第12話





落ち着け。落ち着け、俺。バレるような決定的なミスは犯していないはず。こいつの事だ、何か、何か勘違いしてるだけだ。

背中をつ、と嫌な汗が伝った。

「な、に言ってんだよ。俺がsikiの曲弾いたからって…」

「櫻井君はsikiだよ!」

片手で涙を拭いつつ、美鳥は俺の手を掴むその手にぎゅっと力を込めてきた。

いつの間にやら涙の止まった亜麻色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。

いや、近い。近いから。

「……最初のスタッカートからのスラー、僅かにテンポがズレるあの弾き方、」

「み、どり……?」

「短調の音が入るタイミングで少し急く右手の演奏。」


――お前は気を抜くとほんの僅かだが癖が出る。人に聴かせる人間として直すよう心がけろ。


いつか、親父に言われた言葉がフラッシュバックする。


「テンポが早くなっていく前に一瞬だけ間をとるところとか、黒鍵の音がほんの少しだけ短く響くところとか…」

「ぐ、」

なん、なんだ。こいつどんな耳してるんだ!?

美鳥の言葉は正確に的確に、俺の急所を抉ってくる。

膝から崩れ落ちそうになるところを、俺は何とか踏みとどまった。


「……それから、あの無音。」


俺の服を掴み、縋るように。

美鳥の声は震えていた。

「あのタイミングで、あんな風に無音を演奏できる人なんてsikiしかいない!」

「……、」

なんて答えろっていうんだ。

頬には涙のあとを残して。疑うことなく真っ直ぐ向けられる瞳に、俺はどう答えたらいい。

「僕、今度の地区大会のフリープログラムをMidoriで滑るんだ。毎日何回も、何十回も、ずっとずっと聴いてるんだ!」

言葉が胸に突き刺さる。

違う、そう一言告げるだけだ。それで面倒事は回避出来る。

でも。でもこいつは。

ここまで言われて、俺は――




「…………負けたよ。」


降参だと両手を上げ、ため息混じりにそう呟けば目の前の亜麻色はキラキラと輝きを増す。

だから、近いって。

「誰にも言うなよ?」

一応釘をさしておけば美鳥はこくこくと何度も頷き、そして……

泣いた。

先程よりも大粒の涙がぽろぽろと瞳からこぼれ落ちていく。

「ちょ、なんで泣く!」

「だ、だって、だって…ずっと、ずっとsikiの大ファンで、まさか、こんな形で……っ、」

あとはもう言葉になっていなかった。

びっくりして泣き出すって子供かよ。

俺の服を掴んだままひくひくと身体を震わせる美鳥に、俺は思わず笑ってしまった。

なんか、心臓の裏側がこう、むず痒い。

それは、初めて感じる変な気分だった。

こいつの涙も止まらないし、俺は俺でなんとなく今顔を見られたくなかったし。

だから、泣きじゃくる美鳥の後頭部にそっと手を回して、俺の肩に顔を埋めさせる。


こいつの涙が止まるまで。

長いようで短い時間。俺はあやす様にその亜麻色を撫ぜながら、ずっと右肩の温もりを感じていた。


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