第18話 自分は一体今まで何と闘っていたのか

「安藤財閥……」

「ああ、あの安藤財閥だよ。金融機関やデパート経営、それにこの辺の電鉄だってあの会社が運営している。いわば一帯の権力者ってやつだ。そんな安藤財閥に今の社長が就任したのが十数年前。その時彼は地元で商売を営む個人経営者たちに、グループ参入を提案してきたんだ」

「フランチャイズチェーンになれってこと、ですか?」

「まあ、そんなとこだ。そして決して景気が良かったとは言えない状況だった彼らはこぞってその話を呑んだ。が、そこからが悲劇の始まりだ。最初は支度金と言ってお金をばらまきこそしたが、契約書の内容はかなり複雑で、ロイヤリティも法外。むしろ搾取される立場になってしまった彼らは貧窮にあえぐこととなったのさ」

「……でも、契約書にはちゃんと書かれていたんでしょ? だったら自業自得だ」

「ああ、確かにね。でも、押さない店には賃料の値上げとか執拗な嫌がらせとか、そういうものも多かったみたいだ。それに、中年から上の年齢層にはわからないような言葉を契約書に並べていた。あれは一種の詐欺だよ」

「詐欺……で、なんでその話から父が安藤財閥と闘うってことになるんですか」


 桐生が聞くと、男性はまた煙草を吹かす。

 そして、煙の行方を見守るようにどこか遠い目をしながら、話を続ける。


「その時、僕や君が世話になった店長の家も、そこに含まれていた。で、金を失った店はボロボロ、家庭内は崩壊、散々な目に遭っていた僕らは若くして安藤財閥に裁判を起こそうとしたんだ」

「起こそうと、ということは実際はしなかったんですか?」

「ああ。どの弁護士も安い金で安藤財閥と闘いたくなかったのだろう、引き受けてくれなかった。で、泣き寝入りをしそうになった頃、鹿黒さんが幼い君を連れてこの町にやってきた。奥さんを亡くして地元に帰ってきたと、確かそう言ってたね」


 うっすらと記憶がよみがえる。

 そういえば小さいころ、母親が亡くなったということを父に告げられた記憶が、こうして思い出してようやくおぼろげに浮かぶほどだが、あった。

 

「その時、偶然知り合った僕たちを見て、鹿黒さんは何か酷い目に遭わされていないかと心配してくれた。洞察力というのだろうか、人を観察する能力にも長けていたよ、彼は」

「……で、そのややこしい話に首を突っ込んだのが父というわけですか」

「まあ、そういうことになるし、突っ込ませたのは僕らだ。僕たちが知らない知識を豊富に持っていて、実に堂々としていて度胸があった彼に、僕たちはすぐに魅かれた。そしてあの町では顔が割れていなかったこともあって、何かできないかとお願いしたんだ。すると、快く依頼を受けてくれたよ。報酬は、仕事を紹介してくれたらそれでいいって言ってね」

「……父は昔、なんの仕事をしていたんですか?」

「さあ、そこまでは。でも、彼の言う通りに契約書の穴を指摘して、公的機関に持ち込んで、そうすることで形成が一気に逆転したんだ。魔法みたいだったよ。彼の言うとおりに動けば今まで全く相手にされなかった僕たちの言い分がどんどん通っていってね。契約を破棄するところまで話が進んだ時には皆で酒を飲んではしゃいだものさ」

「じゃあ、それで話は終わりなんじゃないですか? なんで父が詐欺師だなんて」

「裏切り者がいたのさ。彼が信頼していたという仕事仲間が、彼を売ったと僕はそう噂で聞いた。取り戻した店の人間たちに、鹿黒さんに騙されたと口裏を合わせるよう指示したやつがいたらしくてね。協力すれば保証金までつけるからと言って。安藤の息がかかったやつだったんだろう、鹿黒さんに助けてもらったはずなのに彼に騙されたと、皆がそう言いだしたんだ。もちろん僕の親も、ね」

「……裏切り者、か。随分と脇の甘い詐欺師だったんだな、父は」

「いや、彼はその状況すら覆す材料はあったはずだ。でも、なぜかしなかった。詐欺師の汚名を甘んじて受けて、そのあとは行方知らず。そして、安藤の家にたてつこうとする僕たちも町を追いやられていき、やがて安藤の息のかかったものばかりがあの町には残った。そういう話だよ」


