第10話 俺のせい

「ありがとうございましたー」


 普段より盛況だった昼のラッシュがようやく終わってひと段落がついたころに、桐生の元へ店長がやってくる。


「おつかれ桐生君、今日は売上もいいし何でも好きなもの持って帰ってよ」

「ありがとうございます。まあ、廃棄前のものを少しいただきます」

「あはは、桐生君と話しているとほんと高校生に思えないな」

「まあ、反面教師ですよ。学校ではうるさい連中が多いですから」

「そっか。うん、でもこれからも頼むよ」


 ぽんと桐生の肩を叩いて、店長が奥に下がる。

 すると、がやがやと騒がしい客が数人店にやってくる。


「おい、今日はどこいく? バイクで隣町でもかっ飛ばすか」

「いやいや安藤君この前もバイクで転びそうになってたじゃんか。事故ったらおやじさんにバレてやばくね?」


 安藤たちだ。

 とっさに桐生はホットスナックの棚の後ろに逃げて顔を隠そうとするが、先に見つかってしまう。


「おい、桐生じゃねえか。なんだ、お前こんなとこでバイトしてたのかよ」

「……」

「おいおい、客を無視するのはよくないなあ。どんな教育してんだこの店はよ? なあ桐生、なんか飯奢ってくれや」

「……商品はレジまでお持ちください」

「あ? なんだつまんねえな。ま、いいや。おい、店長さん呼んでくれよ」


 レジのカウンターに肘をついて前のめりになる安藤は、にやりと笑って奥の方を覗き込む。


 桐生は静かに奥へ行き、パソコンの前で経理処理をする店長に声をかける。


「店長、お客様です」

「ん、僕に?」

「あの、安藤が店長いないかと」

「あ、ああ、安藤君か。うん、すぐいくよ」


 そのまま店長と一緒に表へ戻ると、腕を組んだ安藤が店長の姿を見るや否や、大きな声で言う。


「おい、桐生をクビにしろや」


 そのあと、取り巻き連中はげらげらと笑う。

 店長は慌てて頭を低くしながら安藤に聞き返す。 


「く、くび? いや、桐生君は何も悪いことは」

「なんだ知らねえのかおっさん。こいつの家族、詐欺師なんだよ。みんなから金巻き上げて蒸発しやがったクズ野郎の金でこいつはのうのうと生きてんだ。どうせ今でもふんだくった金、隠し持ってるに違いねえぞ」


 安藤はそう言ってから、当たり前のように「たばこくれ」と、レジに煙草を並べる。

 してやったりの顔。

 桐生を見ながら、俺に逆らうとどうなるかわかったかと言わんばかりの笑みを浮かべる。

 ただ、桐生はさほど驚きもしなかった。

 どこかで、覚悟もあった。

 安藤がこの店を見つけたあの日から、いつかこうなるんじゃないかという想像が、できてしまっていた。


 少し早い気もするが、仕方のないことだ。

 店長には迷惑をかけられない。

 自らここで辞意を示そうと、少し前に出かけたところで店長がレジに並んだ煙草を脇によけて話し始める。


「安藤君、僕は桐生君のお父さんがどういう人か、知ってて彼を雇っているんだよ」

「……え?」


 思わず声が出たのは桐生。

 そのあと、安藤も同じように驚いた様子を見せてから、いらだった様子を見せる。


「そ、それじゃあなんでこんなやつ雇ってんだよ」

「桐生君はとてもまじめで素直ないい子だ。目を見たらわかる、とまでは言わないし、信じてみようと雇ったあとだって少し不安もあったさ。だけど、彼はこの店でずっと文句ひとつ言わず店のことだけを考えて働いてくれている。彼のようなバイトはほかにいない。クビにするなんて、経営者として失格だ」


 店長はそう言ったあと、「用件が済んだなら僕は下がるよ。あと、たばこは未成年には売れないね」と。


 言い残して奥に戻っていった。


「……ずいぶん気に入られてんだな、桐生さんよお」


 今にも噴火しそうな安藤は、ギリギリと奥歯を嚙みながら悔しそうに桐生をにらむ。

 桐生はそんな安藤たちに何かを言う気分にもなれなかった。


 そして無言を貫いていると、安藤はそのまま店を出て店前に止めてあった店長の自転車を蹴り飛ばして仲間を引き連れて去っていく。


 そのあと、すぐに桐生は奥にいる店長の元へ。


「て、店長」

「ああ、桐生君。うん、ちょっとは社長らしいこと、できたかな」

「……あんなことしたら、ここがどうなるかわかりませんよ」

「はは、大丈夫だよ。ここが潰されたらまたどこかでひっそり頑張るさ。店も仕事も代わりはあるけど、桐生君は君しかいない。君のような子を傷つけてまで食べなきゃならない飯なんて、僕はいらないよ」

「店長……あの、俺の父のことも知ってたんですね」

「ああ、桐生と聞いてすぐにピンときたよ。だから断ろうと思ってたんだけど、どうも君を見ているとそんな気にもなれなくて」

「でも、赤の他人のためにそこまでする理由なんて」

「人はね、いつか赤の他人の中からでも守りたい、大切にしたいって人と巡り合うものなんだよ。例えば奥さんなんかそうだろ? 家族じゃない人と家族になる。でも、それは何も結婚に限った話じゃない。従業員だって、友人だって、同じように家族のように思える存在っていうのはいるものさ。僕にとって桐生君は、もう立派な家族だ。だから守っても庇っても、当然だろ?」


 店長はそう言った後、ノートパソコンをパタリと閉じた。

 

「桐生君、君はまだ子供なのに何もかも背負いすぎだ。学校とかでも色々あるんだろうけど、もっと好きに生きていいと、僕は思うよ」

「……今更難しいですよ、そんなの」

「今からだよ、君の人生は。さっ、今日はもうお客さんもこないだろうし早く上がるかい? たまには家でゆっくりするのもいいよ?」

「……わかりました。では、今日は失礼します」


 桐生は、指定のエプロンをその場で脱いで、ロッカーにそっとしまってから一礼して事務所を出る。


 そして店を出るとまだ日が高く、もうすぐ冬になるというのに残暑の蒸し暑さのせいか、額に汗が滲む。


 目にも、汗が滲む。


「……俺のせいで、やっぱりいろんな人に迷惑がかかってる」


 誰かと関われば、その人を傷つけることになる。

 それは昔も今も変わっていない。

 好きに生きるなんて、そんなわがままが許されるはずがない。


 店長は、何かを悟っていた。

 覚悟もしていた。

 おそらく、あの店はもう長くない。

 

 そう思うと、胸が苦しくなって、足取りが重くなっていく。


 田んぼ道を抜けて家の近くの川を見つめる。

 飛び込んだら死ねるのか、なんてことを考えたりしてしまう。


 ただ、そんな度胸もない。

 誰かのために死ねる勇気すら、自分にはない。


 それがわかると、また悔しくて視界がぼやける。


 狭くなる視界を必死にぬぐいながら、帰路につく。


 やがて、住み慣れた家が見えてきた。


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