第14話

「きみ、さては玄関に細工したね? とんでもない近衛士官だ」


 苦笑する樹に海里は申し訳ていどに頭を下げる。


「それできみは?」


 大地を見て問いかけると彼も海里と同じ礼を取り、姿勢を正すと名乗った。


「皇帝陛下直属の近衛士官、大地と申します。海里は私の兄であり、同時に上官でもあります」


「彼が兄?」


 怪訝そうな顔をされたので、海里は渋々打ち明けた。


「双生児なんです。よくわたしのほうが年下に見られますが」


「だろうね。どう見ても外見、入れ代ってるよ、きみたち」


 感心されて海里は苦い顔、大地は困った顔である。


「座ってくれるかい? 立ったまま説明を受けるのは首が疲れるから」


「「はい」」


 うなずくと海里が樹の正面に座り、大地もその隣に陣取った。


「わたしたちが地球に来訪したのは、もう17年も前になります」


「17年前? でも、きみたちの外見は……」


「これは時の流れが障害にならないように、皇帝陛下に永久的な術がかけられたからです。

 17年前にわたしたちは皇族の方々と同じ成長になりました。ですから17年が過ぎていても外見は変わっていないのです」


「17年も前から故郷の者に干渉されていたとは思わなかったよ」


「紫苑さまが亡くなられたとき、本当は陛下は皇子を連れ戻そうとなさったのです。

 ですが皇子は行方を消されていて、陛下が見つけ出される前に、皇子はお生命を落とされていました」


「その頃のことはいい。それで?」


 短く告げる樹に亡くなる頃に対する拘りが見える。


 部落の者との確執も彼は憶えているのかもしれない。


「陛下は嘆き悲しまれ、今度おふたりが生まれ変わってきたときには、必ず護り抜くと誓われました」


「今度ぼくらが生まれ変わってきたとき?」


 怪訝そうな樹に海里は口許だけで微笑んだ。


「紫苑さまは星の継承者です。たとえ崩御されても星が消えるわけではありません。紫苑さまの転生は崩御の瞬間から課された義務でした」


「紫苑が……転生する……」


 そうして樹がハッとしたように遠夜のいる部屋のほうを振り向いた。


 まさかと疑う色が浮かんでいる。


「きみは海里と言ったね」


「はい」


「海里。きみが遠夜の担任になったのは、ぼくに近づくためだけかい?」


「その前にこれをお話しなければならないでしょう。大地は惺夜さまの守護を任としております」


「きみがぼくの?」


 コクンと頷く大地に樹は彼が無口なタイプだと見てとった。


 挨拶のときを除けば一言も喋っていない。


 説明をしているのも海里だけで、大地はなにも言っていない。


 おそらく不器用で無口なタイプなのだろう。


「じゃあきみの任務は?」


「わたしの任務は……紫苑さまの御身を護り抜くことです」


「紫苑の……」


「ですから遠夜さまの身辺に近づきました」


「それは……どういう意味だい?」


「遠夜さまが紫苑さまの化身だと申し上げました」


 その言葉を噛みしめるように樹は目を閉じる。


 遠夜が紫苑。


 ずっと疑問を抱いて彼を見ていた。


 その答えがやっと見つかったのだ。


 彼こそが紫苑なのだと。


「でも、彼には……」


「はい。紫苑さまには記憶も自覚もありません」


「彼は昔から泣きながら飛び起きる夢を見るらしいよ」


「夢……ですか」


「内容は憶えてないらしいけど、もしかしたらそれが……」


「そうかもしれません。ですが憶えていない以上、それは意味を持ちません。なんとか記憶を取り戻していただいて、自覚していただく方法を探しているのですが」


「難しいね、これだけは」


「はい」


 深層心理の問題なのだ。


 紫苑が記憶を取り戻せないのには深層心理的な問題があるのである。


 海里はその理由を知っている。


 いや。推測していると言うべきだろうか。


 おそらく水樹だ。


 前世で実の兄を手にかけたから、それがトラウマとなって記憶を取り戻せずにいるのだろう。


 おそらく泣きながら飛び起きる夢にも関係しているはずだ。


 彼の記憶は思い出したくない想い出で占められている。


「でも、考えてみれば変だね」


「なにがでしょう?」


「ぼくは産まれたときから惺夜としての記憶があった。身体の構造の問題で赤ん坊のころは喋れなかったが、それがなかったら赤ん坊のころから普通じゃなかったと思うよ。どうして遠夜は違うんだろう」