 言い終える頃にはたばこはすっかり灰になっていた。

 そして立ち込める煙を手で払うと、男性は立ち上がってから大きく息を吸う。


「さて、長々と話したけど、これが僕の知ってる真実ってやつだ。桐生君、君のお父さんは詐欺師なんかじゃないんだよ」

「俺の父が詐欺師じゃない……」


 その時、桐生は今までの半生を振り返って頭の中がぐちゃぐちゃになる。


 それでは一体、今まで何のせいでいじめられて、何のために降り注ぐ冷遇を耐えてきたというのか。


 父が詐欺師であれば、その贖罪として息子である自分がひどい目に遭わされることもしょうがないと、そう割り切るようにしていたというのに。


 それすら嘘だったというのなら、自分の過ごしてきた青春は一体なんだったのだろう。


 嘘にまみれた日々。

 嘘で汚された青春の日々。


 そんな日々を懐古して、桐生は呆然とする。


「……俺は、いったい何のために今日まで」


 声にならない声だった。

 ただ、そんな桐生を横で見守る加佐見は、桐生の肩にそっと手を置いて言う。


「桐生君、よかったじゃん。お父さん、悪い人じゃなかったんだってわかって」

「加佐見さん……そう、だな。別に父に詐欺師であってほしかったわけじゃないし、むしろよかったんだよ、な」

「うん、そうだよ。やっぱり桐生君の人の好さって、お父さん譲りなんだね」

「……嬉しくないよ、全然」


 人の為に、金にならない仕事をして、その上詐欺師扱いされて蒸発して我が子を一人にしてしまうような父に似ていることのどこが嬉しいものかと。


 言いながら桐生はどこか父の面影を残すと言われた自分の顔が写ったカウンターの奥にある棚のガラスを見ながら。


 複雑だった。

 あれほど憎いと思ってきた父の真実を知ってなお、父が素晴らしい人間だったなんて信じることができず。


 そして、もう一つ。


 因縁と言うべきか、また安藤の名前が登場したことも桐生の心中を騒がせる。


「安藤……どこまで行ってもあいつらの仕業かよ」

「桐生君、安藤さんをご存じなのかい?」

「ええ、その社長とやらの息子が同級生で。質の悪いやつですよ」

「そうかい。でも、あまり彼らとはかかわらないことだ。今でも、歯向かう人間には容赦ないと聞く。君達は高校生活が終わるまで辛抱して、他所に行けばいい。それまでの辛抱さ」


 男性はそう言ってから、カウンターの下から何かをごそごそと取り出す。

 出てきたのは一枚の紙。


 そこには契約書と書かれていた。


「これは……?」

「うん、この店はね、元々鹿黒さんがこっちに来た時に借りて経営していた店なんだ。ゆくゆくは息子と、つまり君と一緒にのんびりカフェでもしたいってね」

「いや、待ってくれ。父は俺の治療費を詐欺を働いて工面したって、俺は確かに誰かからそう聞いたはずだ」

「はは、あの人が誰かから巻き上げたお金を息子の治療費に充てるわけがない。彼は僕たちの手伝いをしながら、朝も夜もここで死ぬ気で働いていた。そして、必死になって作った金で君の手術代を出したんだ。お金の目途が立った時、彼は泣きながら喜んでいたよ。ようやく息子が元気になれるって。ここで一緒に働く夢も、叶いそうだって」


 少し、思い出しながら目を潤ませる男性は契約書をスッと前に出す。


「だからここは、君が働くべき場所だ。僕はいつか鹿黒さんにこの店を返そうと、何とか踏ん張ってきたけど最近客もこなくて心が折れかけていた。でも、桐生君がこうして来てくれたことはここまで踏ん張ったご褒美なんだろう。ここで、一緒に働いてくれないか?」

「俺は……」


 言葉に詰まる桐生は、その時ちらっと加佐見を見た。

 加佐見は何も言わず、小さく横でうなずいてくれる。


「……俺を、俺たちをここで働かせてください」

「ああ、よかった。うん、本格的に再開となれば人手がいるからそっちのお嬢さんも一緒によかったら頼むよ。彼女さん?」

「違います」

「あー、そんなにすぐ否定しなくてもいいじゃん」

「うるさい、誤解されるからワーワー言うな」

「あはは、仲いいんだね」


 騒ぐ加佐見と払いのける桐生を見て、男性は笑いながら加佐見に自己紹介をする。


「僕は島田太一。こうみえてまだ働き盛りの三十五歳だ。君の名前は?」

「私、加佐見千雪と言います」

「加佐見……ふむ、あまり聞かない名だね」

「この辺りが父の地元だと聞いてますが、ずっと県外にいたものですから」

「おお、そうなのか。うん、よろしく頼むよ加佐見さん」

「はい、お願いします」


 こうして、ただアルバイトの面接に来ただけのはずが父の過去を知ることになった。

 そして、明日の放課後から、この店で加佐見と一緒に仕事に入ることに。


 また、日常が少し変化する。

 でも、その変化は確かに前に進んでいると実感できるものだった。


 桐生は、暗くなりかけた外を見て、席を立って島田に頭を下げる。


「明日からお世話になります。よろしくお願いします」

「いや、こちらこそ。うん、それじゃ気を付けてね」


 手を振る島田は、そのあとすぐに「よーし、やるぞ」と声を上げてモップを手にとって掃除を始めていた。


 まさか自分が、誰かの希望になれるだなんてにわかには信じがたかったが。

 少しだけ、胸のつっかえが取れたような気分だった。


 桐生は店を出たところで古びたその外観を見ながら、父のことを思い出した。


 ここで父と働く未来もあったのかもしれない。

 でも、そんな未来は奪われた。

 安藤財閥によって。


 その時、ふつふつとこみ上げる黒い感情を自覚した。


 安藤にこのままやられたままでいいものかと。

 父の復讐を果たすべきは自分なのではないかと。


 ただ、そんな話をすれば隣の加佐見に絶対止められるだろうと。


 駅まではずっと口を閉ざしたまま。

 すっかり暗くなった夜道を静かに歩いて、駅へ向かった。


 



 

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