないことがある。
それは“○○君は頭が良いのだから○○に行きなよ!せっかく良い頭持っているのだからもったいない”という言葉を友達にかけていた先生がいたという。
その先生は本人の事を思って発言したのだと思うが、本人としては別の志望校があり、そこに進学する事はすでに先生に伝えていた。
このやり取りを聞いていて、もしかして?と思ったことがあった。
それは、“この子を利用して、自分の評価を上げようとしているのではないか?”ということだった。
本人が行きたい学校は一般的な中学校に比べるとレベルは少し上だが、先生が提案してきたという学校は全国に名が知れているような学校で、全国から優秀な生徒が集まる学校だという。
その後も、違う学校に通う人の書き込みやネット上に書かれていた内容を総合して見ていくと、学校差・個人差はあるものの、”学校の学習成績が良い“生徒や”模試の成績が良い“生徒に対して自分たちに有利になるように受験を提案し、実際にその学校に入学させることで翌年以降の入学生にむけて”この学校に来るとここにも行けるよ“というアピール材料になる。
そして、そのアピールを出来る学校作りをすることで上を目指している子供たちの引き留めにも繋がっていく事にもなる。
ただ、このような価値観を全面に出しすぎることで子供たちの認識にズレが出来てしまう可能性や学内競争が激化し、内部分裂が起きる事も考えられる。
今は学校の統廃合が進み、生徒の進学先選択の幅が広がっている印象が強く、公立校と私立校の生徒争奪戦に発展することも少なくない。
そのため、良い生徒を特待生などであらかじめ囲い込んで、他校に流れないようにすることもしばしば起きているという話を耳にすることもあり、この社会が“イメージ”や“実績”を重視している事が目に見える形で表れている。
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