 自分に問いかけているような感じだった。


 これに対する答えを海里は持っていたが今の樹には言えなかった。


 樹は水樹の正体を知らないのだから。


 だから、さりげなく話題をかえた。


「お話がすこしかわるのですが」


「なんだい?」


「伊集院家が不穏な動きを見せています」


「伊集院が?」


「義信の命令で現在、静也がこの街に滞在しているとか。これは大地が掴んできた情報なのですが」


「静也が……」


「狙いはおそらく遠夜さまでしょう。どこかでバレたのかもしれません。遠夜さまのお姿が皇子に似ていることが」


「それしか理由としてはないだろうね。ぼくを見かけたくらいでは静也は動かないだろうし」


 樹が重要視されていないというわけではない。


 樹を見かけたくらいで動いても、連れ戻せないと知っているということだ。


 それでも動いたということは、そこに他の理由がなければならない。


 2年前ならそれほど心配しなかった。


 遠夜は樹に似ていなかったから。


 だが、この2年で遠夜はどんどん樹に似てきた。


 それは彼の素性を疑わせてしまう。


 樹は紛れもなく一条よりの顔立ちなので。


「紫苑さまの御身をお護りするために、もう甘いことは言っていられません。そこで皇子にお願いがあるのですが」


「なにかな?」


「我々ふたりをこのマンションに住まわせていただけないでしょうか」


「それは家は余るほどあるから、構わないと言えば構わないけど、ずいぶん唐突だね」


「大地から皇子に近づくのが難しいと言われていましたし、わたしとしましても紫苑さまの御身をお護りするために、もっと近づく必要があると思っておりましたので」


「たしかに今のまま普通の担任と生徒では護りにくいだろうね。もっと個人的に親しくなる必要もあるだろう」


「はい」


 一言だけ答える海里に樹は小さく笑った。


「いいよ。この5階にある家を使ったらいい。なんだったら個人で別々の家を使用してもいいしね」


「別々に樹を賜っても不便なだけですので、我々は同じ家で構いません。

 皇子。紫苑さまはわたしのことは、ただの担任だとしか認識されていらっしゃいません。

 ですから真実を告げるまで不敬罪な態度もとるかと思いますがご了承ください」


「それはわかっているよ。なにも知らない遠夜にいきなり故郷の話なんて出せないからね。それにしても大地だっけ?」


 いきなり名を呼ばれ、大地の身が強ばる。


 相変わらず不器用な弟に海里は呆れ顔である。


「見事なくらい無口だね。あんまり喋らない方なのかな?」


「大地は不器用、無愛想、口下手と三拍子揃っていますので」


 困り果てた言い訳に樹はおかしそうに笑う。


 全く。対照的な兄弟だ。


 遠夜が紫苑である。


 疑ってはいても確信は持てなかったことに、答えをくれたふたりを樹に疑えというのは酷である。


 樹は惺夜だった頃のまま紫苑至上主義なのだ。


 それでふたりを疑えと望むのは無理があった。


 皇帝が言った通り、世継ぎに対して忠誠を見せる自分たちを、すぐに信じてくれた樹に海里も大地も複雑な気分だった。


 世継ぎの君に対して不敬罪な態度をとっていたら、今頃全く逆の事態になっていただろう。


 本当に皇子は護る者なのだ。


 継承者を護る守護者なのである。


 遠い昔から変わることなく。





「あれ? なんかいい匂いがする」


 仮眠を取って目覚めると、いつもはしない匂いがした。


 これは味噌汁だろうか。


 お味噌汁のいい匂いがする。


 樹には日常生活能力は全くないはずなのに、どうなっているんだろう?


 着替えてキッチンに行くと海里がいた。


 なにやら鍋から掬い出して味見をしている。


 それから遠夜の方を振り向いた。


「起きたのかい、遠夜くん?」


「海里先生。他人ん家のキッチンでなにやってるんだ?」


「きみのお兄さんに気に入ってもらえてね。双生児の弟とふたりで、マンションに住む許可をもらったんだ。

 それで夕食を作ってるところだよ。今日はお味噌汁とお刺身なんだけど。よかったかな?」


「へ? 一緒に暮らすことになった?」


「うん。まあね」


 言いながら小皿を差し出された。


 どうやら味見をしろと言いたいらしい。


 なんとなく勢いに飲まれて受け取って一口口に含んだ。


「あれ? 美味しい。おれの好みの味だ」


「そう? よかったよ。薄味が好みなのか、濃い味が好みなのかわからなくて、とりあえずぼくの好みで作ってみたんだけど」


「豚汁?」


「うん。具材がたくさんあったからね」


「いい味出てる」


 笑ってもう一口飲んだ。


 本当に好みの味だった。


 これなら樹も気に入るだろう。


 樹が飲んだことのある味噌汁は、すべて遠夜の手料理なので、遠夜の味以外は知らないのだ。


 本宅にいた頃は基本的に洋食系で和食は出なかったらしい。


 だから、初めて味噌汁を作ったときは、かなり感激していた。


 噂でしか聞いたことがなかったらしいので。


 海里の手元を見ると刺身を切っているところらしかった。


 マグロにハマチ、甘エビやイカ、タコに鯛などが所狭しと乗っている。


 それでも慌てていないところを見ると、海里は普段から料理をしていたのかもしれない。


「樹……刺身食べれたっけ?」


 味噌汁のときは大抵、コロッケやトンカツ系だったような気がする。


 初めて作ったときに刺身にしようとすると、樹が食べたことがないと言ったのだ。


 抵抗があるようだったので避けた。


 それから刺身は食卓に乗ったことがない。


 遠夜は好みだったので、ちょっと物寂しかったが。


「お兄さん、苦手なのかな?」


「たしか食べたことないって聞いてる。本宅では出なかったらしいから」


「でも、大丈夫だと思うよ。これさっき水揚げされたばかりの新鮮な魚だから。新鮮だから食べられるんじゃないかな? こういうのを食べたことがないっていう理由だけで避けるのって勿体ないよ」


「いやに真実味が籠ってるけど、身に覚えでもあるの?」


「実はぼくも食べたことがなくて、最初は抵抗ある方だったんだよね。

 でも、初めて食べた刺身が、ちょうど市場で水揚げされたばかりの新鮮な魚でね。

 それから平気になったんだ。こんな美味しいものを知らなかったなんて、なんて損してたんだって思ったよ」


「だから、新鮮なのを用意したんだ?」


「うん。あっ。大地っ。皿に手を出さないっ」


 いきなり海里が怒って遠夜が彼の視線の先を追った。


 そこではどことなく海里に似た青年が縮こまっていた。


 弟なのだろうか?


 それにしては年上に見えるが。


「さっきから何枚割ったと思ってるんだい? きみはリビングにでも行って、樹さんの話し相手でもやっていればいいよ。台所には立ち入り禁止だからね」


「海里……」


「ぼくに二度同じことを言わせる気?」


 凄まれて大地はすごすごと引っ込んだ。


 内容が気になったので、近くのゴミ箱を見れば、割れた皿が幾重にも積み重なっていた。


 たしかにかなりの枚数を割られたらしい。


 いったい何枚割ったら、あれだけ溜まるんだろう。


 樹に張るかもしれないな。


「おれも手伝うよ。なにすればいい?」


「そうだね。そろそろご飯が炊ける頃だから見てくれる? 炊けてたら豚汁を温め直してほしい。ぼくはそのあいだにお刺身の準備をするから」


「わかった」


 言われたことをやりながら、海里を見ていると魔法のような手際のよさで、魚たちが処理されていった。


 盛り付けにまで拘って新鮮な刺身が盛られている。


 大皿に一杯。


 後いくつかの小鉢が用意されて、すべてが食卓に並ぶと、樹と大地が呼びつけられた。


 やってきた樹が食卓を見て、ちょっと弱ったような顔を見せた。


「それ、たしかテレビで観たよ。お刺身ってやつだよね? ぼくは刺身は……」


「魚嫌いの奴でも食べられる新鮮なやつだよ。食わず嫌い言わずに食べてみれば? それでも無理だったら、なにか用意するから」


「わかったよ」


 おっかなびっくり樹が食べるのを3人が見ている。


 わさびをすこし入れて刺身を食べる。


 次の瞬間、樹が驚いた顔をした。


「美味しい」


「だろ? おれほんとは刺身好きだったんだ。樹が食べたことないって言ってたから、今までは我慢してたけど。ほんと美味いよな」


 言いながら遠夜はパクパク食べている。


 久しぶりだから止まらないらしい。


「これはなに? 赤いけど」


「甘エビ。食べてみればわかるよ。あ。でも、しっぽは食べるなよ」


「うん。気をつけるよ」


 こんなふうに食卓は終始和やかだった。


 海里のお手柄で樹の好物に刺身が加わったのは言うまでもない。

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